我は海の子 ❲明43尋常小学読本唱歌版❳@ことばぐすい

われうみ
(巻十一、第六課)
作詞作曲 不詳※

イメージ〔鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)- キキミキキ URL:https://kikimikiki.com/ugayafuki/

1 . われうみ白浪しらなみ
さわぐいそべの松原まつばら
けむりたなびくとまやこそ
がなつかしき住家すみかなれ。2. まれてしほにゆあみして
なみ子守こもりうた
千里寄せんりよせくるうみ
ひてわらべとなりにけり。3. たかはなつく いその
不断ふだんはなのかをりあり。
なぎさのまつかぜ
いみじきがくわれく。

イメージ〔安彦良和「神武」〕

4. 丈餘ぢやうよのろかいあやつりて
行手定ゆくてさだめぬなみまくら
百尋千尋海ももひろちひろうみそこ
あそびなれたる庭廣にはひろし。5. 幾年いくとせこ丶にきたへたる
てつよりかたき かひなあり。
鹽風しほかぜくろみたる
はだは赤銅しやくどうさながらに。6. なみにたゞよふ氷山ひようざん
きたらばきたおそれんや。
うみまきぐるたつまきも
おこらばおこおどろかじ。

イメージ〔安彦良和「神武」〕

7. いで大船おほぶね乗出のりだして
われひろはんうみとみ
いで軍艦ぐんかん乘組のりくみて
われまもらんうみくに〔尋常小学読本唱歌(1910年)〕

※1989年(平成元年)5月、宮原晃一郎(1882生-1945没、児童文学者、英文学者、北欧文学者、翻訳家。本名・宮原知久)の一人娘の典子が、この歌詞は宮原が小樽新聞記者当時の1908年に文部省の新体詩懸賞に応募し、佳作当選した「海の子」という詩が元になったと主張。ただしこの主張の根拠として提示されたのは2通の手紙(①「新体詩の懸賞募集の結果、佳作に選ばれたので、賞金15円を贈る」という内容 ②著作権譲渡に関する内容)で、直接的な実証とは言いにくい。
※敗戦後7番の歌詞は国防思想や軍艦が登場するという理由でGHQの指示により教科書から削られた。1947年(昭和22年)以降、小学校では3番まで教えられている[1]。1980年(昭和55年)より、「難解な言葉が多く、子供の生活になじまない」という理由で、共通歌唱教材から外された[3]。しかし、日本国民の間の人気は高く、1990年(平成2年)から教科書に復活した[3]。〔wiki/我は海の子〕
原注1 成美堂出版編集部 編『思い出の童謡・唱歌200』成美堂出版、2017年11月30日, p. 243.
3 長田暁二『心にのこる日本の歌101選』ヤマハミュージックメディア、2007年4月20日, p. 211

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