外伝05O・紹興其之一ヰ 安微浙江遠討編・星期一 ヰ
山笠過ぎし倭国に食らう

▲上海[立占]の動車組買票所(切符売り場)。日本感覚だと怖じ気づいちゃう行列だけど,昔に比べりゃはるかにマシになった。回転も格段に早いから15分くらいありゃ買えます。
 技術的には自販機化は簡単なんだろけど…中国全土の鉄道事業従事者が蜂起したら政府が転覆しそうだな。
 ということで文面とは関係ありませんが,本章の写真は中国動車組(新幹線)シリーズです。

 最近,帰国直後に食いたくなったものも含めてその旅行じゃないかと思えてきた。
 追い山の駆け抜けた後の,虚脱感一色に染められた博多の街にて。帰国後迎え食編です。
 まずは,最近外す気になれない博多のうどん。観戦場所から宿までの間にあったウェストへ入る。
(累計▲109kcal)
7月15日(月・祝)
0600ウェスト
おろしぶっかけ480円300kcal
 コシを削いだもったり麺を,八基の山の勇姿の名残とともに飲み下す。

■レポ:平成25年追い山タイム
【櫛田入り】
〈1〉東流32秒06
〈2〉恵比須流32秒45
〈3〉西流33秒18
〈4〉千代流35秒08
〈5〉土居流35秒41
〈6〉大黒流36秒29
〈7〉中洲流37秒33

【全コース】
〈1〉東流28分49秒
〈2〉千代流29分43秒
〈3〉大黒流30分2秒
〈4〉土居流30分37秒
〈5〉西流30分40秒
〈6〉恵比須流33分10秒
〈7〉中洲流33分46秒

▲動車組車内。これは安微行きの無座(指定席なし,立ち席)の時に有座(座席予約客)を撮った恨めしい一枚。

 少し朝寝して11時40分,警固交差点,泰元食堂へ。
ランプ1500円 750(1050)
「赤身なのにサシが柔らかい上質な部位」とある通り。脂を感じないニクニクしさは確かなのにサックリ歯ごたえ。
 ただまあ…これを珍重する感覚は限りなく日本人的だと思う。中国人なら固いまま煮込むか刻むかするだろし,欧米人なら固さを気にしないだろう。アフリカなんか硬くて噛めない肉が出るらしい。

 12時半,六本松の三和珈琲店へ。九州で最高の珈琲を飲ますと信じる店。
スペリオー700円0
 このメニューは初めて注文した。
 淡く焦げたような香気が口中にぼっと灯が点す。それが味わってるうちに何とも不思議な一種の甘さを帯びた味に思えて来る。そして全てが喉に落ちた先に,蜃気楼のように立ち上る重厚な苦味。
 くう~!!たまらない一服です。少なくともアジアでは,日本ほど美味い珈琲飲める国はないかもしれん。

 13時20分,思い直して警固までもう一度帰る。
 物産館みたいな不思議な店,Farmへ。
□ブドウとくるみのパン×1/2
□ベーグル(プレーン)
□野いちごジャム(唐津)
□味噌漬豆腐(五木)
 13時半。魚が食いたくなってしまった。王丸食堂へ。
いわし煮付定食 950円550(1600)
⊃小皿2点(おきゅうと,ナス味噌)
 みりんの甘さと生姜の辛さを帯びた醤油ダシが,10匹ほどの小鰯を包んでる。
 福正と同じに真っ黒にまみれたように見えて,鰯の身にはごくあっさりとダシだけが染みてる。結果,醤油味のパンチは余韻を残しつつダシとともに尾を引き,その中に鰯一匹まるごとの雑味に満ちた複雑味が朴訥に立ち現れる。
 これを国内で見れば,京都にはない西日本の田舎の味覚です。それが最も胸を張ってるのが博多だというだけ。
 では,国外で見たらどうだ…!?
 最初のパンチの「醤」を例えば魚香に変えたら,その味わいが尾を引きながら材料の元味に交代するあの構造は,浙江や安微の味にそっくりなのではないか?
 中華の菜系から見た西日本の田舎の味。そしてそれを日本人好みのエッセンスに昇華させたのが京都の味――だったとするならば。
 つまりです。
 まず太古,江南から西日本に広がる古い味覚の食文化圏があった。それは醤が尾を引く味覚の文化圏。
 大陸のそれはインドの影響を受けた四川の香辛料文化とそれぞれ独自な融合を遂げ,現在の中華の何本もの流れを生み出した。
 一方,東の島では他に混ざることなく寧波に近い味覚を純化させ現在の和食に結集した。
 より大胆に言えば──香辛料の流入以前の古い長江流域の中華料理の「生きた化石」としての日本料理。
 いや,そこで言う中華料理とは,倭人を含む海人族が主体となった環・東シナ海文化の料理だったのかもしれないが。

 14時半,いしむら赤坂店で和菓子を三点。
水蜜桃210円
メロンふわり126円
抹茶鹿乃子336円 320kcal
日計1920kcal
累計+11kcal

▲列車到着直前のプラットホーム。無人のホームがぬぼうっと人で埋め尽くされる景観はなかなか壮絶だけど…せめてコーチ番号を表示しといてくれよ。

■レポ:長江文明
(出典はともにwiki)
[概要]
・黄河文明が萌芽する遥か前より栄えていた。
[仮説各論]
□夏王朝中心地=長江流域説
・夏王朝の始祖とされる禹が南方出身であるとされるため。
・浙江省紹興市郊外にある陵墓が禹のものであるとされる。
・その他傍証
§戦国時代同地を支配した越王勾践が,禹の子孫を標榜
§夏の桀王が史記(鄭玄注)等で淮河と長江の中間にある南巣で死んだ記録有
▲有座だった上海行き車内。

(続き)
[地域文化]
□ 良渚文化
・浙江省(銭塘江流域)に存在。
・紀元前5260年~4200年※頃に栄えた青銅器以前の文明。多数の玉器の他,絹が出土。分業や階層化も行われたと見られ,殉死者を伴う墓が発見されている。
※以前は文化形態から大口文化中期ごろにはじまったとされたが,1977年の出土木材の年輪分析で改められた。
・黄河文明の山東竜山文化との相互関係が窺える。衰退時期が同時期である点からも,少なくとも何らかの共通原因が疑われる。
□ 三星堆遺跡
・紀元前2600年~850年に存在。
・大量の青銅器が出土。他に目が飛び出た仮面・縦目の仮面・黄金の杖など。
・子安貝や象牙なども集められており,権力の階層があったことが窺える。
[徽州文化]
・歙県を中心に安徽省南部から江西省北部にまたがる地方
・貧しい山間部であったが,その住民は逆境から立ち上がり行商人として身をおこし,新安商人(徽商)として中国各地で活躍。
・1987年,中華人民共和国国務院の批准によって徽州地区を撤廃,当時県級市の屯渓市(のちの屯渓区)を中心とする地級市・黄山市が成立。

▲紹興北[立占]。動車組(新幹線)専用駅です。本編で面食らって書いてる通り,タクシーで30分の北郊外にあり,一見何でこんなとこに?と常識を疑うような場所です。
※後日談:本文で「動車組」と呼んでる中国新幹線,確かにまだ贅沢な移動手段だった当時はこう呼んでました。大陸津々浦々に新幹線が走ってる現在は「動車」(ドンチョ)と呼ぶことが多いです。念のため。