m432m第四十三波m誰が影か後へ後へと迎王船m2興漁街四宮

東港東隆宮前庭の中央を密かに分かつ水路

西の広場半ばに水路。何かの象徴ですけど、想像できません。
今年の請王は9/28、送王は10/5
王船正面

入口左に王船大爺という祠。船が収めてあります。南側に大爺祠。──そう言えば本殿に、迎王の主役・大爺はいませんでした。
王船左手下より

瀬戸内と同じく眼が両側にある。
迎王船、右手下から

南行すると川沿いの船溜まり。1328
実際の漁船には眼はないようです。
新溝に並ぶ漁船群

新溝の漁船とテーブル

1336東港黒媽媽食堂
黒鮪飯+魚肚湯(半)370
東港黒媽媽食堂の黒鮪飯+魚肚湯(半)

鮪は相当部分が缶詰みたいな醤油煮なんだけど、ほんの少し別の、何かコリコリした部位が混ざってて缶詰じゃないと分かる。
やっぱり写真写りは極めて悪いけど……魚肚湯の魚肚

魚肚湯は先のよりさらに魔術的な旨さ。何なんだこの軽みの極の魚味は!これは大にすればよかった!
前に二弾重ねになった腕を伸ばした漁船

1411しんどいけど港側へ歩いてみることに。興漁街。
両腕を長く伸ばすようなこの漁船の装置は何だろう?イカ釣りの類にしてはランプがないから網だと思うけど。
興漁街徳隆宮

左手に徳隆宮。西面。
興漁街玉勅震靈宮

左手に玉勅震靈宮。これはなぜか北面。東隆宮の方角でもない、王船の着く辺りを向く。
興漁街玉勅震靈宮を正面から本殿

興漁街の植木から覗いた船溜まり

興漁街玉[上/日]共明堂前から豊漁橋

興漁街玉[上/日]共明堂

1426玉[上/日](卣?)共明堂。これははっきりと西面、つまり海と逆を向いてます。
玉[上/日]共明堂の漢字が乱舞する「のれん」

文字が多くて分からないけれど邪府千歳とあると思う。「◯◯千歳」が各宮の枕言葉として定着してるんでしょうか?
仮装写真①

祭(迎王?)の時の仮装写真が数点。何を象徴させてるんでしょう?
仮装写真②

玉[上/日]共明堂の憤怒像群

1437憤怒像が多い。左端が本尊。
と思えば手前はえらく情けない。
玉[上/日]共明堂の憤怒してない像①

玉[上/日]共明堂の憤怒してない像②

東聖宮の脇道をバイクが走り抜ける。

道はこの宮を避けるように左へ回って続く。1440
四つめの宮。これは西面、海を向く。
東聖宮全景を西手前から

東聖宮。これには朱府千歳とある。
本殿正面

本殿拡大。上部の龍とのコラボが冥い怖さ。

宮脇の裏出口からの光景

東聖宮脇から豊漁橋

豊漁橋東から対岸の古厝

1448豊漁橋が近づいた。対岸北側に古いレンガの家並。
この橋が越えれないからか、橋の向こうは本格的な漁船を連ねる漁港。

新溝が豊漁橋から北西では東港港に変貌する。

1454延平路を北東行。
朝隆宮の道です。またランタンが下りはじめました。
福安宮脇から豊漁を振り返る。

1457福安宮
1502朝隆宮を過ぎる。
1505中山路に右折。
中正路をまたいでからその先の路地へ左折。これで東港市場のはず。
かなりデカイ。時間的にほぼ閉まってるけど朝は賑わうはず。
六合自助も閉店でした。右折。
新基路の「恭迎朝隆宮天上聖母」の横断幕

三百年目を記念する朝隆宮天上聖母の東港中区巡行が初日の夕方でした!

──何でFacebookの写しをつけてるかと言えば、かなり疲れて気絶寝してしまっていたからで、要するに気力が持たずに三百年に一度を見逃した──とは口が裂けても言えません。
まあ、何だ、それはともかくだ。
新基街と同78巷の十字路から北へ伸びる路地あり。試しに入ると右へ湾曲。
護国佑氏の祠

1557護国佑氏
右聯「将威顕赫鎮新厝」
「大地霜威凌草木」
左聯「営中談笑静風塵」
「軍令厳明安海疆」
 何か怖い対聯、よく見えない暗がりの御神体に、やや慌てました。
アパートの中の完全な私道内です。こんなところにこんな宮が……というよりこんなところになる前からの宮なのでしょう。北東に抜けるとほぼ宿の真正面に出れました。

どうやら──この町で美味い魚を喰うなら、早朝らしい。早寝を徹底できれば三食チャンスがあるということです。魚湯とか飯湯とか言われる未知のものがあるらしいんですけど──なぜか日本語サイトではほとんど扱ってません。ただし、台湾での扱いもかなりミーハーなものなので〔後掲瑪格、TVBS〕食文化としての注目はほぼされてない。
なので明日は6時出になります。寝よう。
幸い、トッケイの泣く饒舌な夜です。

AIに訊いてもこんなもんです。

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