外伝03-FASE24-2@ その現実を逃げないで(Fhoto)

▲那覇新港「えんがん」の入口

▲「にーちぇ」の定休日の貼り紙。「せっかくのご来店ありがとうございます」は何か日本語が変だが…何か笑わせてくれて。ここ,いつもどことなくいいよなあ,スタンスが。

▲夜の国際通り,インシャラー店内にて。

▲石垣島ラー油。千円也。一時の人気がやっと沈静化してきたらしく,探せば手に入れられるほどになってきた。

▲天久に出来てたスーパーホテルとその界隈

■情報集1■ 天久新都心

[歴史]
(戦前)
□ 新都心各所には墓や御嶽が多くある。那覇市北部の高台という位置からも,何らかの聖域だったと推測される。
□ 軍事的にも要地。海から首里へ続く回廊の入口に当たる丘陵で,都の最終防衛ラインの核,いわば出丸の位置にある。
(戦中)
□ 沖縄戦時は,周辺に旧日本軍の陣地有。日米双方に多数の犠牲が出る激戦地となる。
□ 米軍はここをシュガーローフと呼んだ。日本軍の呼称は安里五二高地。
□ その戦闘規模として,アメリカ軍側に戦死者2600名以上,精神疲労者1300人との記録有。日本軍及び沖縄住民側の記録は,ない。虐殺に近い状況も推測される。
□ この地に噂される幽霊談の多くは,この沖縄戦時の住民と兵士の死者とされる。
(戦後)
□ 米駐留軍がこの地を接収,米軍関係者の住宅地として使用。昭和62年5月(1987年)の全面返還まで,周囲は有刺鉄線で囲まれていた。
□ 昭和50(1975)年,返還の方針が合意されるが,
□ 地権者への土地の返還が開始されるが,以下の支障から全面返還まで約10年,さらに本格活用までには実に30年以上を要した。
1)歴史の古さ,墓地の多い使用形態から来る地権の複雑さ
2)バブル経済により土地への投機熱が高まった時代と重なり,投機目的の土地取引の発生による,権利関係のさらなる複雑化
3)平成10(1998)年頃には区画整理に伴う造成が進んだが,平成の大不況下で町の核となる大型店舗群などの出店が急遽白紙になるなどのトラブルが発生。同じ理由で,予定されていた国立組踊劇場など公共施設の着工も遅れ,または流れて開発が停滞
(開発期)
□ 市況回復と関係者の努力で,大規模店舗出店の再合意のほか,公共施設や住宅・アパートの建設も進む。
□ 平成 17(2005)年に区画整理事業完了。
[概況]
□ 地域中心市街地としての指定面積328.7ha,那覇市全体の約8.5%。
□「那覇新都心地区」の現人口は約3.5万人,那覇市全体の12%。世帯数約1万戸,米軍住宅時代の8倍。
□ 店舗数約3千,那覇市全体の4割弱。就業者数で約3割。売り場面積4割弱。
[民俗というか…]
□ 昔から幽霊が多いと言われる。「絶対住まない」「住んではいけない」とのネット情報多数。
□ 実際の遭遇者以外の噂のパターンとしては,
①沖縄戦激戦地だから戦死者の霊が出没する。
②ユタが「この地域は良くない」と言った。
の2種類みたい。シンプルなだけに現実味がある。

[関連作品]
□ 大城立裕「天女の幽霊」
「新潮」発表の小説。天久新都心に幽霊談が「銘苅子」の天女だとの噂を,老人と若者の2世代のユタが追う。

■油かす

□ ウチナー語でアンダーカシ。
□ 肉から油をとった残りをそのまま食品にしたもの
□「油かす」自体は全国的にある。分布から言って労働者メニュー?
①関西:牛肉(主に牛の小腸)をつかったあぶらかす(または単に「かす」)。河内で最もポピュラー。
②広島県:豚の胃をつかった「せんじがら」という食品あり。
□ 食材として使った料理としては,関西の「かすうどん」,油かすをトッピングした「富士宮やきそば」など。いわゆるB級グルメ多し。
□ 沖縄のアンダーカシは,豚の背脂付近を揚げて油をとったもの。
□ スナック菓子のような食感で素朴な豚味を楽しむが,内地のような食材としての利用例は稀。

[種類]
□ 油かすの原料となる肉には,牛,豚,馬などがある。
□ 牛のものは,大腸(テッチャン)と小腸(ホソ)二つに別れる。大阪の「かすうどん」に使用されるのは,小腸を揚げたもの。まわり(身の部分)は少し固いが,適度に脂肪分が抜けてコラーゲンが豊富。煮込むと非常にやわらかくなる。特有の香りがあり,マツタケの様に香りを楽しむ向きも。
□ 小腸の脂部分を取り除いて炒ったものをホソ(ボリ、ボリボリ)と呼ぶ。カリッと揚がっており,そのままビールのつまみやおやつ感覚に。この感覚は沖縄に似る。
□ 大腸の場合,脂で炒るが,小腸ほど時間をかけないため,製品(そのもの)自体はやわらかい。再度調理をせず出来上がったものをそのままスライスして食べれる。この状態を「生かす」とも言い,軟らかい食感がホルモン好きにはたまらない一品とされる。ただし,近年は焼肉店などに大半が流通しており,大腸の油かすは入手困難。
□ 豚の場合,背脂やばら肉の脂を炒ったものからラードを抽出して残ったものがメジャー。焼きそば,煮物,炒め物の具としての使用が有効とされる。

[歴史]
□ 江戸時代後期に食用の油かすに関する記載が残る。(それ以前の記述にある「油かす」は大豆の絞りかすの意)
□ 油かすの名前の由来は,明治初期の石鹸製造過程の副産物として。日本初の石鹸産業は明治10年頃に生まれ,海外への輸出を行う一大産業となった。この工程では,牛,豚,馬などの脂部分や内臓部分を大きな鍋や釜で炒る事で脂肪分を液状化にし,今で言うラードやヘッドといった石鹸用などの油を作った。当時は原材料の区別がなく全て一緒に混ぜていた。
□ この際,油を抽出する作業後に残る固形物を乾燥させて出来る物を油かすと呼ぶようになった。
□ 油かす作りは,大正に入ると食肉産業者に引き継がれ,保存食の用途で広く製造されるようになっていく。
□ 昭和に入ると,従来の物より長い時間炒ることで保存食として特化していく。涼しい部屋や冬場では常温保存が可能となり,より重宝されるようになる。
□ 発祥地は大阪とする記述が多いが,これがいつ頃,どのように沖縄に根付いたかは不詳。大阪ウチナンチュが持ち帰ったものか?