本伝02章Step19.Our Daily Breadの衝撃!


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は,邦名「いのちの食べ方」と訳されてる映画だけど──食に関心をお持ちの全ての方へ,絶対的にお勧めしまっせ!
 映画館を出る時には,自分が何を食ってるのか?というイメージが全く新たに,しかもクリアに劇的に変化してしまいます!
 次のフレーズは監督のゲイハルターの言葉。「『有機栽培の製品を買い,もっと少ない量の肉を食べなさい』というのは間違いではありません。でも,同時にそれは矛盾していると思います。」
 減量生活で自分が何をやってんのか,やっと分かった気がした。

 注釈。ここ何章か,いわゆる「ダイエット」のことを書いてない。リバウンドがどうだろうと一瞬痩せりゃそれでいいなら不要な文章かも。
 けど…ホントにそれで安全??リアルな現状認識と嗜好の転換なしでは怖過ぎる現状だってわしは感じる。この映像を見てからはなおさらね。
 「いのちの食べ方」に役者は出てこない。セリフもない。
 食品生産の現場の,おそらくそこの労働者にとっては日常的光景が延々90分続く。さすがに画面構成は美しいけど──途中だけ見るとNHKの社会科教材と間違われても仕方ない。
 これほどの衝撃作品にも関わらず,撮影中取材拒否した食品会社は皆無だったという。
 これだけ聞いてどんなイメージを持たれます?北海道の牧場で牛の鳴き声が響くぽかぽかの昼下がり?山形の水田で列を成しての田植え姿?
 …違うの。例えば冒頭のシーン。何百頭という豚の枝肉が吊された室内で,垂れてくる血や廃液をジェット噴射で洗い流してる。
 豚さんが一列になって鉄の通路に追い込まれてく。その通路の先に,1頭ずつしか入れない機械の穴。そこに入った豚さん,悲痛な叫びとともにお亡くなりになる。機械が開き,片足を吊され,コンベアで運ばれて別の機械に入り,体毛を焼き落とされる。コンベアのさらに先で,機械で腹を裂かれて内臓掻き出され,解体される。
 一番印象に残ったのは,同じ作業を牛さんでやってる作業員さん。コンベアで吊されて回ってくる牛の図体を,電動ノコで縦に切断してる合間,携帯を取り出して喋ってる。
 「未来少年コナン」で悪の管理社会インダストリアの三角塔では食べ物は全て工場で化学合成される。わしらの食ってるモノは,実は見えないだけでそれと大して変わらない。原料こそ生身の生き物だけど,工場で作られてんのには変わりはない。
 「お百姓さんが八十八の手間をかけて育てたお米」なんて類いのものは,わしらの食卓には普通には並ばない。あるのは大量消費のために大量生産された工業製品。
 この映画,BGMは一切ない。最初から終わりまで機械音が続くだけ。エンドロールですらBGMなし。映像が終わっても続く金属音が,この映画の唯一のテーマ。

 結局,僕らに健全な食生活なんて望むべくもないんです。いや…それ以前に,現代人にそれを望む資格はないの!
 正直,減量生活で一番思い悩んだのが食事の質。あらゆる健康本の著者が,それぞれ別のことを主張してる。タンパク質中心がいい,いや日本人はご飯だ,雑穀はミネラルたっぷり,ほうれん草の鉄分でポパイになろう,大豆でイソプラボンを,野菜でファイバーを,黒酢飲んで元気になろう──そういえば岡本太郎は体が弱ると薬としてビール飲んでたって。
 だからどうすりゃいいの?全然分からんじゃないか!
 しかし,この映画見てキッパリ諦める気になりました。工業化後の国家に軒を借りてる限り,少なくとも当分の間は健全な食生活なんて期待したって無駄。
 日本人の食生活が何で肥満を呼んだか思い出して欲しい。大量生産と大規模流通,そして炊飯器での調理で扱いにくい玄米を精米し,白米を主食にしたために,杯芽が持ってたミネラルを欠くからいくら食べても腹が減る。だからおかずを増やして補おうとして,幕の内弁当みたいな高カロリーの食事が一般化したわけ。カロリー過剰なのにミネラル不足,胃拡張なのに満腹中枢は満ちないって肥満への悪循環は止まりゃしないんです。
 要するに,キーワードは大量供給!巨大な人間集団を養うための均質で多量の食品を供給するシステム。それは悪ではなく,巨大な人口の維持を維持する仕組みとしてはむしろ非常に優秀だ。しかし,品質の面では小規模供給に比べ必然的に劣る宿命を持つ。
 分かりやすく言えば,単独の食堂とチェーン店の差。食事の供給システムとしては,頑固親父の経験と感性が幅をきかせる単独の食堂は見るからに無駄が多いですよね?日によって味も違う。注文取りのおばちゃんもよく間違えるし,時々ゴキブリも出没しちゃう。
 チェーン店なら各パートの役割はしっかり分化し,テキパキと手際よく作業が流れる。注文は復唱してくれて,伝票で確実に管理され,スマイル0円で床はピカピカ。
 しかし,ほとんどの場合,単独の食堂が支店を出した途端に味が落ちる。──なぜか?
 大量供給というメリットを得るために,何も犠牲にしないことはあり得ないからです。例えば,支店での調理はいくらかは必ずマニュアル化される。食材は大量納入される。小規模なら頑固親父の感性で微妙に日々なされていた味の調整が働かなくなる。ありていに言えば,料理の質へのこだわりが絶対に薄れるんです。
 薄れた部分がどこに現れるかによって劣化の度合いは違ってくるけど,劣化することに変わりはない。
 食品供給も同じこと。質は必ず劣化する。
 その状況を嘆くかどうかは個人の勝手だけど,重要なのはそういうことじゃない。その恩恵を受けてしか生存できない立場に,わしら工業化後の人間集団は立ってるって事実。
 ハンバーガーばっか食べる食生活は避けるとか,もろに悪影響を引っかぶらないように注意するくらいしか出来はしない。何より!工業化以前のレベルで健全な食生活を求めるなんて,どの面下げて言えんの?
 既にわしらは,生まれついて工業製品を食う生物として育ってきちゃってる,現代の新生物!今更何をうろたえてんの?そこらへんは腹を据えて,健康法の百花繚乱にオロオロするのは止めようじゃないッスか!

 現代人としての減量。やっとその定義が理解できた気がします。
 現代の食生活は,何も考えずに食ってれば確実に太れる地球史にかつてなかった有り難いスタイル。食品供給のシステムがそもそもそういう風に出来てる。
 したがってそのシステムの中で減量するってことは──システムを必要最低限のギリギリんとこで欺くってこと!
 完全に反逆する必要はない。脱サラしてファーマーになるとか,有機農法の店で高い野菜しか買わないってことじゃない。DVDと携帯とPSPを満喫しながらそんなことやるのは,恥知らず以外の何者でもない。
 ただ,システムが持ってる肥満のトレンドをちょっとだけ賢しげにすり抜ける。──メガチーズバーガーの高カロリーを毎日は食べないとか,腹一杯になりたきゃ野菜のスープで満たすとか。
 1500kcalの栄養管理ってのは,少なくともわしにとっては,そんな風にシステムからちょっとだけズラして生きるライフスタイルの一側面です。