▲陽光注ぐ。アポステル駅前のイタリアン zwolf apostelでビジネスランチを頂きましたお席にて。
ベルリン下町を自転車で走り抜ける。昼下がり。
途中,何度となくペダルを止めてしまう。このエリア,ホントに美しい生活感を持ってる。
基本的には集合住宅エリアらしい。北部と違い,開発のやり方が日本的。ズドンと伸びる太い道路をほぼ方状に配置し,しっとり落ち着いた各ブロックを包囲する。社会主義的な
旧東独側らしい。広い車道と車道の間に,
落ち着いた,旧さと新しさ,緑と人工が渾然一体となったいい空気の街路が続きます。アパート然としてるし,ヒトラーとともに一度灰燼に帰したベルリンの戦史を考えても,戦後作られた,おそらく東独の集合住宅でしょう。それがこんなにしっとりとした空気に満たされてるのは,生活者のスタイルから滲み出てるとしか考えられない。
鉄道の調整区だろか。一度,谷のような地勢で数本の線路を越えてく橋を渡った。人工的な高みになったここからの眺め。その両側へ続いた,少しレンガ作りの家並みが連なる坂道。この辺りの美景が一番に脳裏に残ってます。
ミッテ南側に出るとこの社会主義的な空気ははっきりと途切れる。しばらくSバーンの斜め下を併走。まっすぐ東へ伸びる二車線道。
Sバーン自体はかなり古いもののようで,駅舎も高架も,暮色を帯び始めた日照に黒く鈍い輝きを放つ。
トルコ系の住民が多い地区らしい。ケバブ屋と酒場兼カフェが増えてきた。チャドルの女たちも行き交うようになった。さっきと全く別の意味で生活感が滲み出てる雰囲気がいい。
Sバーン道から逸れて少し奥に入ってく。Winnerstr.…あった。アパートのエリアらしく,街路樹豊かな落ち着いた空気だけど,治安は少し疑わしい。
目的のカフェ,Johann Roseも…あった。店の前に自転車を止めて,いざ入店…というタイミングで初めて気付く。
お,折れとるがな!!チャリのチェーンのキーが…!!
金属製の太いキーだったんだけど,よっぽど老朽しとったんかいな?まあ,とりあえずお茶でも飲んで落ち着いて…って!?これじゃ自転車盗み放題やがな!!
自前のチェーンは持ってきてるが宿のリュックの中。盗難の確率がどうか知らんが,鍵無しでレンタルものを放置して安心してカフェ出来る図太さは…わしにはないッス。
この際,自転車チェーンをどこかの百均で買って…って発想に全然至らなかったのは,やはり動揺してたからなんだろか?それに…どこで買えばいいかちょっと見当は付かんかったろうし…。
ああッ!!古ぼけたアパートの一室,謎めいた暗めの照明,外面だけでもスンゴクいい感じのカフェだったんだけど…泣く泣く諦めて,折角見つけたお店を背にしたんでした。
そう言えば…貸し出し時にキーのデポジットを50ε払ったよな?てことは,これで返す時に「Sorry」の一言を吐いてしまえば,50ε札がサヨウナラになっちゅう恐れがあるぞ!客観的には,どー考えたって老朽化してた鍵を貸したレンタル店側のギルティになるはずないが…。
少し東で,橋を渡る。この辺りがベルリンの壁のラインだと思う。
オスト駅のそばでSバーンの線路を超え,環状線を形作る大通りをひた走る。自転車専用レーンが延々続いてて気持ちよく快走。環を1/4周する形でSenetelderpl.(正確には間違えてEberswstr.に出てから一駅帰った)に帰還。
ふう~!走った走った!
しかし!!!油断するのは早い!
自転車を返す。謝意を匂わせず,いかにも「金出して借りてんのに困るよキミい!!」といった上から目線かつ一方的に腹立たしい的な雰囲気で,でも語彙はないから「壊れました」と告げる。
するとカウンターのお兄ちゃん,クイッと肩をすくめる。え…!?それだけ?次には当たり前そうに50ε札を,デスクに乗せてこちらへ押しやる。…いいのか?
あまりのあっけなさに出口そばで煙草を吹かしてたら,施設係らしきオッサンが出てきて「こりゃダメだな」みたいなことを言ってる。一度館内に戻って手にして来たのはデッカいベンチ。おもむろにチェーンをぶち切って,はい終わり。
責任追求型のヤネコイ白人観念は,ドイツではそれほど強くはないのかも知れない。一件だけで分からんけど,彼らの淡白な合理主義なら確かにさもありなんという気がします。
簡単に言えば,日本人のセンスからして――ドイツ人って白人種の中では例外的なほど付き合いやすい人たちみたい。
まあ白人に限定しなくても…これがインド人とかアラブ人だったら…金取られるかどうかはともかく,1時間は取られたと思うし。
夕暮れ。SenefelderplazからU2でSohonhauser Alleeへ2駅。
「China box」でついに買ってしまった。
Tohubox M
Vegetarsch mit Reis ONUDELN & Verschiedenen Gemuse 3.50ε
市内あちこちで見かけるテイクアウト店。絶対子供だましだと思ったけど…まあ味的には子供だましより少し上。まあ捨てるほどじゃない。
カリーヴルストと同じニーズらしい。ベルリナーの自律的なセンスは盲目的に新奇を追うようなのとは異質だし,おそらくアジアン・スパイスの存在そのものに新鮮な記号と見るような,ごく率直な「東洋趣味」みたいなものを感じました。
そんなこんなしてたら黄昏がいよいよ濃さを増す。目的地へ急ぐも,路地に入ってまた寄り道しちゃう。
Asia Markt Frischekorgen 1.79ε/kg(Deue-)
Frische Feigen 0.39ε/個
モッツァレラのジェノベーゼ和えに見えたパック一つ
店名通り経営者は中国人みたい。アジア平均よりははるかに片付いてるけど店内もそれらしい雑然さ。ただし,肝心の売りものにはあんまりアジアンな色彩なし。後で食ったとこでは,まあ旨くてタマランもんじゃなかった。
ただ,この界隈のチャイナタウン色からだろか,暮色の演出がかかってるからだろか,夕食の買い物客の往来が多かったからだろか,妙に印象深く脳裏に残る路地散策でした。
さて,ホントに急ごう。目的地,今回のベルリンカフェ巡り中の最高峰となりました,珠玉のカフェへ。
Lettestr.6――公園緑地の北側のちいさな路地,路駐の乗用車の並ぶ道。あちこちのレストランが赤色灯で魅惑するレター街の6番地にそのカフェを見つけることが出来ました。
店名Wohnzimmer。日本語ではウォーンツィンマーと書かれることが多いみたい。
間口3mほどでややゴテゴテとショーケースやらが並んでて,見かけ狭苦しい感じ。けど入ると…奥は二間がぶち抜きになってる。意外に広いんである。
手前の間は賑やかな若い観光客が何グループかいたんで,当面静かそうだった奥の間へ。
ソファに身を沈める。思い出したように疲れが寄せる。――居心地が良すぎる。窓からと赤色灯とが交錯する,ごく自然な柔らかい採光。調度も,ソファと机の高さがどうもチグハグだし決して高級じゃない。おそらく中古の寄せ集めなんだけど,とにかく自然で力が入ってない。
考え難いほどの空間の居心地の良さ。――コンクリート剥き出しの床。地面には不規則な滲み…かと思えば,外周にはバラの模様がかすれながら巡ってる。壁には,タイル,ガラス,洗面所,ランプ,グラス,花瓶とムチャクチャな配列。ガラスもランプも違う形態のがバラバラに配置。調度だってそうだ。2つ,3つと同じ椅子,セットらしき机があるけど,隣の机とは全く違う。真ん中には柱を巡るソファがあり,そこにどっち向きに座るかで全く違う机につくことになってしまうわけで。
意外なのは。雑然と配置されたかに見えるそれらが,一つの音楽,一つの照明色の下に置かれ,なぜか整然と,いわばコスモスを作ってしまってる。
世界を感じるような心地良さ。「みんな違ってみんないい」より,もう一歩先の統一感。みんな違うからこそ一つのリアル,とでも言うような――。
さて。オーダーが来た。▲(今回最高峰のカフェにつき前頁に続き再掲!!)WohnzimmerのTages TarteとMilchkaffeeTages Tarte
Milchkaffee
4.20ε
タルト。ごく当たり前のチーズケーキに見えた。口に含むとムチャクチャにレアなチーズケーキ生地。美味い!けど,でもこれは日本にもあるよな…と思った途端。
全く異質な味覚が,霧の中からヌッと顔を出すように…!?
胡桃の酒漬けらしきもの。チーズケーキ層の底部に,ちょっと紫黒い層があるのがそれだったらしい。
チーズケーキ生地と全く異質なんである。けれど,これが,どうやってるのかメチャクチャにピュアな味わいで…最後にはレアなチーズの味にきちんと絡まってく。2本の螺旋構造が1本の紐を形作るように。
最後の頃には,むしろこの胡桃の層こそが主役のように思えてきた。チーズケーキの女性的な美しい甘酸っぱさの霧の向こうから顔を出して来る,ゴツゴツした男性的な豆臭い味覚。
いや,逆に味わうこともできる。チーズケーキの女性が朧な余韻を残しつつ,胡桃の男性の影に楚々と隠れていく。
にしても。これきっと――日本人の発想だったら,チーズケーキのレアさか,あるいは胡桃の迫力に,ストイックに特化させてしまうんじゃないかな?
この,異質をそのままに絡ませてコスモスを作ってしまう,あるいはコスモスと呼んでしまう感覚――そういう,日本人的には「荒技」を軽々しくやってしまう。それがドイツ…かどうか全然自信がないけど,少なくともベルリナーのセンスなんじゃないかな?
そんなことに,この「雑然として整然としてる」カフェ空間とダブルイメージになって思い当たったベルリン3日目の黄昏時。
ふと腕時計を見やれば,7時が近い。この空間にもう1時間半以上,たゆたってしまってる。
店からは何も言ってこない。
わしより前からいる客もまだいる。誰も去ろうとしない。
そういう空間である。そこに佇むことが引力を持つベルリン・カフェの場。
けれど,そろそろ帰ろう。
M1でミッテまで動いて,あえて下車。
昨日と同じ道を,今度は7時過ぎの遅い時間にStatmitteまで歩いてみた。歩かずにはおれない気分になってた。
ベルリンの夜も今宵限り。
東京もニューヨークもベルリンも,今の地球上で優れて世界性を帯びたスポットです。
東京では世界の部分の孤立を,ニューヨークでは離叛を感じる。
けれどここ,ベルリンでは――部分と部分の調和を感じることができる。あるいは,調和の可能性を信じることができる。
Friedrichstr.の黄昏を南下してる途中,昨日目に付いたDussmannというCDと書籍の店に誘い込まれた。
WohnzimmerのBGMにドイツポップスが流れてた。独特の…硬質な飛翔感みたいな耳ざわり。その記憶に導かれて,CD2枚を購入。
Friad Gold:Juwel,2011
Hagen,Nina:Rangeh’n-Das Beste Von Nina Ha,2004
どちらも全く知らないシンガーです。Friadは試聴で選んだ。Ninaはカバーケースに印刷された表情と目の色で。
書籍コーナーではさらに2枚の絵葉書購入。ドイツの絵葉書は,やはりセンス的に意表を突くのが多く,これまで10枚近く買ってる。
今回選んだ2枚はいずれもブランデンブルク門でした。
一枚はマンガ。目つきの悪い熊が2頭,血のように赤い背景の前に立ちつつこっちを睨む。遠景に揺らめくブランデンブルク門。
もう一枚は――日章を遠景にしたブランデンブルク門の前の石畳。世界各国からの観光客が飛んだり跳ねたり…って実写真。写真だけど少し加工が入ってる。加工はあるけど,確かなタッチで希望を描いてる。
希望でスタートした街は,こんなにも飄々としてるもんなのか?
▲同じくアポステル駅近場のCafe Zillemarktの道造のお席にて
この4点を購入しながら,もう一つ,重要なことに気付いた。
昨日から回ってるベルリナー独特のカフェセンス。これは,当たり前だけど,ドイツの伝統って存在じゃない。
ブランデンブルク門で東西のドイツ人が狂喜した1990年から後――素地はあったにせよ本格的には,この20年で創出されたものとしか思えん。
世界中が変化を実感できたあの年から,ちゃんと世界は動き続けてる。大統領が変化を連呼しないといけなかったアメリカや,あの年からおおよそ淀み続けてる我が日本では感じにくかっただけで。
それは戦慄ですらある。――これほどにも,この20年で変化した,あるいは創造していった街もある!
素直に悦ばしいことじゃないか!!
さて。では次の20年,ベルリンは,ニューヨークは,上海は,そして東京はどこまで変われるか?何を創れるか?――あなたはどこにレイズするのか?あるいは,その変化と創造に関与するのか?如何に如何に!?
てとこですけど,ま,今これだけは確実に実感してるわけです。
どこかで必ず変化は生まれてく。
どこかで絶対に何かが創造されてく。
それが自分の身近だと,やっぱりハッピーだわなあ…という淡い期待も添えてしまいますが。
▲この日訪れたアポステル駅近場のCafe Zillemarktだったと思う。男子トイレ表示。そのヒゲは何だ?なぜに兵隊さん?しかもムチャクチャ暗い?とかツッコミ出すと終わらないが,当面の問題は――何の表示かちょっと分からんぞってことでしょうか?
§SixWord:ああ,人生の甘美なる果汁,コーヒーよ。