笨港の歴史は途方もなく古い訳じゃない。たかだか四百年です。日本の戦国時代よりも最近なのです。 なのに,とことん多彩です。しかもそれぞれの謎が黒々と深い。 とうとう,別章を設ける破目になってしまった(続く!) も少し読む? | Share it now!
カテゴリー: 外伝19 海域アジア浮動編
m19Em第二十四波m天后や天后の街でしかないm4北巷鎮安
~(m–)m 本編の行程 m(–m)~ GM.(経路) ∶朝天宮〜鎮安宮 お芋の配給切符バザール ▲1242博愛路 バスルートへの帰路,民主路から北へ,もちろん思いつきで(続く!) も少し読む? | Share it now!
m19Em第二十四波m天后や天后の街でしかないm3北巷朝天
開山廟の五十六神名 ▲「花供え」というキャプションで当時記録してるけど──奥の碑こそが「重修諸羅縣笨港北港天后宮碑記」‼(→前章巻末参照) 当時の記録「中庭に『乾隆四十年』付けの碑文」 1157,朝天(続く!) も少し読む? | Share it now!
m19Em第二十四波m天后や天后の街でしかないm2嘉義から西行
1661年鄭成功「鷲嶺」に天壇を築く ▲0818天壇近くの路地 祠だらけと何度も書いてしまった台南ですけど,鄭成功祖廟を出てからの帰路,しばらくはそれがさらに濃縮還元されてる感がありました。 西側道(続く!) も少し読む? | Share it now!
m19Em第二十四波m天后や天后の街でしかないm1鄭成功祖廟
本歌:サルビアやサルビアの街でしかない〔立教池袋A〕 嘉義農工の地 嘉義は 今次は媽祖の 初限の地でした。 永い年を終えます。 [前日日計] 支出1400/収入1350 ▼14(続く!) も少し読む? | Share it now!