Range(利東-元朗大井).Activate Category:香港シン参次(52) Phaze:大井横洲


献句 :漱石の脳が遺りて此の海路

1130MRT利東駅の坂道は辛い人生を連想させるので、落ち込んでない時に登りましょう。

利東站の長いトンネルを登ればそこがホーム。九月は「世界予防自殺月」なんだって。1135発。
世界自殺予防月イベント広告

三駅で金鐘。
1148。東鐵線には普通に(地下鉄間の)乗換え可でした。ファーストクラスにだけ気をつければいい。
會展(エクスビジョンセンター)という駅が出来てるから、二駅で紅磡。既に立ち客がいるけど、まあ空いてます。
地下鉄移動のエスカレーターにて

さてと。今日はいよいよ「元朗の海民の海」を見ることになります。
初回(5年前)に元朗舊墟路から山貝村を目指し、広大な養魚場を横目に亀甲墓の斜面にたどり着いたのは、失敗どころか元朗を拓いた初めの魚民の土地に至っていました。それがどういう意味か、理解するだけの情報のストックに欠けていただけでした。
内部リンク:Range(元朗).Activate Category:香港九次 Phaze:元朗山貝村
URL:http://yanben.sakura.ne.jp/d-yuki/2019/02/4150
──と語る今も、実はギリギリここまで到ったというところです。元朗大井村に天后がある意味が、次の文章でようやっと理解できました。
跑遊元朗十八鄉 (82) - 天后誕會景巡遊,涌口村花炮會 | tEre-tErRiTOrY
URL:https://blog.terewong.com/archives/17263

涌口村昔日位於南生圍渡頭沿錦田河一帶,由十八鄉漁民所組成的村落,包括木屋與住家艇等居所,在四、五十年代已經存在,居民大部份在后海灣當漁業捕魚工作(略)〔後掲跑遊元朗十八鄉 (82)〕

この文章は自身が十八郷に近い人が著しているからなのか「漁民」の語は出ても差別的な「蜑民」語は登場しません。「住家艇等居所」という文字が、膨大なブログ中に一つだけ見つかりました。
現・元朗駅から700m北から広がる養魚場は、永く、家船浮く海民の地だったわけです。
亀甲墓の丘は、まさに今帰仁の海岸墳墓を連想させるのです。
南生圍と元朗の位置関係は、浦戸と高知市のそれににています。
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1226元朗
74小公乗り場へ。
17上水ばかり?場所が違う!
壽富街のミニバスターミナル。5系統ほどのミニバスが発着してます。
74A?朗屏邨と書いてあるけど(これが横洲を通る?)……いや74が来ました。乗車。

元朗壽富街の74ミニバス乗り場

福順街(表示は盛屋村)まで。一応3駅9分になってます。13時ジャスト開車。
川沿いを北行して安寧路へ右折。大橋村ゲート脇から北行、さらに左折しMRT直下の朗業路から右折宏楽路へ北行。停車するでもないのになぜこんなルートを?
この辺りの「アパート」にも全てゲートがある。つまり元の圍の進化らしい。
あれ?川沿いに出てる?工業頓を回って北西行してるらしい。ネスレ工場前。
よし道なりに左折。1313下車。
大井天后廟と指差しマークのある道

家屋は新しい。とりあえず大井天后廟と書かれた方へ。
大井天后廟との指差しマーク道から振り返る

え?山あいなのか?1324振り返り一枚。裏手へ回るも駐車場。いやこの道は?
大井天后廟から北への道は微高地を越えて──
1324「警告」表示のある私有農地へ

「警告 多悪犬 私家地 勿進入」つまり農地らしい。要するに宮はかつての海岸線から微高地を越えた場所です。
大井天后古廟入口

天后古廟。概ね──南面?北へ祈る方向です。
右聯(紙:神存四海)「大徳長存垂萬古」左聯「井里永和利三村」(紙:福澤三村)
大中門に

庙宇大中門
供菩薩出入
為保存靈氣
平時要関門〔案内板〕

とある。そういう意味なのか?

左後ろ角の神像群

左後ろ角に神像群。
内部の左壁に

大井天后廟 在同治弐年 由三村先人捐款重修 歴時數百年歴史 現因破爛 由三村村民發起重修 己於一九八一年中 拆除重建 現己落成誌慶
  建廟委員會委員(略)〔案内板〕

またすたれたので1981年に元の建物を撤去して立て直した●●●●●とある。

中央媽祖像

左壇・金玉満堂。右壇にも同じ文字。中央、小像を含め古いものはない。ただ両側虎爺はいる。
中央媽祖像の向かって左側の虎爺

左手に爆竹を鳴らすひっかけ器具はあるから三村の祭事は行われているらしい。
爆竹鳴らし用きっかけ器具

1354帰路へ。
盛屋村と表示のある公園。廣陵堂というのはこれか?
廣陵堂とカジュマル

大きなガジュマルの向こうに2階建て。その前に上半身裸のゴツい兄ちゃんが座ってる。手前にバスケットコート一面。バス停側に小さな祠。
ガジュマル下の祠

ミニバス74路線図

1402再び74に乗る。さっきのルートが実働ラインなら横洲の脇を通るはず。──結果的には、先に横洲へ乗ればすんなり回れたんだけど。
しめた!帰りも工業区!
1412GM.だけを頼りに下車。
1413横洲東の「湾」から北を見る。

東は川というより湾。その証拠に降りると潮の匂い。──そういえば先の大井ではこの匂いはなかった。
西へ。表示は横洲東頭圍。あれ?小公が出ていった?

大井村集落手前の小店

公園と横洲東頭脇村公所。横道を覗くと圍っぽい。
横洲東頭村公所建物

領域公告図上の横洲東頭村

横洲東頭村の主道

村の部外者の車はどうなっても文句を言うな──というところでしょうか?

横洲村路地

横洲二聖宮が見えた。

1421あった。屋根は補修してあるけれど形は古い。
横洲二聖宮門正面

右聯「横沾聖徳」左聯「洲感神恩」
プレートには「二聖宮」とある。
建物そのものが明らかに古い

ここは建物そのものが古い。
入口中門から本殿方向

右手手前角壁の文字の拝殿

右手手前角壁に文字の拝殿。
小さいけれど三進。
小規模ながら古式ゆかしい三進構造

據鐘銘記載、該廟可能建於清康熙五十七年(一七一八年)。〔案内板〕

「據鐘銘記載」の鐘

多分鐘はこれ。康煕戊戌年とあるのがそうでしょう。(一応答え合わせ済)
「據鐘銘記載」の鐘の「康煕戊戌年」文字

1431香港神様の笑点部屋

中庭左手千手観音のお堂。仕組みが分からんけど贔屓の神様に紙を入れていく笑点形式らしい。
1432香港神様の「山田くん全部持ってって」

巡行用らしい神輿。ここに今は乗ってる神様はないようでした。

右壇前に神輿。段ボールだらけだけれど巡行もあるらしい。
1442右壇二神「叔老爺寶殿」

1440右壇。「叔老爺寶殿」とあり二神。手前に十二将。これは確か台湾南部で見た古い形式です。
左壇から後方空間を振り返って

左壇車公爺

左壇は車公爺寶殿。一体、大きい。祭壇ののれんをくぐって入ってきそうな感じ。
中央祭壇

中央は完全に男性だし従神も違う。
中央右側の役人っぽい従神様は手に現金をどっさり。贈収賄の臭いがする。

右壇左手「天后之女」の小垂幕

右壇左手にあった「天后之女」の小垂幕に戻る。奥にいるのは明らかに男性像です。では媽祖はどこにいるのでしょう?
樹下の祠

1454集落を奥へも少し進む。
かなり老衰してるけどガジュマルでしょうか。樹下に粗末な祠。樹木を拝む形。
樹下の祠

樹下祠対面の井戸祠

道を挟んで金柵の井戸にも「井神」を祀る祠。──両者ともまるっきり沖縄のそれです。
バスの姿はないけど、もう朗屏站がみえているので歩く。宏楽街。ところが歩いても歩いても近づかない。限界。道端にしゃがんでタバコを吸ってたら74が来たけど、もう何とか歩けそうです。
宏楽街を歩けば朗屏が近づく。

1523大橋村対面を歩いて市内。
Warung Agungという小店。インドネシア料理。
新駿皇のB.煎封開邊鱸魚飯

やってた!
1532 新駿皇
B.煎封開邊鱸魚飯50HK$ 450
おかしい。壁の写真のスズキと大きさも姿も違う。しかもこの黒豆は……いつかどこかで見たような……。支払い時の計算も微妙に合わないのでレシートを見ると──E.じゃねえか!
新駿皇 E.鼓汁蒸魚どアップ

まあBとE似てるもんね。……似てねえよ。美味かったからいいけど。
1532 新駿皇
E.鼓汁蒸魚450
朗屏駅高架下でマレー語らしいディスコミュージックで踊り狂ってる一群。
朗屏駅が近づく

MRT朗屏駅ホームにて

1634荃湾西
まず一つ上がる。
改札。ここが何階なのかというのが分からん。でもいつも人の多いCDE側へ出て失敗してる気がする。AB側に出よう。

A1から荃湾西站公共運輸交匯處に上がってる。こちらのエスカレーターへ。バス停の中です。
A2から上がり直す。福來邨とか書いてあるぞ?つまり道端ということか?
エスカレーターはないから階段を上がる。
よし道端!409Kがいた!7.6HK$。長亨-荃湾西ルートとある。乗るとすぐ発車。1643
速い!でも運転荒い!
え?どこ?橋を渡ってる??

青衣公園下にご到着

青衣に着いてしまった……。多分墓の丘の南辺り。青衣公園とあるけど登り方が分からん。後方に青衣游泳池──スイミングプール。
とにかく赤地白字の「*」マークの方へ。
1709東桶線で一駅、荔景。荃湾線で太子へ寄ることに。「寄る」も何も転んで起きる恥隠しですけど──Cherikoff 車厘哥夫へ寄らぬ香港なんて無理。
5駅。

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今回のCherikoff 車厘哥夫

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