宜名真公民館,共同売店,そして神社。「沖縄本島最北端のお宮」と旗。
左手にサッシの豪勢な祭壇。神棚の三枚の紙に書かれた文字,おそらく神名は少しずつ異なる。その前には7体の仏が並ぶ。不思議な祀り方です。
左手二塗る棟目はどうも内地式。スルー。
正面は東屋のような建物。位置的には本殿のはず。
奥の戸が明らかに意図的に開かれていて,どうやらそれが御神体だと言ってる。つまり遙拝所です。
裏へ回る。1122
右手に小社。鏡の奥は観音らしき新しい像。
奥正面には二柱の平岩。手前の4本の樹木は結界でしょう。
右手「地頭火神」
左手「恵比寿大明神/混比羅大明神/大国大明神」それぞれ紋が冠されている。
両者は僅かに方向を違えている。火神が真西向き,ヤマト三柱が西南西でしょうか。本殿の方向及び隙間から見えるのは前者のようです。そのようにして,本来の根神がそれであることを伝えたのでしょうか。
「御朱印・御守りはお隣の共同売店にてお求めいただけます」
1140再走。あれ?トンネルがあるじゃないか。──宜名真トンネル。
1151バス停・北国小中学校入口。時刻表は貼ってない。静かです。
残42km。バッテリ表示が70%になった。宜名真は「ぎなま」と読む(道路表示)。
1156兼久橋。大石林山を東南東に見る。凄まじい原野の広がり。山麓を回る道はやはり遠回りのようでこれが一番近いらしい。
静寂の正午。奥からだろうか,チャイムが微かに聞こえる。
十字路。もう直進しかない。
1208大石林山の真北地点。その「戻る道」って看板は何?何が1.6km……?
バス停・辺戸岬入口をスルー。1210,残38km。風さやか。
1217義本王の墓──標高100mッ???
それほどじゃなかった。ぜいぜい。
義本王は沖縄最初の王統である舜天王統の第三代目国王で,西暦1249年に即位した。
しかし即位した翌年から大飢饉・天変地異・疫病が起き,これは自分の不徳によるものであると王は次期王統の創始者である英祖を召して国政を代行させたところ,病気もやみ国が治まった。義本王は在位11年で英祖に譲位し,その後のことは伝わっていないとされる。(略)
墓室内中央に大型の厨子甕が安置されており,これは明治の改修時に尚氏から送られた(ママ)五尺の大陶棺と思われる。〔案内板〕
香炉の左右に湯呑,壺各一。
本殿壁面は切込積😗。屋根も極めて精緻な造り。
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※ところどころの訳の分からない文字は,片道70分のウォーキング(次章{急}編参照)中にポケットの中で何者かが打った文字……なのでその神威ゆえにそのままにしてます。
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