探検しに来たんジャネーどう?(失笑)
〔日本名〕沖縄県うるま市与那城屋慶名東藪地3458−2,標識名「藪地洞穴遺跡」
〔沖縄名〕同(読みは「じゃねーがま」?)
〔米軍名〕(1945.4.19占領)
看板横に非常に危なっかしい石段がある。
これを降りると左手に洞窟。1325,藪地洞窟遺跡に着いたらしい。
石段は右手にそのまま伸びて,これは海岸に出てる。でもまず洞窟へ,恐る恐る入る。
洞窟は左手にかなり深く伸びてる。
底が見えない。
橋を渡ってからアウトドア度がうなぎ登りに上昇してるとは感じてたけど,こりゃあ,ほとんど探検隊モードです。何か路線が違うぞ?
▲振り返ると危険箇所まである洞窟で,そんなことをしに来たんじゃないぞ?
藪地島-平敷屋の空白の軸
路線を矯正して沖縄Xモードにギアチェンジすると──洞窟入口正面に2柱の位牌が見つかります。
文字はあるようなないような。
それだけだな。でも,沖縄の拝所はこういう何も無いのが一番怖い。霊地であることは疑いようもないんだけど,ホントに洞窟がぱっくりという場所です。
今考えたら──工事?文化財指定されて初めての整備だったんだろうか?あるいは,洞窟の危険度が増して,それに対処するために指定を急いだんだろうか?
浜へ出る。
岩質が特殊なんだろか?沖も浜もガタガタの岩場です。海水浴にも漁業にも向かないと思う。この島に人が住まないのはコレが理由かもしれない。
ただ,漁ろう,つまり海藻や貝類を採るには良好な環境かもしれない。石器時代人には好まれた可能性はある。
船舶から見ると,この藪地島をいわば岬とする屋慶名側の方が港のようになってて使いやすい。
この両極が,聖と俗というより「野生vs世間」といったセンスの対立軸になってるのかもしれない。
橋の下にひっそり竜宮
そんな訳でやや覚めた気分で,ジャネー洞から引き返す。
橋を渡りかけて,バイクを急ブレーキ。右手脇に見えた看板,あれ「竜宮」って書いてなかった?
道の脇から降りていくと──
別に橋マニアではない。橋を左から右に潜る格好で道が伸びてたんである。
1355,橋の下に屋慶名竜宮宮──と思われる崖に着く。
これは…崖を無理矢理進めば宮に着くのか,それとも海中,あるいは船しか行けない崖の途中なのか?
海から豚が来た日
色々とお預け続きとなった藪地島からホントに撤退する。
──事前に,ジャネー洞を見つけた際,久高島と斎場御嶽の位置関係から連想して,本島側の航空写真をチェックしました。それで見つけてた平敷屋集落内の場所へ。
でもここ道が結構ややこしい。地図では太い道なりなんだけど,どれがその道なのか分からなくなったまま,高台に着く。──ここ,伏線です。
〔日本名〕〒904-2314 沖縄県うるま市勝連平敷屋3483及び54−3
〔沖縄名〕同
〔米軍名〕-(隣接の製糖工場は砲撃で破壊された戦争遺跡となっている。)
タキノーだと思う。この高台が。
1410。特に拝所らしきものはない,単なる展望台です。「Pigs from the sea」という碑がある。1948年に550頭の豚をハワイの沖縄系移民が輸送船で運び,平敷屋から上陸したそうです。
この後,この戦後すぐの新聞を読み込んだけれど,ハワイの豚の記事は見つけられなかった。ただ凄い量の援助物資が沖縄には流れ込んでる。それが密輸の温床にもなってるけれど,この豚はその後大事に殖やされ,4年で10万頭になったそうです。
贈るのが豚というのも沖縄的ですけど,それが一番琴線に触れて70年後に碑まで建てた,という受け手の感情も沖縄です。肉食の国で,確かに感激だったろうなあ。
※ 沖縄タイムズプラス/県系移民の沖縄支援を記念 「豚が来た日」ハワイで制定 到着70年の節目 2018年10月7日
「米国ハワイ州のデービッド・イゲ知事が9月27日を、ハワイの沖縄県系移民が送った豚が沖縄に到着したことを記念した“PIGS FROM THE SEA DAY”(海から豚が来た日)に制定」
平敷屋神屋は二度現れる
神屋の方に移動。集落を無茶苦茶に歩いてたら見つけ…ました!
1415。タキヤーの南100mほどの住宅地の中。神体1柱。小さいけれど厳かな雰囲気の場所です。
※ note/平敷屋神屋
「集落の祖人を祀っています。旧盆になると平敷屋神屋でエイサーが行われます。
平敷屋エイサーはエイサーの原型ともいわれ、100年以上の歴史があります。平敷屋の青年会は1番古い歴史を持つとされています。」
※沖縄タイムズプラス/観光客も絶賛 200年以上続く「平敷屋エイサー」の美学 2015年9月5日
「開演前から広場には県内外から約800人の観客が詰め掛け、古典の三線演奏や演舞の彩を堪能」
ということで平敷屋の二ヶ所にもお参りして,1423,帰路へ。
──と終わると「ええ~?」という声が聞こえそうなので,ここで旅という行為の深淵なる真相に触れなければならない。
平敷屋神屋は,(全く知らなかったけれど)沖縄で一番古いと言われるエイサーの中心地です。そんな大きな祭が続くお宮ですから,建物もそれなりで,ネットやGM.に載ってる写真はこれ。
──全然違うじゃん!
というか,こんな大きな社を,いくら道が込み入ってたからって何で見つけられなかったんだ?
あと…じゃあワシは一体どこを訪れたんだ?
いやあ,謎は謎を呼び,裕次郎は嵐を呼ぶのである。流石は沖縄最古の土地,侮れないな,わははは。
悔しいぜ。
と一言本音を漏らしてみましたけど,冷静に見てもこの土地は,不思議の場所です。
最古の石器。最長の歴史を持つエイサー。無人島と高台。思わせぶりなデッサンの線は残るのに,何を描いてあるのか皆目分からない。
ただ半島先端の疎らな家並みに陽光が眩く注いでる。
Xと言えばこれほどXな土地を他に知りません。
▲帰路にて。これはやはり「へんな」と読むのか?──とツッコんでるけど撮れてない。次のにツッコんだらしいです。なお,ホントに「へんな」でした。
■メモ:うるま市の文化財一覧
市のHPです。こう並べられると驚くばかりです。
ほとんどがこの東側,黒潮に乗って流れ着くエリアに集まってる。
それを傍証するように,宮城島から首里への烽火台が連なってる,という記事に特に目を惹かれました。平敷屋もその中継地になってる。
ここを海民の目で見れば,平敷屋辺りは間違いなく核になる要地です。勝連城の東前哨線としても非常に固い地域。
なのに沖縄戦では大きな戦闘は記録されない。宗教面でもローカル色が強い。歴史的にも空白が多い。
全般のストーリーが朦朧とした,何とも魅力的な時空を感じるのです。
※ うるま市教育部 うるま市の伝統文化/市指定の文化財
「宮城島のヒータチ(火立て)跡
(略)主に中国や西洋の外国船の往来を首里王府へ伝達するため、海上交通の監視・通報機能を担う遠見番所
(略)外国船が見えると烽火を焚き、宮城島のヒータチから平安座島のアガリグスクへ通報、平安座島から平敷屋のヒータチムイへ、そこから喜屋武マーブのヒータチムイへと次々に各地で烽火をあげ、首里王府へ情報が伝達」
At the beginning, I was still puzzled. Since I read your article, I have been very impressed. It has provided a lot of innovative ideas for my thesis related to gate.io. Thank u. But I still have some doubts, can you help me? Thanks.