もう誰が何しててもわかんない
▲ 日本で「やおよろずのかみ」と言われても「とんだけ~?」といつ感じだったけど,マドゥライの街に住まう神サマは,マジで八百万とかの数になるかもしれません。
単体で見るとこんな感じ。
▲もうちょい引いて見るとこんな感じ。
どっかのステージに立つ踊り子って興奮ぶりですが,世界を舞台に踊っていらっしゃるのだと思われます。
▲もっと引いて見るとこんな感じに物凄くなって,もう誰が何してても分かんなくなります。
▲遠近感をつけて撮るとこんな感じ。
目立つ場所を確保(?)できた神サマはやはり何か得意げ…に見えるのは私の雑念の為せる業でしょうか?
▲垂直感をつけて撮るとこんな感じ。
「おいおい押すな押すな」とかト書きを付けたくなるのは私の不敬の為せる業でしょうか?
■比較:カジュラホのタッチに類似?
有名なカジュラホのカンダーリヤ・マハーディーヴァ寺院ほかの世界遺産「エロ・レリーフ」──というか,カジュラホのも実際見るとエロばかりじゃないんだけど──と,微妙だけどはっきりと違うのにお気づき頂けると思います。
① 現世的で明るい
いわゆるエロの過激度もその表出かもしれませんけど,カジュラホのは荘厳で成熟してる一方で,来世志向というか「死」を感じさせる。
マドゥライは,プリミティブな生命力があって,現世志向に感じます。
② 今もなお信仰の中心にある
カジュラホ寺院群は,おそらくチャンデーラ朝の一時期には,ヒンドゥー教の一派の信仰の拠点だったのでしょう。けれど現在は人口5千人の村です。
マドゥライは,中古代を色濃く残しつつ,現在も大都市です。そこで,過激な宗教としてではなく,日常の中で淡々と信仰されてる。
③ 包容力の懐の広さ
カジュラホの過激さは,それがチャンデーラ朝期に新興宗教として過激であった,というだけでなく,他の宗派に対する厳しい排他性も感じさせます。
マドゥライは何でもあり,と言っていいほど多様性をそのまま併置してる。非ヒンドゥー信徒も含む観光客を受け入れつつ,あれだけの深淵さを宿し続けてるのは,冒頭に書いたような日本の八百万神に似た豊かな包含力の証査です。
それはインドでは極めて特殊と言っていい。本稿がメインとするミルスの食感覚にも,その混沌の包容力のようなものが共通してるように,個人的には感じてるわけです。