第十三日
《’24歳末南西海岸#13》エディゲッチナ・プデチゲ▼▲キムチチムの日에서草場▼▲アンチャンマウル\釜山最終日
あくまでも:エディゲッチナ 어디까지나
【本句】休暇果つ濁水を吐き出す花瓶〔水沢〕
(夏井)濁るの意図?←鬱々。濁水と作者の想い
吐き出すの意図?←花瓶の残骸、濁り。作者の複合動詞による吐き出したい意図
(村上)総合1位
※くそうず:石油の古称で、草生水とも呼ぶ。越後地方で原油を指す言葉として使用。越後では古くから灯火に利用されており、江戸時代末期にはカンテラという灯火具が販売。また、水をはじく性質があったため防腐剤としても利用。《日本書紀天智天皇7年条の越(こし)の国から燃える水を献じたとの記事から、臭水の発見は、今から約1500年前とするのが通説。
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釜大ではなく、jungang-roの정상식당ジェンサン食堂を訪ねてみる。国際市場からすると北東外れのこのエリアが、こんなにシャレたことになってるとは思いませんでした。寺があること自体知らなかった。エラく不便なとこに店出したもんだな、という印象しかありませんでした。
市内離脱リミット15時と考えて、残り四時間。
1100 정상식당 チェンサン食堂
김치찜 キムチチム 400
店内には三種類メニュー。雰囲気は同じで韓屋イメージ。
대청로を中央駅まで歩く。
昔の船入国時代の懐かしい中央駅で、トイレを借りておく。
1204中央駅ホーム。
眠気が来る。でもこの登りだけはしておこう。벙일凡一駅……じゃない벙내골ポムネコルへ。
12195番から出て동구1──このバス停か。このバスしか止まらないはずが別のルートも止まる。緑色のミニバンか。1225乗車
残り2時間か。
まず線路を越える。
おお全く知らない坂じゃ。ただ古さはないか。
1233下車。광명사という寺の前。何というかこんな日本的な慎ましさの韓国寺を初めて見ます。バス停名がよく分からないので
[KakaoMap] Gwangmyeongsa Temple
46, Anchang-ro 14beon-gil, Busanjin-gu, Busan
URL:https://kko.kakao.com/tBhT0iDJON
---後でkakaoを見るとバス停はないのですけど、確かにこの寺対岸に降りたのです。
川下の안창로10번길へ降りて進もうか。いやXしてたのは川向こうです。
橋を越えて路地へ右折。
ad.언창로10번다길Anchang-ro10beonda-gil
1244ad.10beonda-gil3
実際は地図にない分岐だらけ。
危険マークが表示されてる。どうやら取り壊しを待つ地区らしい。
上にも보각사という寺。その正面から再び集落へ。ここからは取り壊し区間っぽく無い。1252
ad.10beon-gil53。다「da」がなくなりました。あれれ、ここは打って変わって普通の路地。
車道を越えて対面に入っても同じ感じ。
1304 ad.12beon-gil10-2
車道に出る。この対面にも육지장사という寺。このエリアは一体何でしょう?
1313バス停。안창마을입구 AnchangVillageEnt.──アンチャン村入口?
もう一度右手西方路地へ。ad.범상로43번길
1327ここにも약호사という寺。
バス停・삼화약국から 29路でポムネコルへ。すぐ後から来た1-1でもよかったらしい。
このエリアに長い路地がないため選択から漏らしてきたんだけれど、どうもその構造そのものに理由がありそうです。今日の見聞が偏ってないなら、これらの丘には小さな村が散在してたのだと思われます。それらが釜山の暴走により飲み込まれて現在に至る。
──といった妄想中についうとっとしてポムネコル駅を寝過ごす。西面東で下車、図らずも久しぶりの西面を歩く。──垢抜けたなあ。もう博多の親不孝通りみたいな風情です。
と思ってるうち、寒さからか食べ物の油断からか第二弾の便意。何とかたどり着いた西面駅のトイレへ。
1406西面ホームからようやく釜山駅へ。
追加3千₩を払いリュック回収、1425再び1号線で西面へ。

ううっ!
折角取った窓際席に、窓がないぞ!こんな席ありうるの??
着いて出てきたバックの中がぐちゃぐちゃにかき回され、何がどこなのか分からない状態になっていた。大韓航空はやっぱ何か怖い。こうしたからには何か指摘があっても良さそうなもんだけど、それもなしに、普通に渡してくるのが凄い。


何とかマスタードかつサンド(割引)。閉店21時の1時間前から割引開始なので丁度通りがかりでゲット!
ブリかま煮付け(貝汁変更)
目録
■附録:非差別論的「ウヨンウ弁護士はExtraordinary 」論
この韓国旅行中は完全に中国連続ドラマ「三体」にハマってたんですけど、ドラマ系がお好みとGoogleロボットに誤認されたらしく、韓国ドラマが高ヒットするようになってしまいました。その期間に見つけてしまったのが「ウヨンウ」でして──ホントにブームだったのは数年前で、全然遅れた記述なんですけど、なかなか唸るところがあったので附録的に書かせて頂きます。
障害者の物語を差別抜きに語る
標題にも書いたように、ここで差別論を論じる気は、毛程もありません。むしろ、「ウヨンウ」が反差別論に軸足を置いてないところが、この文章で拍手を送りたい点です。
見方によるでしょうけど、韓国は差別大国とする見解はポピュラーです〔後掲産経〕。控え目な言い方をするなら朝鮮民族が96%を占める「多様性の乏しい国」ですけど、この比率だけなら日本の日本民族もほぼ同率※。ただ問題にされることが多いのも事実ですし※※、実際の旅行時の実感としても感じることは多い。
※※後掲産経は「ソウルにある公的シンクタンク『ザ・ソウル・インスティテュート』の2015年の調査によると、ソウルに住む外国人の94・5%が人種差別を経験したと答えていたのです。一方、日本では、今年の法務省の調べで、人種差別を経験したと答えた在日外国人は全体の30%でした。」とし、「2014年には、人種差別に関する国連(UN)の特別報告官、ムタマ・ルテレ氏が韓国における人種差別や外国人排斥の実態について調査。その結果、韓国に対し、人種差別を禁止する法律を制定するよう促(うなが)した」とするけれど、韓国は差別禁止の基本法として「国家人権委員会法」を有する(日本には不存在)。また憲法11条1項に差別禁止は規定されており(日本国憲法14条と同等)、少なくとも制度的に差別大国にはならないよう韓国行政が補完の努力を続けていることは確かです。
それだけに、韓国の言論人の反差別は意識化されてるらしい。ウヨンウ10話で知的障害の女性と健常者の男性との性的関係が性犯罪か愛情か、というストーリーが、ウヨンウ自身の恋愛ストーリーと平行的に描かれた際、賛否両論が乱れ飛んだそうです〔後掲韓国朝鮮 社会と歴史のトリビア〕。
ただ、このストーリーが差別論的議論を生むことは、製作側も予期していたでしょう。ウヨンウの多くのストーリーと同様、この10話も実際の裁判例を元にしたドキュメンタリー性の高いものだという。つまり、ウヨンウ製作陣は、差別論的攻撃を恐れずにリアルの追求に徹したのです。
韓国人の「異常」感
ウヨンウ製作陣のかくの如き勇気に共鳴して、以下、さらに非差別論的に書き進めたいと思います。
日本語題「ウヨンウ弁護士は天才肌」は、かなり差別論的に日和った訳です。原題「이상한 변호사 우영우」を、韓国語に弱いなりに調べてみますと──
※元漢字「異常」
변호사∶弁護士
우영우∶ウヨンウ
ハハングルが元漢字とは別の意味を持つ場合もあり得ますけど、次のとおり用例を見る限り、「이상한」(イサンハン)については、日本人が使う漢字の「異常」とほぼ同義です。
・재수가 없으려니까 별 이상한 사람을 다 만나네요.
ついてないと思ったら、変な人に会うもんですね。
・살다 살다 별 이상한 사람을 다 보네.
生きてきてこんな変な人は見たことない。
・많은 사람 겪어봤지만 저런 이상한 사람은 처음이야.
たくさんの人とお付き合いしたけど、あんなおかしな人は初めてだよ。
・이상한 사람이 저를 위아래로 훑어봤어요.
変な人が、ぼくのことを上から下までじろじろ見ました。
・이상한 사람으로 백안시당하면서도 꿋꿋이 그녀는 오로지 연구에 몰두했다.
変わり者として白眼視されながらも屈せず彼女はひたすら研究に没頭した。
なお、英語訳は「Extraordinary Attorney Woo」。この場合の「異常」に当たる「Extraordinary」は、英語表現としては原語イサンハンほどマイナスのイメージに特化してはいません。
(略)
【形容詞】
(more extraordinary; most extraordinary)
1異常な,風変わりな,とっぴな.
用例 an extraordinary event 異常な出来事.
2並はずれた,驚くほどの.
用例 a woman of extraordinary beauty まれに見る美人.
3【限定用法の形容詞】 (比較なし) 臨時の.
用例 extraordinary expenditure [revenue] 臨時歳出[歳入].
4【限定用法の形容詞】 (比較なし) [通例名詞の後に置いて] 特派の,特命の.
用例 an ambassador extraordinary 特命(全権)大使.〔後掲weblio/英語〕
もう少し辞書遊びにお付き合い下さい。繁体字「異常」に相当する大陸中国の簡体字「异常」は、メジャーな語義としては日本の「異常」と同じマイナスイメージです。
ピンインyìcháng
1形容詞 (顔色・表情・精神・行動・音声・におい・雰囲気・状況・光景・現象・変化などが)尋常でない,異常である,ただならない.⇒非常 fēicháng .
用例
他的行动有些异常。〔述〕=彼の行動は少し異常である.
会场 chǎng 里的气氛有点儿异常。=会場内の雰囲気は少しただならない.
脸上泛出异常的神情。〔連体修〕=顔には異常な表情が浮かび上がる.
某些动物在地震之前出现异常反应 yìng 。〔連用修〕=一部の動物には地震の前は異常反応が表われる.
他的心脏没有任何异常。〔目〕=彼の心臓には何の異常もない.
至今没有发现任何异常。=今までに何の異常も発見されなかった.
异常的变化=異常な変化.
异常现象=異常現象.
〔後掲weblio/中国語〕
けれどもマイナーな語義には、驚くべきことに、明らかなプラスイメージの用例があります。
用例
这件事使他们高兴异常。〔述〕=この件は彼らを殊のほか喜ばせた.
犀牛虽然凶猛异常,但它的眼睛很小。=サイは凶悪この上ないが,その目はとても小さい.
3副詞 (多く複音節形容詞・動詞の前に用い)この上なく,殊のほか,非常に.⇒非常 fēicháng
用例
清晨的山村异常宁静。=早朝の山村は非常に静かだ.
这句话异常确切地说出了人民的意志。=この言葉は非常に的確に人民の意志を表現している.
屋里异常地潮湿。=部屋は非常に湿っている.
异常安静=殊のほか静かである.
异常危险=非常に危険である.
异常激动=非常に感動する.
异常兴 xīng 奋=この上なく興奮する.
〔後掲weblio/中国語〕
何が言いたいか、ご理解頂けるでしょうか?「異常」がマイナスイメージ一辺倒なのは、原題イサンハンの韓国と、日本だけだということです。「天才弁護士ウヨンウ」ともせず、「天才肌」などという半端な訳をしなければならないのは、日本語訳の際だけのそれこそ異常な対応だったということ。
知的バトルの物語を許容する韓国
韓国は、実力主義の社会です。韓国の大学生は、就職と、就職後の競争のために死に物狂いで勉強します。もちろん大学に入るまでの競争も、日本並以上にはあるわけですけど。
結論から言うと──障害者共生後進国だった韓国は、競争の現場において、
それは日本のようなバッシング型の鬱鬱とした差別論ではなく、高機能自閉症※を一つの「知性」として捉える、知的財産重視の姿勢とも捉え直せます。──もちろんこの捉えだと、知性の露出方向が法学など社会的に有意な方向に向かなかった自閉症者、そもそも何ら高機能と見なせる面を持たなかった知的障害者は、差別の中に一層固定され続けるのでは?という見解もあり得るでしょう。ただ、それこそ日本での山下清のTVシリーズで描かれたような、芸術面での露出も考え合わせるなら、知的障害そのものが健常者(メジャーな知の所有者群)とは違う知性という意味で一種の天才という捉えも可能な訳です。全ては韓国での障害者共生の今後の流転如何でしょう。
テスラ社等CEOのイーロン・マスクさんなど、高機能自閉症を公表している著名人もおられます。専門家の知見では、特殊相対性理論の構築者アインシュタインも該当すると見られています〔後掲療育求人ガイド〕。ただし、上記のように障害の概念そのものが再定義され続けているのですから、アインシュタインは自身をそう自認せずに生きたのでしょう。
ただ、アインシュタインに関して言えば、この障害者の知的爆発なくして現代物理学への跳躍はあり得なかった訳です。──知性は本来、全方位に弾けるものだと思います。そのうち、たまたま現状の打開に有効だった、もしくは現在の観衆が有効と認知できたものが「機能的」と定義されるけれど、知性の本性からするとそんなものが生成されるのは偶然または付随的な結果に過ぎません。多分、知性は自由を原形態としてます。
「ウヨンウ」に原作はないそうです。ただし、エンディングのテロップ中に「エピソード原作」として次の3点が掲出されてます。〔後掲ハンギョレ新聞〕
・シン・ミニョン弁護士『なぜ私は彼らを弁護するのか』(ハンギョレ出版、2016、1・3・6・10話)
・チョ・ウソン弁護士『一つの喜びが千の悲しみに勝つ』(ソサムドク、2022、4・11・13・14話)、
・シン・ジュヨン弁護士『法廷の達人』(ソル出版社、2020、7・8話)
うちシン・ミニョン弁護士はドラマをこう評します。「感情に訴えるものや正義感に頼りがちなこれまでの法廷ドラマとは違って、『ウ・ヨンウ』は弁護士らしい論理、現実に合った具体的な根拠を提示する」
この点は、例えば日本のHEROなどを思い浮かべると歴然とします。「ウヨンウ」のハンバダ・チームは必ずしも勝利しないし、一方的な善でもなく、それなりに汚い手も使います。ドキュメンタリー的な構成法により、知性のバトルフィールドとしての法廷劇が自然に映像化された、ということのようです。
こう考えていくと。ほぼ毎回のストーリーの盛り上がり所となるウヨンウ弁護士の「閃き」シーン──頭の中で鯨か跳ねる。手の込んだ事にこの跳ねる映像が毎回違う──こそがこのドラマの「主役」のように思えて来るのです。障害者差別の論理を超越した知性の物語として、ドラマを描き切った制作陣もだけれど、それを許容した韓国人社会もまた、我々ニッポン人が想像し得ない高みへ飛翔しつつある……ように感じたのでした。
AIが代替できない知的活動は、現在は障害者と区分される「天才」的知性のみが担う時代を、彼らはもう幻視しているのかもしれません。