FASE95-3@deflag.utinaR411withCoV-2_BA5.2#十数へたら北山を知らぬくに\謝名の村

▼▲1411鶏さんの畜舎の三叉路。右へ。ここから突然集落らしくなる。▼▲

1413急に集落らしくなる。

集落で初めてトラックと出会う。

1415集落の旧家のお庭を覗く

十字を右折。1417公民館
謝名案内板。時間がないので撮影。

公民館案内板のマップ

公民館案内内の謝名の歴史(上半)

公民館案内板の謝名の歴史(下半分)

(先史時代) 大島原の周辺に、貝塚時代の土器や石斧やすリ石などが出土する。
  グスク土器や磁器などが出土し、グスク時代には人々が住んでいた痕跡がある。
  ウタキ(お宮)を背に南斜面に集落が発運する(大島原)。
1648年頃 「絵図郷村帳」に「謝名村」とある。
17世紀中頃(略)大島原から仲原(ナーポロ)に集落が発達していく。
1712年(略)謝名村にアフリノハナという所あリ。昔,君真物出現の時,この所に黄の冷傘(ウランサン)が立つ時は,コバウの嶽に赤い冷傘が立つ。またコバウの嶽に黄色の冷傘が立つ時は,この所に赤い冷傘立つという伝えがある。(「琉球国由来記」よリ)

裏にサンゴ岩の塊があるけれど拝まれてるかどうか分からない。

思いを込めた「今帰仁」ポスター

「交差点事故多発 一時停止」停止させたいのは事故か,その多発か?

~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
GM.(スポット:大島原と推測する場所)

〔参照①今帰仁村/今帰仁村の集落・謝名
URL:https://www.nakijin.jp/pagtop/rekishi/shuraku/802.html

乙羽岳の麓にある字(アザ)である。古い集落は大島原にあり、御嶽や神アサギがある。御嶽を背にして集落が南斜面に展開する。

②今帰仁村謝名/謝名の香炉,2004
URL:https://yannaki.jp/zyana1.html

謝名には大島原があり、そこの集落はプシマーやウプシマーと呼んでいる。プシマーは謝名ムラの集落の発祥地である。ウプシマーの集落は後方に御嶽(グシク)があり、その南斜面に集落が発達している。そのウプシマーには神アサギやニーガミドゥンチや地頭火神などの祠、祭祀と関わるサンケーモーが今でもある。

③仲原弘哲(今帰仁村歴史文化センター),上間恵子(今帰仁村文化財資料整理),仲里なぎさ(海洋博海洋文化館)「今帰仁村字謝名のアヤーチ(操り獅子)調査報告」
URL:https://yannaki.jp/aya-tisisi.html

集落があるのは、東仲原と西仲原でナーボロ(ナカバル)、大島原にウプシマ、前原にメーボロ、そして上手名原にウイジャナの集落がある。ウプシマは御嶽や神アサギなど拝所があり、謝名村の発祥と関わる古島タイプの集落である。ナーボロ(ナカバル)はウプシマからの移動や分家筋の人々が集落を形成している。

GM.アースで見る大島原の拝所らしき場所

GM.アースで見る大島原の神アシギらしき場所

もう一軒旧家を覗く

1444今帰仁村役場前バス停に帰り着く。高速バス乗り場とはとても思えないバス停です。しかも……この奥から運天港よりのバスが来るんだろうか?
バス停・今帰仁村役場前

1458バスが来ると,対面に着いた瀬底島-古宇利島バスからスーツケース持って降りてきた空港へ行くという中国人らしき男女が,ワシを押しのけて乗っていきました。
えらく観光地になってるらしいね,このエリア。
乗るや否や冬眠に入ったように昏倒する中国人客

ここの高校の名前の由来がやっとわかった。「北山」高校──学校名にしてでも北山の栄光を文字で残したいのである。
けれどそれは現代にあってどういう今帰仁の情景を指すのでしょう。沖縄共通の難題がさらに色濃く覆い被さる中で,とりあえず今帰仁は観光的に成功してます。
諸志共同売店が見えた。
帰路の車窓から(今帰仁の森)

モトブリゾート何とかの正面には藪の中にゴロゴロと亀甲墓が見えてる。この一体はどうやらそういうエリアだったから「空いていた」,つまり無主地のままだったところ,近代法制上は購入対象になっていったのでしょう。中部は,その辺りの「防衛」を米軍政時代に公園化(又は知事公舎化)などの手法で行ってきた。でも北部は,そうした免疫が非常に弱いままの土地で,そこに今後米軍と外資と観光客が雪崩こんだとしたら──。
帰路の車窓(本部港)

せりかくののろの
あけしのののろの
あまくれおろちへ
よるいぬらちへ
うむてんつけて
こみなとつけて
かつおうたけさがる
あまくれおろちへ
よるいぬらちへ
やまとのいくさ
やしろのいくさ
〔おもろさうし第14巻。※文意(推定):今帰仁勢理客の神女アケシノが、本部半島嘉津宇岳から通り雨を降らせて鎧を濡らし、運天小港に到着した日本の軍勢に(撤退させるための)士気を下げる呪いをかけたもの〕

帰路の車窓(名護湾沖合)

3時間足らずの今回の今帰仁を終えました。
一緒に乗ってきた中国人は動きもしない。空港まで眠りこけてると推測されます。

焼き肉もとぶ牧場というチェーン店は名護にも進出してるらしい。
1612名護市役所下車

帰路の車窓(名護の上の雲)

宮里そば:早めに店仕舞
パイ工房:定休日

サンエーに行ってみると「よもぎ小束」が一束残ってた!!あとゆしどーふも!!

ようやく購入できた県産よもぎ

さてそれでだよ……。
名護でそばを食べない?それはないだろう?ということで,自転車返した足でここしかないとこへ。
さくら食堂の「スタミナもやしそば」

1703さくら食堂(市営市場)
スタミナもやしそば400
ここしかない……といいながらどうも足を踏み入れかねてたお店です。ただ割と

驚いたのはスープ。何人もが言ってるとおり,沖縄そばの出汁にスキヤキたれか何か分からない「二郎」的な怪味が混ざることで,何か超越した味覚になってしまってる。

汁どアップ

「情報どぅ宝」というCM
 
帰路の路地裏にて

今回の宿のロゴの下に今時珍しい二宮尊徳翁像

名護の街に夕闇が下りる

よもぎとゆし豆腐がこんなに相性がいいとは…… ※多分,内地には植物検疫上持ち込めません。

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