※選評 言葉遊びだけに終わると本当の俳句にならない。隠れ鬼に近く作った印象。
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久しぶりに名護市内の歩きのみに徹してみました。ただし、自転車を借りて! |
目録
支出1300/収入1350
▼13.0[①045]
負債 50/
[前日累計]
利益 -/負債 57
十一月二十日(天)
1101前田食堂名護店
骨汁500
1703さくら食堂(市営市場)
スタミナもやしそば500
2000なかむら製菓
ちんぴん200
[前日日計]
支出1300/収入1200
▼13.0[①045]
/負債 100
[前日累計]
利益 -/負債 157
十一月二十日(天)
タコス・ピザで始まる朝 秋麗ら

今回の名護のホテルは気兼ね無い。
初入室時に、前入居者が水を溢れさせたのか、浴室ドア下にバスタオルが2枚デレデレに連なっており、敷布団のシーツもなく、掛け布団が椅子にぼこんと干してあったのが気になったけれど、それは自分でセッティングして、あと部屋に無かった湯沸かしポットを借りてしまえば──部屋別のWifiがあるしテレビはHDMLも使えるし空調の効きもよい。
何より一階で、フロントを通らずに(というかフロントは隣の建物の一階にある)入口から直接道に出れる。道側のガラスには薄いカーテンのみ、防犯に非常に難があるけれど、民家のアパートを借りたような気安さがある。
ついでにこの窓が南向き。朝の陽光が目覚めさせてくれる。10mほどの建物ロビーに電子レンジがあって、ここでピザを温めて朝飯を食ったとこ。

タコス・ピザと沖縄では言うらしい。タコライスと同種の微妙な新流行です。
なかなかハマってる。要はメキシカンピザだけど、皮がトルティーヤみたいに固くなく,あくまでローマピザ風なので、食べたことのない食感であります。最初は「ふーん」だったけど食べ終えてから満足感を感じます。
8時半前には居るさあ 精霊舟
0938名護十字路
1010運天原
②
1048宮里一丁目
1107真喜屋
▼3h23m
1430古宇利島物産センター
1447今帰仁村役場
1455(18便)
1555名護市役所
③
1338名護十字路
1410運天原
④
1207世冨慶
1211名護市役所
1305今帰仁村役場
▼1h50
1455→1555
1555→1656
……と今日の行程は迷い抜いてます。──まあ、とりあえず真喜屋を歩くこと、それたけしか考えて無かった、とも言いますけど。

古宇利島は止めることにしました。海上の低い橋はキレイだろうけど……一日がかりで行く気がしない。大昔にゆっくり回って再度訪れたかったんだけれど、架橋後の今はまるで観光地になってしまって中国人わんさかの島らしいし。
それより──まだ見えた気がしてない名護の旧海岸線と、今帰仁の謝名を見ておきたい。

そういう方向性なら、まずは自転車を借りたい。
「まあ8時半開店だけど、その前には居るさあ」と昨日のオジイが言ってた市営市場の開店時間まで……ゆるりと過ごす。
GM.(経路)

〇900。マウンテンを借りれました。
ママチャリを含む4台から選べました。青。とはいえ今おじいが必死で空気を入れてるから……ちょっとコワいけど、まあ壊れたら自分で直そう。
これが一日千円。強気過ぎね?
コインランドリー確認。
0921、山田荘から東へ。
微かに登りだけど、十分こげる平坦さ。大東二丁目13、護佐喜御宮と同ライン。もう少し進みたい雰囲気だけど地図上は道が途切れます。
0926、左折北行。
雁渡る 登るローソン名護大中

〇929、大中南交差点(→GM.(名護市商工会))。ここから東北へは坂になってる。登ろう。
ああ、ここが県立北部病院か。護佐喜御宮の面からは……どのくらいだろう?25m位の段差か?
見つけてたXの列は、この上側の段にあることになります。

〇937、ローソン名護大中(→GM.)。ここは全く平坦。昔の沖縄集落が好みそうな立地です。
0942、いやしの郷(→GM.)から右折してみる。ad.大中四丁目8。

全くの住宅地。古い家屋はない。けれど、道は急に複雑になり、味わいを見せてきました。
コロナ 米軍基地 名護博物館


〇950、階段(→地理院地図)を担いで降りる。
壁面に墓、古いのもある。


車道に出ると緑地。
左手に下る。0952。

あれれ?なぜか家並みが絶える。どうやら……名護博物館の竣工間近、という場所みたい。
十字路から少し左に折れてみる。ad.大西三丁目15。
たいようのクリニック(→GM.)から右折西行。10時ジャスト。
海青こども園(→GM.)。

東屋部川は折れ蛇穴に入る
複雑な地形です。ad.大西三丁目19から下りになりました。(ローソン※があったのでトイレを借りて……)そのまま道路を跨ぎ直進。
※ローソン名護高校前→GM.
三叉路。右手へ進む。ad.大西五丁目1。

東側に垂直10mほどの谷。園地になってる。さっきすれ違った園児はここへ来てたのか。渓流(東屋部川)はすぐ上で東から入ってきて,ここで北西に向きを変えてる(→地理院地図 ×)。暴れ川があったのでしょうか,防災を兼ねたインフラに見えます。

灯火親しむ うつか橋交差点
1019、車道に出て直進北行。行く手にドラッグ店「ひまわり」のロゴが見えてる。
1021。carnexのある「うつか橋」十字路(→GM.FUN整骨院)。これの西角へ渡ろう。対面高台に墓地群(→地理院地図)。拝所ではないけれど……記名が一切ない。
※一応、「うつか橋」の由来にも当たってみたけれどAIも含め、全く仮説を導けませんでした。

GM.
∶うつか橋交差点〜バス停・第二名座喜原(経路)


1028、ad.宮里七丁目4。沖縄西濃運輸対面から右折。
宮里七丁目 黒猫の三叉路

黒猫の一匹たたずむ三叉路(→GM.)を左手へ。1032。


三叉路を右へ。ここの奥にも墓地があります。1035。
ad.七丁目14を左折。

ad.七丁目19で水路。跨がず右折してみる。1040。

秋暑し名護の水路は美しい

誰も言ってないみたいだし、資料も一切ヒットしないんですけど……名護市内、標高2-4m水準の微高地域には、絶妙な形で下水路が通ってます。
まっすぐなので近代、多分戦後に機械土木力で浚渫してるはずですけど、この日に訪れた「うつか橋」とその北西の墓地の前後(東西)を、実に細やかに側溝が伸びてます。──当時の米軍政府か民政府の名もない役人の仕事なのでしょうか、あるいは自治会のような組織の合意形成が俊逸だったのでしょうか。

予想されるのは、この側溝浚渫より前、その水路付近には沼地のような半水半陸の土地が広がっていたであろうこと。
現・名護市街の大半が形成された戦後期を、まだこの町の地理は覚えているはすなのです。
第二名座喜原パーラーいそ天髙し
車道。
バス停・第二名座喜原。大西西交差点。

一応、前田食堂を見て、というつもりでしたけど──開店準備をしてる──いや、連日になっても構わん!やはりここでしょう!
オリエントを捨てる。
──単発での前田食堂すらその後なかなか行けてません。本店・名護店に連日行けた、伝説的な回だったのです、この時は!
しかもこの名護店で食ったのは──

〉〉〉〉〉参考資料
URL: https://www.otv.co.jp/okitive/article/83322/




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