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博多ふ頭への帰路便 625 645 735 800 1020 1100 1220 1315 さらに6便
1010志賀島。桟橋からまっすぐに鳥居
志賀海神社参道とある。いきなりか?
家並みは何の変哲もないように見えます。
突き当りに神社。登り口に「志賀町役場庁舎跡」碑がぽつりと建つJA駐車場。
入口に砂を持った石枡。チェンソーを鳴らしてたお爺さんが砂を左右の肩に降って禊いで行けという。山笠などの浄めは,港の「干魚」看板の裏手だとのこと。


御祭神 久那土神・天磐楠船神・迦具土神
御神徳 入口の神として邪厄を祓う
不忽来社・船玉社・愛宕社の三社が雁の巣にあった航空隊の奉安殿移築とともに合祀された社〔案内板〕

1040万葉歌碑「ちはやぶる鐘の岬を過ぎぬともわれは忘れじ志賀の皇神」(すめがみ)
鐘の岬は現在の宗像市鐘崎の織幡神社が鎮座する岬で,対峙する地島(じのしま)との間の瀬戸は航海の難所でした。志賀島から船出して奈良の都へ向かう官人が詠んだものです。〔案内板,2004年福岡市教委〕
けれどなぜ志賀の「皇神」なのでしょう?
1047石像宝篋印塔。1347(貞和3)年造立年を基礎に刻む。「完存する宝篋印塔としては県内最古」(福岡市教委)
1053山之神社。これらは全て海を向く。
御祭神 大山津見神
(略)
おこぜやあらがいを供えると,その顔立の悪さを見て滑稽に思われ,快く願いを叶えてくれる
又,財布を供えて願い持ち帰ると財が貯(ママ)とも云われ,幸福の水先案内の神として信仰されている〔案内板〕
本殿鳥居前に石の太鼓橋。1059。元はこれを渡らせることで,神域に入る覚悟を決めさせる装置だと思う。
境内右手に巨大な地下トイレ。なのに便器は一つ。
左手に今宮神社。御祭神は「宇都志日金拆命,住吉三神,天兒屋根命
安曇磯良丸命をはじめとする神裔安曇諸神」
神功皇后三韓出兵の際に出現された安曇磯良丸命は,当地龍宮より干珠満珠を借り賜って海上指揮に仕えたと伝えられる〔案内板〕
奥に八つの末社。左から
①熊四郎稲荷社
祭神 宇迦之御魂神
②秋葉社
祭神 火之迦具土神
③松尾社
祭神 大山咋神
④磯崎社
祭神 少彦名神・大己貴神
この社だけが家屋風に大きい。右手に岩。1124
蔵を挟んで
⑤荒神社
祭神 奥津比古神・奥津比賣神・火産霊神
⑥祇園社
祭神 建速須佐之男神
⑦大神宮社
祭神 天照大御神・豊受大神
⑧惣社
八百萬神
「往時に祀られていた三七五社余りの末社を合祀した社」
本殿下「鹿角庫」
戦国時代には多くの戦国大名が御神威を賜わろうと鹿の角を奉納し,遠くは加賀藩より奉納されたという記録が神社の古文書に残っている。この奉納は先の大戦前まで続き角の本数は一万本を超える。〔案内板〕
4/15・11/15に山誉漁漁祭(やまほめかりすなどりさい)
元旦にはライトアップあり。
本殿入口右手に灰皿あり!
1157 海鮮レストラン遊
アラ炊き御膳(アラ汁)550
志賀島の魚が旨いとは聞いてたけど,そうは言っても福岡中央から直線15kmの場所です。市内とそう大差あるはずがないとタカをくくってました──西日本各地でアラ炊きと見れば食ってきたけれど,これは凄かった。多い!濃い!さらに……旨い!
二匹分使ってあるのは讃岐房前の雑魚屋のぶり大根並みです。それがしっかりと生臭い!新鮮という以前です。
九州の本来のアラ炊きは,おそらく京都人とかからすると完全な悪食だと思う。かつて鹿児島のじゃこやで出してたドス黒いアラ炊きに,遊のはかなり似てる。似てるけれどもしっかりと出汁も出てる。要はこの量,この素材で,かつ確実に旨いのです。
バスと航路で片道90分かけて来る価値は──確実にあります。

【同GM.の共感したコメント】志賀海神社がかつてこの場所にあったとしたら、場所を変えて大正解だと思います。この場所は中津宮よりも陰の気が強い。という事は、きっとこの辺りはかつて古墳群だったのかもしれません。ということは、この辺りは神域というより墓石群だったということになります。なので、色んなものがいます。行く人は覚悟して行ってください。心持ち次第では痛い目にあいますよ。パワースポットだと思って行ったら憑依されたなんてことはよくあります。この場所にいるものは願いなんて叶えてはくれない。寧ろ試します。
また、この場所は学校近くで駐車場もありません。きっと地域の方が大切にしている。大事な場所。なら、観光地にはするべきじゃないですよね。この前は海沿いの山の方で無法者がバーベキューをしてた。ゴミもそのまま…枯葉の上で火を焚く、最悪だと思いました。きっと、この辺の人はそんな問題と向き合ってきた。
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