そのかわりもとの材料のすばらしさは世界一だ@ことばぐすい

 アメリカへ来る前に誰でもが持っている,しかもかれこれ一世紀ちかくも続いている偏見の一つは,ここが何事によらずメカニックな国で,料理はすべて,インスタントか,缶詰めか大量生産自動販売の味気ないものであり,食物に関しては,まことにちまらない国だ,ということである。
 しかし,それは忙しい,しかもかなり古いタイプの大都会での話で,一歩内陸へふみこめば,アメリカが,実に長い間,世界でもっとも生産性の高い農業をもっていた国だ,という事実にたちどころに直面する。――それはたしかに,フランスや中国ほど,料理が大仰で豪勢かつ繊細な芸術になるところまでは行っていない。しかし,そこには,おどろくほどみごとに品種改良された,第一次農作物が実に豊富にあり,そういった食物は,新鮮な生のままか,煮るとか焼くとか,ごく簡単な料理法で食べるのに,一番適している。煩雑でデコラティヴな料理というものは,この土地には発達しなかった。この広大な大地は,素朴な開拓時代から仰々しい農業帝国時代を経ずにまっすぐ大工業時代へとびこんで行ったのであり,料理もまた,素朴で,手のかからない開拓農民の野営料理,また丸太小屋の手料理から一直線に発達した。――瓶詰めにしろ,冷凍食品にしろ,サンドイッチやホットドッグにしろ,こういったいかにもアメリカ的な食物はアメリカ国民が料理にあまり手をかけない,という所から由来する。そのかわり,もとの材料のすばらしさは世界一だ。カリフォルニアの果物や清浄野菜はそれ自体が芸術品だし,新鮮なミルク,バター――チーズも,ロクフォールのカマンベールのといった,ひねりすぎた味でなく,クリームチーズやコッテージチーズといった,ミルクの新鮮さがまだのこっているようなのが多い。料理も素朴なものがいい。来た当座は,あの不当な蔑視を受けているポーク・アンド・ビーンズのうまさにおどろいて――むろん瓶詰めではなかったが――しばらくそればかりを食べ,ぼく自身も大いに軽蔑されたものだった。
(小松左京「継ぐのは誰か?」角川文庫,昭和55年)