008森山通り&石垣東通り\別府\大分県

府の山手道がどうも気になっています。
 緩斜面にゆるゆると東西と南北に道が付いている。それだけに見えるけれど,時々この格子を踏み外した道がある。
 道に名があるわけでもなく,謂れも分からない。沿線の文物からは古道と推せるんだけれど,まあそれだけです。

新別府の坂

~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
GM.(経路)

新別府バス停の東から

▲1026坂の入口辺り

相寺山通りから新別府バス停東,渓流の西で南に入る。
左手竹やぶ。

▲1027小さい渓流を跨ぐ

を渡って左手の空き地に古井戸跡。といっても昭和になって放棄された、というほどの古さに見えます。

水路を渡らず進んでみる▼▲

 後日,上記の水路跨ぎをせずに進む行程をとってみました。

1003分岐ポイント

1002右手東側の暗渠を跨ぐ地点からこれを跨がずに左手へ,水路に沿って進む。
1006脇道の湾曲

渓流左手西側に湾曲を繰り返す幅1m ほどのコンクリート道。渓流はコンクリートで固められてるし石垣もないけれどこの形状は古道だと思う。1006
1007脇道の湾曲

道には階段がないけれど水路の底はなだらかな坂ではなく何段にも段差がある。1009
1009水路の段差

左手には住宅地。広めの道が二本交わる。道の先に小泉水産。1011
1012ENGLISH SCHOOL前辺りの水路

1013ENGLISH SCHOOL前辺りの道

左手脇にIF ENGLISH SCHOOL
右手撮影。石垣跡らしきものあり。1014
1015ENGLISH SCHOOL前の水路対岸の家並み

この先で,道は右手へ水路を越え,道は水路の右側へ離れていく。散歩のご夫婦。1017
1017水路を跨ぐポイント

1019水路跨ぎ後の右湾曲
1020本道への再合流地点

道は大きく右へ湾曲。1019
元の坂へ交わる。
1021本道への再合流地点直前より

交点T字の東側に家の空き地のような空間。先にはやはり石垣。ここに道があったのではないか。1023
1025本道への再合流地点東側対面

低き長き石垣

▲1028石垣が現れる

▲石垣の界隈

両側に30mほど,石垣が目立つ。やや古い。積みも荒く見えて精緻に互い違いに組まれてます。

貝原益軒「豊後紀行」付図(一部)

と,この石垣については史料に記述されています。

此ノ三村(**引用者注)ノ西ノ道ハタニヒキク(***)長キ石垣アリ 故ニ石垣村ト云 三村共ニ公料ナリ
*貝原益軒「豊後紀行」付図「石垣原古戦場見取図」元禄7(1694)年の書込
**北・中・南石垣村
***「ヒクキ」の誤記(市資料)

 実相寺側と三村の境界というのですから,ここに書かれるのは南北ライン,つまり後に触れる三嶋神社前の道沿いと思われますけど,同じく東西の境界線があったものでしょうか。

坂道最後のS字

▲1031S字の始まる辺り

森通りという表示が出てる。
 ad.実相寺2組の5班。住所じゃなく自治会区分だろうか。
 この辺りのS字を見極め切れずに脇道に入ると,過去,全て行き止まりでした。

▲1032最後の屈曲

大師遍照金剛

032,理容寿美に突き当たるT字に出る。
北:実相寺2組の3班
南:同1班
となっている。ここを左手北行。

▲1034祠の多い路地道になる

034,祠。中を覗くと「享和元年……無大師遍照……」という文字がある。
*後掲市資料では「享和元年酉年(南)無大師遍照金剛 願主野宮□右衛門」
 この時は気づかなかったけれど──当然,このお堂の下の石垣は享保以前です。
 従ってここは明らかに古道で,おそらく鉄輪温泉方面と結ぶ道だったのでしょうけど,道の全体がどうも見えない。

大山祇から来た別府の海神

▲1037三嶋宮への入口

037,三嶋宮。
 北面。
 右手には実相寺町公民館。裏手は実相寺山の竹やぶ。

▲三嶋宮鳥居付近

手奥に小さな,新しい祠。神体は仏師像に見える。階段類は苔むしてる。

▲三嶋宮左手奥の小祠

掲別府市資料によると,この辺りは慶長6(1602)年に村上水軍の支流の久留島家領となっており,その産土神・大山祇神社(大「三島」)から勧進されたのが三嶋神社とありました。
 海神なのです。

宝箧印塔×5

▲石塔六基

嶋宮を出て北行すると,左手東側に石塔6基。
 いずれも基部は方形石3つに屋根の角錐をつけた形。民家の軒先の奇妙な空き地。
 同じく別府市によると──宝箧印塔*らしい。並び替えたのでなければ,南北に列を成している,とも指摘してます。なお,市のカウントでは五塔。
*「宝篋印陀羅尼」(呪文)を内に収めた供養塔。鎌倉中期以降各地に造立。

▼▲

 後日,少し時間があり,五塔を一つずつ撮ってみました。

西から
どの塔も正面性が確認できない。

第一塔

最も丸まってる。四石に見える。ただ最上の石に尖りの跡あり。

第二塔

三石。最上と最下の彫り込みがはっきりとしていて,どの石も方形を留める。

第三塔

サイコロ状が三段に重ねてあるような形状。ただし最上のサイコロの頂点にはっきりした出っ張りがある。

第四塔

方形2つ,最上の石が最もはっきりと段々の四角錐状を残す。

第五塔

三段。最上の石が1/3ほど欠けている。下の2石に傷がないから,上の石だけ崩落したのか。

目齒頭地蔵と豊前道

▲1041目齒頭地蔵の角地

040,角地の祠。文字読めぬ。中央四体仏を背後に朱塗りの残る像
──市資料には「目齒頭地蔵」とある。「目齒頭」はメハズと読み,この土地の古称と見られています。

▲1042神像アップ

定バス停に出る。マルショク鶴高通り店,ここの東側でトイレを借りる。
 さて触れてきた市資料というのは,別府市教委等「べっぷの文化財 No36 実相寺・八幡竈門神社」(平17年3月)のことです。この資料の推定では,ここは豊前道という古道の一部らしい。

豊前道の三嶋神社への西湾曲

だ,普通に考えると目齒頭地蔵からまっすぐに,上図に目齒頭通りと書かれる直線コースをとるはずの豊前道が,三嶋神社側に湾入している理由は不明で,別府市資料には「豊前道の元道が既にあったと思われる」と推量しています。
 さてもう一本。この界隈から別府駅に帰る際にいつも通る奇妙な斜道について紹介します。

石垣東→別府駅の坂

~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
GM.(経路)

石垣東六丁目6

▲1323石垣東六丁目6,坂のトップ付近

323,ad石垣東六丁目6。
 1325,ad五丁目。ここからが下りになっていきます。

▲1326ゆるゆると均一な坂が,奇妙な直線で続く。

▲1325なぜかチコちゃん

329,焼き肉なべしま。
 決して古い風情はない。地勢としては古道に思えるのにごく普通の町並み。これがかえって不思議なのです。

奇妙な継ぎ接ぎ道

▲1329なべしま駐車場脇を過ぎる。

330,東三丁目5セブンを過ぎる。
 左手鉄橋。右前「愛二恋」という……これ何の店なんだろう。

▲1331継ぎ接ぎの路面

の道の異様さは,路面のアスファルトが妙に継ぎ接ぎだらけなこと。
 均一な路面がなぜかこの道だけないのです。

▲1335ヤダ家具店前

333。二丁目7。少し左に折れる。ヤダ家具店。
 南石垣町公民館。南石垣温泉。

S字と傾斜変化

▲1336僅かにS字になる辺り

338,微かに右折,橋を渡って富士見町14。また微かに左折。
 左に玉田温泉。

▲1339信号。ここで坂の角度が少し変わる。

つも入れない洋食屋くるとん。密かな常連客が多い店らしいのです。ただ入れた時は独特の旨さにうなる。別府はなぜかこういう洋食屋が多い。1341。

▲1342別府駅が近づくと,この道は時折交通量が妙に増す。

謎の無我夢中

府中消防団第一分隊詰所。下りは緩やかに続く。

▲1344新善光寺前

343,右手新善光寺。左手は野口元町二区公民館大和温泉入口。公民館が温泉も兼ねるのは,結構,別府名物だと思う。
 鉄道高架が目の前。
1346高架くぐる。未だに謎の「無我夢中」看板。。道は少し右に湾曲する。

▲1346「無我夢中」を過ぎた辺り。

348,駅前高等温泉。
 1351,自転車返却時間9分前。別府美乃家で一服。

かっぱ湯の噴湯口のかっぱさん

「008森山通り&石垣東通り\別府\大分県」への1件のフィードバック

  1. At the beginning, I was still puzzled. Since I read your article, I have been very impressed. It has provided a lot of innovative ideas for my thesis related to gate.io. Thank u. But I still have some doubts, can you help me? Thanks.

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