【本句】(’21最優秀句)ウミユリの化石洗ひぬ岩清水
1041 코이커피 KO-I COFFEE
アメリカーノ
あら?また雨がポツポツ?
この店は1130開店らしい。無人の広い店内に正午前30分を切るとどやどやと客が入ってく。給仕のおばはんは威厳をもって流れ作業で膳を置いていく。
初ジャンオの店で今回4食目。
1140 7공주식당
장어탕 ジャンオタン400
メニューは少ない。
장어소금구이22千W
장어양념구이22千W
후식장어탕 2千Wは追加でしょうか?
キタキタ〜!
ジャンオそのものに驚く。焼きジャンオのファンが多いはずです,ここのジャンオは脂の付き方が違う。漁獲場所が違うというだけじゃなく,これは何か別の種類のジャンオかもしれません。エラというか,両端の脂の含み方が他の店のと全く違う。
それとここのは黒胡椒がギンと効いてる。煮物というより一度レアに焼いたものを食ってる感覚です。
汁は朝のミョンサンに似た切っ先鋭い唐辛子だけど,ミョンサンよりやや辛みは控えめ。魚肉の脂が多い分,ということでしょうか,爽やかな辛さでバランスを取ってる感じです。
何だか肌から魚臭い臭いがしてる気がする。西安でパオモーを食い続けた時にこんなことがありました。
TMOTELの昼は掃除中だから入れないというのでCAFFE PASCUCCIでアメリカーノ。
午前中のお寺への道はKAKAO上でも取れない。あの登道がマップに登録されてなくて,寺は여수항교というバス停の東付近だと推測します。
昨夕の②地点から二本上の道に出て,とりあえずD地点に行き着き,そこから降りてくるルートをとろうか。
午前の集落感覚だとおそらく繁華街,hero広場からウインク李舜臣君のラインが旧海岸線だと推測します。そうすると今朝の寺の位置も,日本の島や海浜村落と違和感がなくなり納得が行く。この埋立面積の広さからしてかなり遠浅だったのでしょう。
けれども,そうすると寺より上の集落の存在が分からなくなります。漁村だったとすれば,それより上にそれほど古集落があるのはおかしい。集落は海岸線沿いに伸びるはずです。具体的に言えばD地点辺りのような標高の高い位置に古道が伸びて古集落があるはずがないのです。
この辺りの集落形成を推定しようとすると,とうしても西市場を探る必要が生じます。現在の川沿いが元は入江で,その海岸線に市が形成されたと考えられるのですから,船着石とか日本の胡社に類するものとか,その頃の痕跡が何か残ってるはずです。
その推定ベルトは,昨日の六叉路の北東ブロック辺りが怪しい。ここに北西から入って東に抜ける路地の道の形は,元の海岸線に見えるからです。
よし。I地点からこの路地を抜けてH→D→Cとルートをとってみよう。
1400pascucci出発。
1408六叉路を北北西へ。この北東に麗水郷校200mの石碑。
1948年8月15日の大韓民国建国直後、共産主義政党の南朝鮮労働党(南労党)は各地の大韓民国国軍部隊に工作員を浸透させ、反乱や騒擾の機会を窺っていた。10月19日、済州島で起きた済州島四・三事件鎮圧のため出動命令が下った全羅南道麗水郡駐屯の国防警備隊第14連隊で、隊内の南労党員が反乱を扇動、これに隊員が呼応し部隊ぐるみの反乱となった。〔wiki/麗水・順天事件〕
やはり北東にハングルと英語の案内板。1948.10.19-20の「The heavily armed soldiers」による事件を記してあるらしいけれどよく読めなかった。
右手脇には何本かやはり地図にない脇道。両側から登る形の階段が幾つかある。老いた夫婦がよろけながら登っていくところを見ると,現在もそれしかない道として使われてる。ならばチュンムロが海岸線か?
ad. 충무로Chungmu-ro86あ!行き過ぎてる。さっきの老夫婦の道がI地点でした。何の変哲もないけど右手に白地に金色の「LOVELY」という謎の看板がある地点,高層ビル団地の手前。
1428登る。空が暗くなってきてる。
変則四差路めいた場所,ここでしょう。1435右折。右ad.チュンムロ84-5,左ad.Dongneongkyeon1-gil 동령현1길
右手に壁の道。地勢に沿ってまがりくねりながら続く。
左手の家の軒は色彩を変えながら続く。石垣ではない。南にホテルケニー。
住所表示はDongneongkyeon1-gil 동령현1길のまま。
1443右手にも家になった。ad.1-gil13
1445振り返って一枚
Y字分岐。ここを左でしょう。おそらく地図にない右の道が六叉路辺りへ抜けるはず。
1449 Dongneongkyeongil 동령현길の車道。右へ登る。緩く右へ湾曲。
この車道もこの辺りが最高点らしい。長崎のじゅん辺りに似た地勢。やはりすぐ上辺りで家並みは途絶えてる。古い家屋も少ない。
「16 Dongneongkyeon-gil 동령현길 12」という交通表示から右手路地を登る。H地点のはず。1457
いきなりあるはずのない四分岐?まっすぐ行こう。左手には古井戸。1459
右折して左折。おそらく間違ってない。しかし細い道です。男ならすれ違えない。
1504 何本か道に出るももう分からん,とにかく上へ。ad.군자길 Gunja-gilの28-17になりました。
上の道군자길 Gunja-gilに出た。1509。
どうしてなのかよくわからないけれど,道の左婉曲からして──ずっと東のC地点付近に出たらしい。Kkuninneun Churchという教会が山手にあるはずだから,その位置で見当がつく。▼▲