フェルトセンス felt sense:心に湧く生の感情@ことばぐすい

 世界のトップクラスのソムリエたちは,どうやってワインの味覚を記憶しているのか。調べてみると,彼らはワインを飲んだときに浮かんだイメージや感覚,感想を,その場では決して言語化しない,という共通点があったのです。
 平均クラスのソムリエが,書き込みだらけの詳細なノートを持っているケースが多いのに対し,彼らはそんなものも持たずに,数百種類に及ぶワインの違いを把握していたのです。
 微妙なニュアンスを言葉で表現したり,ましてやそれをメモしたりすると,かえって味と銘柄がマッチしにくくなるというのです。沸き起こったワインへの讃辞は,言語化して定着させるよりも,モワッとしたまま放置しておいたほうが,後になって正確に思い出せるのだそうです。
 また,絶対音感の研究でも,これと同じような現象が指摘られています。一流の音楽家や作曲家は,「この音はこんな音」「この曲はこんな曲」という言語化を,敢えてしていないといいます。感想を口にすることで,その音楽の本質がわかりづらくなることを,経験的に知っているのでしょう。
 沸き起こった感情や感想を,敢えてすぐ言葉にしないほうが,正確な判断ができる。この現象を,特に芸術的な分野のプロフェッショナルたちは,体現しているのです。
 一方で,この現象を利用した,「フォーカシング」というカウンセリング手法があります。
 例えば,「上司にムカつく!」と繰り返してふさぎ込んでいるクライアントに,「そのムカつくという感情は,本当に正しい感情ですか?」と,カウンセラーが洞察を促す手法です。そして一定期間,感情の言語化をキッパリとやめてもらうのです。
 心の中にモヤモヤと湧いてくる生の感覚のことを,フェルトセンス(felt sense)といいますが,何かに悩んでいるときは,そのフェルトセンスを言葉にせず,ただただ感情に身を浸らせ続けたほうが,自分の心の中で起きた出来事を,正しく認識できるようになるからです。

[植木理恵「シロクマのことだけは考えるな!」新潮文庫,平23]