Range(鴨脷洲・天后・北角).Activate Category:香港シン一次(04-2) Phaze:漁民

献句
としゃぶり蕃茄弾けて地を覆ふ
【本句】ひと口で蕃茄の雫腕つたふ 〔洗足〕(略)
※※(再掲)
 海仔 北京人が広東人を蔑む言い方とも言われるが、逆に広東人が(諧謔的に?)自称として用いている例もある。
 漁民 (広東)yu4man4 (仙尾)hi min
 蜑家 (広東)duan ka〔後掲PPW/深セン物語〕 (仙尾)tang ke 〔仙尾語は後掲稲澤〕

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渡船の鴨脷洲側乗り場

こっちから見ると今も十分に蜑民集落です。
とりあえず洪聖廟へ。
華庭街 Wah Ting Streetから東側MTR入口方向

1139華庭街 Wah Ting Streetでタバコ&地図確認。なぜか海浜の鴨脷洲風之塔公園は廟には通じてない。緑色の市場建物の南側から道が抜けるようです。
南にはMTRのマーク。
市場の南東側の路地

市場の南東側の路地

「毎隔1小時1消毒」(一時間おきに消毒)標語
漢族圏名物スプラッター肉屋

スプラッターと主婦(多分)。今日のお肉はどれにしようかしら?

同市場の野菜コーナー

南側から洪聖宮

洪聖宮とその背後風景

1149洪聖宮。二本の高いポールが天に伸びてる。何に使うんだろう。あるいは何の象徴でしょう。

正面香炉から本堂

香炉壇に「風調雨順」
対聯
右「功著平瀾水岸咸思隆廟貌」
左「恩乘廣利士民争楽答神庥」
洪聖宮本堂

左手に金爐。
御本尊の貌はやはりミャンマー風

大梵斗宮の神々

本殿左手「大梵斗宮」
大梵斗宮前で呪を唱える祭官

左奥は名のない仏。

右奥:黒顔、長髭の像

右奥にも名がない黒顔、長髭の像。
長髭の神像

右手にも長髭の神像。
棍棒と船模型

その手前に船模型と棍棒。
正面の獅子

正面の獅子の顔が謎めいてる。
左手入口に「洪聖古廟二百週年紀念碑記」

(略)公暦一七七三年清乾隆三十八年崴次癸已本洲居民達廟崇祀籍庇平安〔碑〕

廟記
1950年代的鴨洲洪聖古廟〔案内板/鴨脷洲洪聖古廟〕

建築為両進三開間式、両進之間的天井説有香亭、令廟宇免受風雨破壇。本廟結構軟為独特(略)〔案内板/建築風格〕

有説洪聖是「南海之神」、為華南一帯的神祗、於隋朝開皇十四年(594年)廣東已建有南海神廟、善信供奉祂以求舟楫安全、風調雨順。〔案内板/洪聖〕

洪聖廣利大王のお祭り風景〔案内板/洪聖〕

宮の正面方向

宮の方向はあまり特定できません。岬があったとすれば一種の関所的な場所だった可能性はあるのでしょうけど、それを過大評価するほど特殊な地形ではないと思えます。
宮正面の船溜まり

山手の教会方向

鴨脷洲の街角寸景

昨日の西貢の魚料理は涼瓜収䱽魚というものらしい。ググると「マナガツオ」と書いてある。
それもこの店にはあったんだけど、あえて別のに挑戦してみました。
洪聖宮の東外の店。地元度は高いけど観光客にもまあ慣れてる感じ。50HK$。
1248緑悠軒
3.豆腐火腩収敏魚 450
「敏魚」だけでググると──!!アラか?
緑悠軒の本日のNo.3 豆腐火腩収敏魚

うッ!美味い!!
アラのコリコリした歯応えにオイスターソース主体のソースがねっとり絡まる。
──この香港旅行の前一日を志賀島の昼飯に充てました。あそこのアラ炊きを食うためです。あれは魚の種類としてのアラだと思うけど……とにかくこの魚って広東にもいるもんなの?

豆腐火腩収敏魚どアップ

寧波以来ハマってるニンニクと生姜のみじん切りが入ってるらしいんだけれど、セロリその他の香草もじんわりと効いてるようです。──思わずスプーンを付けてもらったほど、ソースが凄い。
いやいや魚身自体が際立つからこそのソースです。あくまで淡白な味覚なのに妙に深い。
緑悠軒店内風景。前のオヤジはもしや……カメラ顔をしてくれたのか?

この店の一番には蒸魚としてかなりの種類の魚名がありまして、常連さんはそこから選んでるみたいでした。蒸魚は
蒸魚:ジュンイュー〔後掲まるこの生活〕

1.蒸魚 海鱸/金古/敏魚/紅彩/池魚/牙帯/沙鱸/據沙/黄[魚立]䱽/南䱽
※黒板の手書きからの写しだし、略字もあるかもしれません。

海鱸 ウミスズキ
金古 キンコ?カネコダルマガレイ?
敏魚 アラ min3yu4.:広東語
紅彩 コチ
池魚 アジ
牙帯 タチウオ
沙鱸 ボラ?
據沙 ?
黄[魚立]䱽 ?
南䱽 ?

市場脇の「漁民」アート

 もともと広東人は海産物を良く食べていた。
「唐以後、さらに中原では戦乱が続いていたが、広東地域は十国の南漢に統治されていたこともあって比較的安定していた。前述したように、中原の文化人が戦乱を避けて広東に移ってきた。これによって広東は中原の飲食文化の影響を受ける。つまり海産物主体だった広東に中原の獣肉文化が入ってきた。」1)
 人の移動により、海産物と獣肉の組み合わせが料理体系に入ってくる。そして、「明・清代に入ると広州を中心として何種類もの地方料理が完成した。」1)のように、広東省の中でも多様性が生まれていく。
「潮州料理はストレートに広東に入り、一方甘味料は上海から蘇州に流れていった。」1)海産物主体の潮州料理は、広州に伝わったものの、香港では主の広東料理の味付けとしては定着しなかったようである。
「香港経済の成長期に入って、その味わいの洗練化をどの高級料理店でも成し遂げた。70年代前半には、魚醤は放逐された。使うのは潮州料理店だけで、あとは東南アジアに流れ、その地での魚醤と同化していった。」1)〔後掲勝見←後掲東邦大学医療〕

※原参考文献 勝見洋一:中国料理の迷宮,朝日新聞出版,2009

蒸魚は広東料理の1つで、蒸した白身の魚にネギやショウガなどの薬味を乗せて醤油をかけた料理です。
スーパーに行くとこの蒸魚専用の醤油が売られているくらいポビュラーなメニューです。
(略)
2日連続で注文してしまいました
通常は2日続けて同じ店には行かないのですが、なんとなく行ってしまいました。でも飽きないようにちゃんと味付けを変えているので問題ありません。〔後掲まるこの生活〕

鴨脷洲大街寸景

かつて香港島の沿岸部にたくさん住んでいた船上生活民は蜑家(タンカー)(水上人)。蜑家の方言で「香」は「hong」、香港を英語で「Hong Kong」と言うのはイギリス人が蜑家の発音を聞いたからなのだ、という説も支持を集めています。(確証を持つには至りませんが。)蜑家は広東語系、同じく元船上民の「鶴佬」(ホクロウ)(福佬)と呼ばれる人たちは福建語系の方言を話し「香」は「hiaⁿ」~「hi oⁿ」、香港島の陸地の先住民は客家人、客家語で「香」は「hiong」。これに新界の広東語系方言「圍頭話」を話す「本地人」を加えた4つのグループが香港の先住民とされています。〔後掲PPW〕

仙尾において「漁民(himin)」という言葉が意味するものは大きく分けて二つある。一つは字義通り漁業に従事する人という意味である。もうひとつは、かつての「蛋民」、「水上居民」およびその後裔を指す言葉としての「漁民」である。広東省をはじめ、中国南部ではかつて船上生活をする人々を「蜑(蛋)民」「水上居民」などと呼んでいた。〔後掲稲澤〕

金鐘の地下からの長いエスカレータ

1422バスが分からずMTRで金鐘。
では天后へ向かうかね。港島線で東行。
華姐清湯にはいつも行列

華姐清湯は健在。健在どころか長蛇の列。
いいか、天后へ向かいましょう。
英皇道沿いにデカい天后廟道案内板。

英皇道沿いにデカい天后廟道案内板。迷いようがない。
天后廟道入口の坂道のスタバ

え?入口に天后廟花園……?でも「往天后廟道、途経天后廟」と書いてあって右を矢印が指してるからいいのかな?右折。

現在の建物は1868年に再建されたものですが、1747年(廟内の鐘が製造された年)にはすでにこの場所にあった歴史の長い廟で、海を渡ってこの地に奇跡的に流れ着いた香炉を記念して建てられたといわれています。この逸話は、英国領になる前の香港の旧称、「紅香爐(赤い香炉の島)」に由来すると考えられています。〔案内板(日本語)〕

登り階段から天后古廟本堂

狛犬と花園の高層ビル

正面香炉の炎から背後の高層ビル

対聯
右「特地顕英霊化被逢人歌澤渥」
左「配天昭厚徳恩深無蒙(?)不波恬」
右側の狛犬下に赤く塗られた「道光乙已」銘。
本堂の風光

中央左右に従神。天后像は見えにくい。肉眼でのみ見る。感じとして尊さが非常にホンモノっぽい。
祭壇に「民国廿六年重修」の文字。
財神爺爺の空間

左壇に財神爺爺。怖い貌です。
財神爺爺の御尊顔

包公爺爺の空間

右壇は包公爺爺。

右外に「戴福堂」という御札ばかりの空間。

百家神殿の神々たち

左外に「百家神殿」。文字通り神像だらけ。その他大勢という感じだけれどそれもまた荘厳です。
英皇道への下り道にて。香港名物・竹の足場

新世界発展再オープン予告:2026年

新世界発展は2026年までに建て替え中。
「咳・痰」と書かれた二階建てバスが通り過ぎていきました。

1550英皇道395 三徳素食館健在

1556書局街からトラム。跑馬地行きは割と空いてる。上環行きは混んでるみたいだけど……こっちに乗りたい。
木星街で座れました。やっぱりこの乗り物は宜しい。
通路の対面が日本人らしい。
スマホの電源が切れそうだけどコンセントを忘れて来てる。残り16%。やはりブラックアウト事件以後まだ病み上がりです。
1615銅鑼湾でMTR乗換。時間が遅いので中環で荃湾線に乗換える。これだけで確実に座れるんだけど香港人はまずやらない行動みたい。
やれやれ遠出になったなあ。

金輪大廈への登り口にて

金輪大廈金楼の脇にて

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