本伝04章[Step39]楽しく食わなきゃ痩せないぜ!

 171日目 
▲41.2kg(半減+26.8kg)
▲40kg目前

と思いませんか?
 少なくともわしは,食べる楽しみを諦めないといかんのなら今すぐ減量なんか止めてやる!
 減量を続けてるのは,カロリーで食べ物を評価する姿勢に立つことで食べる楽しみが何倍にも増したからに他ならない。
 その違いは簡単。カロリーが高いだけの低質な料理(≒ジャンクフード)を食べるのが「損」に思える感性。これだけです。

 服部幸應が食育のコンセプトとして挙げてる3つの項目がある。
①選食力を養う。
②食事作法を身につける。
③地球の食を考える。
(同「大人の食育」生活人新書,2004)
 「選食力」──肥満対策にも減量にも必要なのはこれだけだと思う。これさえ身につけば②も③も勝手についてくるはず。
 なぜなら,いわゆる崩食の状況が肥満を含め食に関わる混乱の最大かつ根本的な原因がまさに選食力だからです。これ抜きで健康対策とか食品規制とかやったって所詮場当たりの策でしかない。
 味覚は本来ごく繊細で精度の高いインジケーター。そして相当に合理的なものです。
 当たり前と言えば当たり前なのです!味覚の最大の目的はカラダに悪影響を及ぼす食事を体内に入れる前に感知し,「不味い!」という警告を脳に与える。それに次いで,カラダの諸機関の代弁者としてその時必要な食事を食べると「美味い!」というシグナルを出して摂取を促進する。
 これらの機能は,生物全てに共通したもの。つまり40億年の経験を通じて──つまり機能に劣る種族が滅びることによって──磨きに磨かれてきた機能!その信頼度は科学はもちろん伝統食文化の比ではない。
 では,その選食力はどうやれば復元可能なのか。

 フランス料理が嫌い!
 あの気取りが許せない。中華はもちろん日本食よりはるかに底が浅いくせに上品ぶるのだけは忘れない。庶民的なドイツやイタリアの料理の方が10倍まし。
 けれど,最近地方自治改革と食育政策を知ってからフランスを見直し始めたところです。
 
 フランスの食育は単純。舌を鍛えること,これに尽きる。
 例えば10単限の授業はこんな感じで行われる。
①五感の役割を知る。
②4つの基本味(塩辛い,甘い,酸っぱい,苦い)を味わって遊ぶ。
③匂いのメカニズムを学び,匂いの記憶で遊ぶ。
④視覚(食べ物の外見)を学ぶ。
⑤触覚(食べ物の触り心地)を学ぶ。
⑥実際に食事を作ることで食事の組み立てを学ぶ。
⑦添加物や着色料など味覚に対して挑発的なものについて話し合う。
⑧地元の食材や料理を1品ずつ持ち寄り,特産物の知識を学ぶ。
⑨これまでね授業を振り返り,自分の感覚を言語化する訓練をする。
⑩料理の専門家から料理の作り方を学ぶ。
 これは1980年代後半から始まったルソン・ド・グゥ(味覚のレッスン)運動により毎年10月第3週の「味覚週間」に実施されている子ども向けプログラムです。(川端晶子「調理のサイエンス」柴田書店)
 他にも,伝統製法のチーズと工場で滅菌処理して作ったチーズの食べ比べとか,3つ星レストランを開放して最高の味を食べさせるとか。先の10単限にはなかった聴覚も,パンを割った時の音を比べさせるなどの方法で取り入れられてる。
 戦後,農業生産が落ち込んだフランスにはアメリカから食品が大量輸入され,アメリカの食品産業がなだれ込んだ。これに圧迫された地元農業業界が起こした運動だそうだけど…国民的なコンセンサスがないと絶対に実現不可能な政策です。
 食育世代が親になった現在,有機栽培食品(BIO)が市場やスーパーでメジャーになり始めているそうだ。
 そうなのです!フランス人がスゴいと思うのはここだ。彼らは自前の五感で現代食文化のリスクから身を守る究極の武器であるという共通認識を形成することに成功したのです!
 繰り返すけど食文化の厚みでは日本食などフランス料理以上の食文化はたくさんあるとわしは思ってる。にもかかわらず,わしら日本人はジャンクフードで舌を鈍らせ続けている。
 情けないと思いませんか?

 価格ではなくカロリーで食事をするようになって半年たたないうち,舌が完全に変わってきたのをハッキリ自覚し始めてます。
 揚げものや清涼飲料など,油や添加物で演出した安易な味を「不味い」とか「リスクを考えると損」と感じるようになってきた。わしの減量は我慢をしない,食いたきゃトンカツだって食べる。けど…欲しくない。煮物や茶の方が美味く感じる。
 年のせいか?とも思ったけど,インドやタイのスパイスもの,韓国のチゲなどコチジャンものは今でも食いまくってる。
 トンカツにしても今でも好きだが,中でも名古屋の味噌カツの方が美味いと感じ始めた。揚げものの高カロリーは衣が吸い込んだ油のせいだが,味噌カツは衣が薄い。さらにソースも油脂や添加物が少ないであろう味噌がベース。
 やはり舌が本当の美味さを要求し始めてるのです。つまり,安易な美味さに満足できない「贅沢な舌」になっちまったらしい。
 神足祐司が西原理恵子と共著した「恨ミシュラン」に書いてたのを思い出した。「だって,ほとんどのお店が本当は不味いんだもの」
 ご存知のように「恨ミシュラン」はバブル前後のグルメブーム真っ盛りの時代に超有名店・人気店を食い巡って,料理を酷評している。
 それにしても,何でそんなに不味い店に人が押し寄せるの?
 今,その理由が見えてきたように感じてます。
 グルメだなんだとノート持って有名店巡りする奴らだって,ほとんどがまともな舌を持っちゃいないのだ!わしも含めて,戦後の化学調味料に舌を鈍らされ,あるいは鈍らされた舌で生活する親の世代に育てられた崩食世代なのです。
 わしの舌はそういう最悪の水準からやっと回復期に入ったという程度。けど…それだけのことで40kgの減量が可能なほどの変化なのです!──どんなに深い味覚の無間地獄にわしら日本人がいるのか,わしにも本当は理解できてないと思う。

 最後に2つ提案しておきたい。これはわし自身も今後心掛けていくつもりです。
 いずれも服部幸應の生家で実際に行われたもの。
 1つは本当に美味い料理の食体験を重ねること。
 服部家では「夕食は自宅でするな」が家訓だったそうだ。普通の家庭で毎夕食を外食には出来ないだろけど,週1回とか月1回でいい,高級店や有名店じゃなくていいから本当に美味い店で食うのです。
 特に味覚の基本が出来上がると言われる8歳までに,真の美味での感動体験を持つことは大切だと思う。
 も1つは,本人が好きな料理を本人が工夫して作ってみること。
 服部家では9歳の時に天丼を,まともな味が出来るまで繰り返し作らされたそうだ。
 レシピは示さない。その代わりに本当に美味い天丼をあちこちの店で食わせ,その味から自分で調理を工夫させる。
 料理家になる人だけに必要な訓練ではないと思う。自分で作るないと食のセンスは絶対に育たない。


[おまけ]倉敷美観地区入口の看板「世界の」。世界の何かってことより,とにかくスケールを誇りたいらしい。