不断にアレンジが加えられ続けること@ことばぐすい

「多様であることがそのまま良いとは言えない」
「…はい」
「私の考えは,似ていますが違います。我々は完成を求めている。詩であれ絵であれ,教えであれ,人類の叡智を結集させた完成品を作り上げるために,それぞれが工夫し続け,智恵を絞り続けているのではないかと思うのです。お釈迦さまは哲学の分野に一つのバーツを加えた。とても大きな,要になるバーツを加えたのです。ならば梵天の説得は無駄ではなかった。私はそう思います」
 頷くことはできなかった。
「しかしあなたは先ほど,釈迦の教えは曲解されていると言いませんでしたか」
「さて,そうは言わなかった」
 八津田は顎を撫でた。
「お釈迦さまが説かれたものとは違っている,とは言ったかもしれませんが。ですが,それは問題ではない。彼の哲学が完成品である必要はないのです。お釈迦さまは力の限り考えつくし,大きなバーツを作った。そのバーツを受けて,龍樹大士が,達磨大師が,弘法大師や伝教大師や無名の人々がせれぞれの生きた世に合うよう,全身全霊を懸けてさらなる工夫を加えていった。先ほど,我々は完成を求めていると言いました。ですが,時代の変化や技術の進歩に応じて不断にアレンジが加えられ続けることこそが,既にして完成なのだとも言えはしないでしょうか」
 いまは,一つだけ,言える言葉がある。
「わたしは…」
 仏陀の目が見下ろしている。
「ここがどういう場所なのか,わたしがいるのはどういう場所なのか,明らかにしたい」
 BBCが伝え,CNNが伝え,NHKが伝えてなお,わたしが書く意味はそこにある。
 幾人も,幾百人もがそれぞれの視点で書き伝えることで,この世界はどういう場所なのかがわかっていく。完成に近づくのは,自分はどういう世界で生きているのかという認識だ。

(米澤穂信「王とサーカス」東京創元社,2015)