(巻十一、第六課)
作詞作曲 不詳※
1 .
さわぐいそべの
2.
3.
なぎさの
いみじき
4.
5.
はだは6.
7. いで
いで
〔尋常小学読本唱歌(1910年)〕
※1989年(平成元年)5月、宮原晃一郎(1882生-1945没、児童文学者、英文学者、北欧文学者、翻訳家。本名・宮原知久)の一人娘の典子が、この歌詞は宮原が小樽新聞記者当時の1908年に文部省の新体詩懸賞に応募し、佳作当選した「海の子」という詩が元になったと主張。ただしこの主張の根拠として提示されたのは2通の手紙(①「新体詩の懸賞募集の結果、佳作に選ばれたので、賞金15円を贈る」という内容 ②著作権譲渡に関する内容)で、直接的な実証とは言いにくい。
※敗戦後7番の歌詞は国防思想や軍艦が登場するという理由でGHQの指示により教科書から削られた。1947年(昭和22年)以降、小学校では3番まで教えられている[1]。1980年(昭和55年)より、「難解な言葉が多く、子供の生活になじまない」という理由で、共通歌唱教材から外された[3]。しかし、日本国民の間の人気は高く、1990年(平成2年)から教科書に復活した[3]。〔wiki/我は海の子〕
原注1 成美堂出版編集部 編『思い出の童謡・唱歌200』成美堂出版、2017年11月30日, p. 243.
3 長田暁二『心にのこる日本の歌101選』ヤマハミュージックメディア、2007年4月20日, p. 211
※敗戦後7番の歌詞は国防思想や軍艦が登場するという理由でGHQの指示により教科書から削られた。1947年(昭和22年)以降、小学校では3番まで教えられている[1]。1980年(昭和55年)より、「難解な言葉が多く、子供の生活になじまない」という理由で、共通歌唱教材から外された[3]。しかし、日本国民の間の人気は高く、1990年(平成2年)から教科書に復活した[3]。〔wiki/我は海の子〕
原注1 成美堂出版編集部 編『思い出の童謡・唱歌200』成美堂出版、2017年11月30日, p. 243.
3 長田暁二『心にのこる日本の歌101選』ヤマハミュージックメディア、2007年4月20日, p. 211