m19Jm第二十九波m寂然と座するも妈祖でありませうm1那覇天妃 (ニライF70)

本歌:しぶきたる葡萄を愛と呼びませう〔松山東〕
沖縄滞在もあと僅か。
懸案の壺屋を探索しました。
「香港通り」です。
[前日日計]
支出1400/収入1370
    ▼14[211]
    /負債 30
[前日累計]
利益 -/負債 170
§
→一月五日(天)
1105あやぐ食堂
Aランチ750
1441大東そば
お得セット(大東寿司,三枚肉とソーキ入りそば)450(1200)
2000太陽餅残り250
[前日日計]
支出1400/収入1450
    ▼14[213]
負債 50/
[前日累計]
利益 -/負債 120
§
→一月六日(一)

 

本編の行程

~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
GM.(経路)

那覇天尊宮は公園でした

859,Mr.KINJO LINK in Kume NAHAに荷物を置く。
 これまた凄いとこを取ってしまった。福州園のすぐ西側でした。
 今回は9時を回ってます。那覇天尊宮・天妃宮へ。

那覇天妃宮の門に掲げる案内図

園のような無味な印象です。
 正面殿は右から天妃宮・天尊宮・関帝廟・龍王殿
天尊宮以外は正殿中央向きにに横になってる。これは台湾にはない形。単に狭いからだろうか。
 火気使用禁止と表示。

我が那覇天妃

▲天妃宮祭壇
の祭壇にも供え物は,気配すらない。それに極めてシンプルな配置です。台湾の媽祖宮との落差に愕然とします。
 これは……普通の拝みの対象じゃねーよな。
 媽祖神像はちゃんと人の形。四神全てに共通するけど……博多人形のような造りです。でも,媽祖には随神二体もちゃんと配置されてて,それが余計に胡散臭い。
▲媽祖アップ
庭右手に一棟。これは社務所らしい。
 左手に二棟。こっちは閉まってる。
 孔子廟はニュースのとおり福州園に移されてる。
 金爐はない。でも本堂左手に石臼のようなのが焼香壇らしい。ただこれも
使われてる形跡はない。
▲右手の琉球風祠
手の大きな岩に無名の祠。
 焼香台と,テラコッタのような人形が置かれる。人形は欠けているけど女性像には見えます。それだけ見ると廃棄されてるようにも映るのに,状況的に意図的に置かれてるように思えます。
▲欠けた陶器の像。この像は,なぜか沖縄最初の頃に一度見た記憶がある。恐ろし気だけど雰囲気として大事に祀られてる感じです。

詣で大盛況の波上宮の喧騒のすぐ隣で,今,天尊宮にはただ一人。
 ついでに立ち寄る中国人くらいしか入場はない。でもここが沖縄本島唯一の人型媽祖像です。
 久米島のものを見てみたいけれど──まず間違いなく,沖縄には媽祖信仰は根付かなかった,と見ていい。なぜなのでしょう?

バイク返して愛さハミガキ節

🛵
ソリン満タンのためにおもろまちへ廻る途中,秀のパン屋に寄る。0939。
 明日からの営業でした。バイクをとにかく手放す。──これが牧志サキハマの最後の利用となりました。
 計器のカウンターは6273。何とこれでも73km走ってます。
 1004,牧志駅から旭橋駅へ3駅移動。宿から駅はやや遠い。ゆいレールのメイン駅には大きめのコインロッカーはある。明日は朝これに放り込もう。──ただ旭橋の方は改札の向こうにしかない。これは明日対処しよう。
🚈🚈
ンタサイクルNPOしまづくりネットが閉業してる!?
安里にレンタサイクルを二軒見つけたから向かおうとゆいレールで待ってたら──島ちゃんも明日からか。ならばあやぐは?と電話してみたら開いてるらしい。えーい,もう自転車は後にして首里へ向かってみよう! お城のこともあるし…。
 1042,旭橋から再乗車。
 ちゅらサウンズの車内広告に「愛さハミガキ節」というこれまた訳の分からん歌のが露出しとる。歌うは護得久栄昇,この人はとにかく息の長い,沖縄の怪人です。

愛さハミガキ節???

庁前,美栄橋,牧志。1047。安里,おもろまち。1052。
 古島。ここはホントにビルだらけになりました。記憶にある野原と同じ場所とは信じ難い。
 1055,市立病院前。やはりここの東の末吉宮の丘は凄まじい。ただ聖域との境が明瞭らしく,その裾にある人家の領域の街並にはあまり興味を惹かれません。
 1057,儀保。いや?この駅の東辺りは,集落にも雰囲気があるか?
 1059,首里下車。遅い朝ご飯です。

嗚呼 幻のあやぐ・天ぷら定食

▲あやぐAランチ左半分
105あやぐ食堂
Aランチ750
 もうここのメニューの個別には,触れない。でも今回,改めて感じいった点は──
 天ぷらの「あちこーこー」なのが,無茶苦茶に旨い!今まで軽視して平等に三角食いしてきたけれど,ここのは──天ぷらから食べるべき!他に見向きしてると冷めてしまって,この旨さは失われる。
 日本の天ぷらではなく,衣がほとんどパンケーキになってる。白身魚とソーセージが一番だったけど,つまりソーセージパンのようや旨さになってるんである。
▲同じく右半分
ぷら定食」という何気ないメニューの量が凄いみたい。さらに「ミックス」というのもある。こちらを頼む客も結構な数です。そりゃそーだ,これで690円です。

※2022年現在,あやぐはAランチと併せて天ぷら定食メニューも廃止!復活を切に祈念したい!

 大食いプラス旨さならこれは最高だと思う。ただガツガツッと行かないとやはり冷めてしまいそう。
 そばにコーレーグスをガツンと入れると,これまた旨い!これも,ここのそばみたいにあっさり麺で,かつ今日のように運転しない日でないと駄目だけど…。
 そしてやはりポークのカツ!なぜこういう荒々しい肉味のまま,カツに出来るのか,そこはやっぱり分からないけれど。

違いなさそうです。
 1140,この南のローソン隣の小さなマンションに「首里天后宮」を掲げる「萬華」という沖縄中華圏域交流サークルを確認。
 今回,ネットで何回かヒットして勘違いしてた場所です。かなり熱心な媽祖愛好家が経営あるいは居住してらっしゃるらしい。ただ明らかに社ではない。それだけを確認して首里駅へ。
🚈🚈
午を周りました。安里下車。
 安里十字路を渡る。これまで意外に来てない地域です。でも……あ,前々回の安里八幡の場所か。
 レンタサイクル……いやここはバイクが中心らしい。
諦めついでに南の店へも伺ってみる。ここもあまり来ない辺り。

国吉はだれ?とワシに訊くな!

~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
GM.(経路……は思い切り適当です)

1226飲み屋街らしい。いつも気になる山羊料理屋(美咲)を再度チェックするも……「18禁」?「カラオケ1曲○○円」?とか掲示が出てる。どうも食堂じゃなく社交の店っぽい。
 1230,安里川を渡る。安里橋。パチンコ屋。周りはアパートばかり。ad壺屋二丁目9──「あれ?この辺も壺屋なの?」と書いてます。観光客から近くて遠い壺屋のディープさに,初めて触れた日でした。
▲1233「年中無休」とシャッターに書いてしまったのが間違いだった……とか,細かいことをうちなんちゅは考えないだろな,多分。

234,ローソンから登りに。
 もう一軒パチンコ屋。ad二丁目26
 三叉路。南に「国吉ってだれ?」の例の広告。右折。
▲「国吉ってだれ?」広告



▲「やーといえば」広告

ーと言えば」の○○不動産?パクるにしても古くね?
※「やー」沖縄語でYOUのやや汚い言い方
 そして1251,ようやく琉Qサイクルでレンタルできました,自転車!
 ダイヤルロック4桁。24hで1400円。安くないなあ。
🚲
て。その坂を下る途中で見なれぬ緑地帯と赤十字を目にし左折。ad寄宮一丁目12。1256。
 与儀公園?かねひで前。──恥ずかしいことに全く分からない。GM.マップで──ああ,この公園挟んで与儀十字路か。右折南行。1259。
 神原中学校の横断歩道を渡りまして……1302,壺屋交差点左折。ここはバイクで開南から出る辺りです。でも……今日はもう一つ北へ行こう。

[おまけレポ]神戸市中山手通の関帝廟内媽祖

 媽祖にこだわった南の旅行の後,日本(やまと)国内,近畿のそれが気になりました。
 そこでまず大阪は道明寺に向かったのです。

西日本の媽祖マップ〔高橋誠一「日本における天妃信仰の展開とその歴史地理学的側面」『東アジア文化交渉研究』第2号,2009年〕

 ところがこの,正月の参拝客も多く参詣道が商店街になってるかなり立派なこのお寺,媽祖が収められていると思しき蔵まではたどり着けるんだけど……記述は全くない。
 その場所は次のリンク先に既に載せたけれど──ここがなぜそうなっているのか,全く見当がつかないまま引き揚げざるをえなかったのでした。

▼内部リンク▼ (長崎・梅園編)長崎まで付いてきた白太夫 〔展開〕
▲(再掲)大阪府藤井寺市道明寺天満宮の境内配置図※ 道明寺天満宮 境内案内

 その帰路……というかあまりの悔しさにダメ元で大阪の媽祖を調べてたら,ヒットしたのが神戸市中山手通の関帝廟だったのです。

神戸市中山手の関帝廟附属媽祖

〔一般社団法人中華会館
※ 関帝廟<一般社団法人中華会舘 | The Institute of zhonghua-huiguan〕

~(m–)m 本編の地点 m(–m)~
GM.(地点)

▲創建中華会館記

額は「関帝廟」。
 門右手に「延命地蔵尊 子安地蔵尊」。
 内側には「龍門」。
 右手に「創建中華会館記」及び「光緒壬辰嘉平月」。左手に神戸関帝廟復興募金者御芳名が1996~2019に分け掲げてある。
▲本殿前。右側に「金亭」

殿の扁額は「慕先聖宏範」。
 右手に金亭もあり。左手に「狛犬様」。
 本堂内には5柱。
 裏手は不整形地になってる。周囲は2m近い壁。これは中国様式。
▲関帝(関羽)右手の観音祭壇

側が天后。従神もちゃんといる。少し他にない,すぼっとした無機質な風体。
 供え物は大きな花束2つ,あと鏡餅2山がある。
▲媽祖像

料パンフレットによると、1888(明治21)年に「大阪府布施村にあった長楽寺が廃寺になるのを,現在の神戸市中央区中山手通7丁目53-1に移し,関帝廟,十面観音,天后聖母をまつりました。これが関帝廟の始まりとされています。」とあるから,当初から天后はあったらしい。
 けれど,現在のものは「1957年(昭和32年),信州の善光寺より当時13歳の天才彫刻家・加藤某を招いて半年をかけて作られました。」とある。戦災で焼けたか亡失したのだろうか。
「加藤某」という彫刻家も不明。
▲関帝左手天后(媽祖)祭壇

するに,神戸の媽祖もかつてあったものの復元で,かつ現在も特定の庶民層に拝まれている形跡は薄い。その意味では,まさに那覇天妃と同様でした。供物や清掃は管理者である財団(中華会館)の「お仕事」と思われます。
 ただし,支持母体となっている神戸の華僑集団はおそらく福清出身の,長崎交易での労務者を祖とする人々(下記リンク参照)と予測されます。その意味ではこの訪問は,長く尾を引くことになりました。

近畿の媽祖(と疑われるもの)暫定リスト

 この時,どこから転記したか残してませんけど,近畿地方の媽祖が収蔵されているという情報のある場所を一覧にしています。一応残しておきますけど──京都の諸寺にもこの後伺うことはありました。どこも蔵の中らしく,拝見することはてきないようでした。

【兵庫県】
・神戸関帝廟(神戸市中央区中山手通7丁目3-2):媽祖も祀る。
財団HP/関帝廟
http://www.zhonghua-huiguan.com/index.php?mode=kanteibyo
「向って中央には、両脇に養子の関平(右)、家来の周倉(左)を従えた主神・関帝を、右には聖観音像を、左には天后聖母を祭祀しています。また、入口を入った右側には福徳正神、左には玄天上帝(指南宮)をおまつりしています。」
【大阪府】
・道明寺天満宮(大阪府藤井寺市):媽祖像も祀る。通常非公開
【京都府】
・妙心寺霊雲院
・誠願寺 ※ともに通常非公開

末吉船はシャムへ渡ったか

 この行程で,梅田の本屋にて宋希璟「老松堂日本行録」※を買い求めています。
※1420(応永27)年に李氏朝鮮の回礼使・宋希璟(そうきけい,1376―1446)が室町幕府四代将軍・足利義持(よしもち)へ使いした際の日本紀行記。いわゆる応永の外寇(朝鮮の対馬侵攻)の翌年で,15世紀日本社会の多彩な様相を活写した日本紀行詩文集。
 海民の歴史は,本当に断片的情報ばかりです。この媽祖探しで痛感しましたけど……まさにネガティブ・ケイパビリティ(答えのない事態に耐える力)が必要です。ただそれがこの頃から,ゆっくり蓄積されていくようになりました。
 その中の一つでしょう。この時のメモに(やはり出典もなく)こんなのを書き留めてます。
「杭田(くまた)神社
 平野七名家のひとつ末吉家
 末吉船→17Cルソン,シャム」
 杭全神社(∶GM.地点)の地域,俗に平野郷と呼ばれる地域には,織豊〜江戸初期に確かに末吉家という豪商・代官が栄え,筒井順慶に引き立てられた後,秀吉・家康・(上杉)景勝からそれぞれ朱印状の類を得ていたらしい〔後掲wiki,関西・大阪21世紀協会〕。家康に進言して伏見に「銀座」を設け,慶長小判を鋳造した末吉利方や,「末吉船」による海外貿易を行ったとされる末吉長方(孫左衛門)や末吉吉康が著名。
 平野郷は堺と並ぶ環濠集落だったという。濠と土居を二重に廻らせる一辺約2.5㎞,総面積360haのもので,推定人口は約1万。
 海外の交易先には,ルソン,シャム,トンキンが挙がる〔後掲世界大百科事典〕けれども,その根拠史料ははっきりしません。
 ただこの末吉船を,絵馬に描かれたものが残っています。

奉掛御寳前 末吉船(1634(寛永11)年京都清水寺奉納)〔平野郷町誌,昭和六年〕

 これにより,長崎の末次船と同系の日本前型の大型商船だったものと推定されています。〔ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,後掲コトバンク参照〕
同末吉船(1632(寛永9)年京都清水寺奉納)〔平野郷町誌,昭和六年〕

 以上二点は京都の清水寺に残るものですけど,平野郷の地元・杭全神社にも同様の絵馬があります。
 これら全て,1620〜30年代のもので,末吉船が(少なくとも公に)活躍したのはいわゆる鎖国制度完成直前の20年ほどだったと推測されます。
杭全神社奉納絵馬(1627(寛永4)年平野屋源左衛門尉奉納)〔後掲ネコ三昧〕

 藤井寺市の道明寺は,平野郷から東南10kmほど。江戸初期の河川網が繋がっていたかどうかはっきりしないけれど,福建方面からの交易者が来訪していた可能性は否定しきれないのです。

媽祖は海域アジアの唯一神ではない

 当時の雑感です。いかにも拙いですけど,そのまま載せときます。
──台湾での媽祖信仰を体感した上ではっきりと言えることは,土地の庶民感情が媽祖に対してだけ「素っ気ない」ことです。
 水戸光國が広めた東国の媽祖信仰(青森などそれでは説明のつかないものもあるけれど)とは別に,日本西半分の媽祖信仰は,極めて無味乾燥な印象でした。
 驚くことに,それは沖縄でも同じ。奥武島のがまさに典型的ですけれど「媽祖像」がそこにあるだけ。渡来した中国人のコミュニティが専ら崇拝しているだけで,日本の庶民には海人も含めて全く根付かなかった。──これは日本に入ったキリスト教が,一時は独立国化するほどの信者を獲得したのと対照的です。媽祖行列がイベント化されてる長崎ですら,です。
 もう一つ典型的なのは,別に関西を回った際,文献にある大阪(藤井寺):道明寺の他,ネットでヒットした京都:妙心寺,神戸:関帝廟をも回ってみたけれど,道明寺と妙心寺のは蔵に眠ってて,拝む対象として公開されてるのは神戸の関帝廟のみだったこと。ただこれも関羽の陪神扱いですし,供え物からも熱烈な崇拝を受けているようには見えませんでした。
 ここから言えることはつまり──媽祖は海域アジアの唯一神ではない,ということです。
 伊勢や宇佐も日本の航海者の守護神と一義には言えないし,何より媽祖との習合信仰にはなっていない。宗像三女神でも同じで,仮に媽祖信仰と原型を同じくする同根の信仰だったとすれば,習合や乗り換えが起きているはずです。
 だから,海域アジアを形成する人々は,媽祖信仰の元にある人々だけではない。根本的に別の人々を内包しているとしか考えられない。
 では,このマージナルな人々は,一体何を共通属性とする人々なのでしょうか?

「m19Jm第二十九波m寂然と座するも妈祖でありませうm1那覇天妃 (ニライF70)」への2件のフィードバック

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