m591m第五十九波m漳浦m1.旧鎮龍鶏尾 mm 颱風圏を歩く海びとの夢

第七天

m591m第五十九波m漳浦m1.旧鎮龍鶏尾/旧鎮海屋/金浦媽祖 mm 颱風圏を歩く海びとの夢
日永に励起せよ苦海夢中人
媽祖譚に還る閩南芋嵐

本句
永に描く太陽と月の夢
〔松崎穂香 信愛女学院A∶中田真綾選◁26th松山〕
❛選❜ 抽象的な世界観が魅力的な一句。日永とは太陽と月が居眠りをしてしまい、夢を見ているから人々は日を長く感じるのかもしれない。太陽と月という壮大なものの擬人化とその夢を描こうとする人物が印象的。日永という空間の想像性を秘めている。
※芋嵐←(本句)案山子翁あちみこちみや芋嵐 阿波野青畝∶芋(さといも)の葉に吹きつける強い風をいう。楯のような形をした芋の葉が、白っぽい葉裏を見せて波立つ様を詠んだ阿波野句から生まれた季語。
初代漳州・
旧鎮と
二代漳州・
漳浦港へ
台風下の訪問。
[本日合計]
支出1300/収入1410
    ▼13.0[③045]
負債 110/
[本日累計]
利益 -/負債 300
九月十九日(五)
0708キングストンバイキング370
1123姐妹快餐
魚の定食 370
1815 滷味涼材 梅見500
[本日合計]
支出1300/収入1240
    ▼13.0[③045]
    /負債 60
[本日累計]
利益 -/負債 360
九月二十日(六)

 

前途真っ暗な「しばらくは雨です」天気予報

9/19-0551現在地(青丸)と台風現在図

2025.9.19中国アメダス(中国気象庁)

2025.9.19中国台風進路予想図(中国気象庁)

9/20シミュレーション
金緑欧州城 16路→旧鎮
(20分∶9/18実測)jiu4zhen4
 0700 0800 1320 1430
 but 漳浦動車站-金緑欧州城 17分∶9/18実測
∴①0717 0817 (略)
→s0737 ▼2h ←s0937
旧鎮 16路→金緑欧州城
 0930 1100 1600 1730
 but 火山公園-旧鎮∶60分
 ∴(①)1030 ①1200(略)
∴ 旧鎮から2路で随時退去
→道周中学or金緑欧州城下車

 故に、朝一16路を台風で諦めたとしても、適宜2路で旧鎮にはたどり着ける。

鹿渓(旧名:李澳川)と浯江が海へとつながる、河口部に位置する旧鎮鎮であるが、北宋時代にはすでに交易集落として発展しており、1086年に敦照鎮が正式に新設される(上地図)。その後、地元では 牯鎮、古鎮、旧鎮などと呼ばれるようになり、最終的に清代中期の 1700年ごろに旧鎮鎮へ改称されて以降、今日に至る。この河口集落は古くから台湾交易で栄えた港町であった。
明代末期、倭寇らの襲撃が激化すると、福建参政の施郅矅が河口集落「旧鎮」を守るべく、城壁の建造に着手する。〔後掲BTG〕

唐代前期の 686年、漳州が新設されると、同時に 漳浦県(州都を兼務。今の 漳州市雲霄県火田鎮西林村)と 懐恩県(今の 漳州市詔安県中心部・南詔鎮) の 2県が新設される。上地図は 711年当時の様子。
716年、漳江沿いで伝染病が蔓延したことから、漳州役所と漳浦県役所がそろって、李澳川(今の鹿渓)の 河畔(今の 漳州市漳浦県中心部・綏安鎮)へ移転される。ここに、【二代目】漳州城が誕生する。当初は州城の築城が見送られたが、後に工事が着手されたと考えられる。
741年、伝染病の流行で人口が激減したことから、龍岩県が廃止されて 龍溪県(同年、北の泉州から漳州へ編入される)に、また懐恩県も廃止され漳浦県に、それぞれ吸収合併される。
786年、漳州刺史・陳謨継の建議により、漳州役所が 龍溪県下の 桂林村(今の 漳州市中心部・薌城区にある漳州古城)へ移転される。【三代目】漳州城の誕生。
このとき、【二代目】漳浦県はそのまま継続されることとなり、清末まで漳州に帰属することとなる。〔後掲BTG〕

龍湖大道沿いにある南門村は、漳浦県城の南門外にあったことから命名されており、今の県 中心部(綏安鎮)の南隅に位置する。かつて、この道路は南溪という大河で、地元では南門溪と呼ばれていた。その名の通り、「南門橋」が架橋され外堀を構成する重要な河川であった。
この南門橋の脇には、明代から 天后宮(漳浦南門媽祖石像)が建立されており、その前を多くの船舶が往来していた。この前の港湾部分は、県城内外に運ぶ物資が集積される賑やかな船着き場となっており、常に船運業者らが媽祖を参拝し、線香の煙が途絶えることはなかったという。清代を通じても、常に大事に祀られてきた古刹で、現在、県指定の歴史遺産となっている。〔後掲BTG〕

漳浦的史前文明遗存,具备了显著的母系社会特征。(略)现存的或有记载的漳浦女性生殖崇拜摩崖石刻,分述如下:
县志记载的五个女性生殖崇拜摩崖石刻
〔後掲林〕

漳浦乡间盛传《杨文广平闽十八洞》的民间故事,其背景是陈元光戌漳记载,其中娘子寨的故事,可以佐证本文的论点。
陈元光入闽平乱开漳,漳浦是他成功业就的地方。娘仔寨位于梁山北麓,被认为是陈元光平闽时军事活动的主要地区,有一部分人甚至认为是最早建立漳州府的地方。
现在,漳浦还有一座娘仔寨的遗迹,它位于漳浦县城西南约十公里,属盘陀镇下阮村娘子寨自然村,与大南坂农场腊山村的地界相邻。娘仔寨和娘仔妈的故事是《杨文广平闽十八洞》的民间故事之一。有人认为,娘仔寨和娘仔妈的故事是陈元光开漳,李伯瑶计破娘仔寨的文学记录(《福建通志•唐宦绩篇》载:李伯瑶,尝任开漳圣王陈元光之参军(征闽中营将),征讨南蛮诸寨时,以骄兵之计,智擒贼酋,平36寨,遂奏封司马。又尝凿断鹅头山,平娘子洞诸寨,战功彪炳,封威武辅胜上将军,谥定远将军。)
〔後掲林〕

也有提到十八洞的,如《漳州府志》說,“伽藍洞在平和縣馬蹄山麓,極為幽險,古稱南蠻十八洞”。這裏說伽藍洞,但在《平閩全傳》卻說是飛龍洞。又《平閩全傳》說,飛鵝山飛鵝洞在漳浦縣城外離城一百里,地名娘仔寨便是。這個飛鵝洞所在地娘仔寨,卻和地方誌所提的相合了。《漳州府志》說娘仔寨在漳浦縣南二十裏。由此足見小說所提十八洞,不是全無根據。〔後掲佚名/開漳史話〕

唐王朝就派陳政及其子陳元光等人率軍南下,征討藍奉高。《平閩全傳》中的藍鳳高就是指這個藍奉高。
陳元光軍中的分營將李伯瑤率隊伍到漳浦,鑿斷鵝頭山,打下娘仔洞諸寨。
〔後掲佚名/開漳史話〕

奇怪的是,娘子寨现在的居民自称是陈元光的后裔,所唯一信奉的神明不是陈元光而是陈元光的死对手娘子妈。笔者思索:是不是陈珦杀绝娘子寨的男丁,唐兵进驻且与留下的女人共同生活,寨子里的民俗习惯也就保留下来了。〔後掲林〕

漳浦独特的方言口语,非漳浦人听不懂,是土著语言遗存的印记。这里略举数例(难于用文字表达的用拼音近似拼注)如:
表示“差远呢”的口语——“嗨咯个hài lō gē”或“咖喱咯gā lī lǒ”;
表示不平衡——“gōng guǎi”或“yī wài”;
表示不一定——“莫嘟嘟”;
表示无奈——“莫呆哇”;
蓝莓——“多尼”;
棉花——“gā buǎ”;
海啸——“起海阉”;
打寒战——“gā lún shùn”;
撒娇——“lā wēi”或”lāo lāi”;
表示啰嗦——“xī xīo”,
表示女孩不高兴——“kiāo kī”;
表示耍赖——“kiāo diào”
…难以枚举。所有这些,就是土著文化深刻、难于磨灭的民风印记。〔後掲林〕※引用者改行挿入

自唐貞元二年( 786),刺史陳謨把漳州州治從李澳川(今漳浦縣城)遷移到唐化裏登高山下(即芝山下)桂林村(即今薌城區市區)〔後掲佚名/地名與考古‧上〕

(漳州)開元寺建于唐貞元十七年( 801年)徙州治時,由漳浦遷建成於此。〔後掲佚名/地名與考古‧上〕

“金浦”美譽起源
據舊《漳浦縣誌》輯錄的文獻資料,“金漳浦”美稱最早出現在南宋卓遵的《請蠲經總製錢記》:“漳之南,其縣名漳浦,俗厚,訟稀,賦入饒羨,故為邑者不勞而富,舊以金名焉。”
這篇《請蠲經總製錢記》記載,漳浦縣民富,官府賦稅收入充裕,因而有“金浦”的美譽。〔後掲佚名/地名與考古‧上〕

大觀年間(1167~1110年)漳浦知縣傅希龍領導群眾開鑿一條人工河,被稱為傅公河,從縣學的泮池通南溪,南溪通鹿溪,潮汐推動溪水進出泮池,市區廢水也從而排出大海。(略)
鹿溪出海口也形成一大集鎮,名敦照鎮(即今舊鎮),商貿發達(據北宋《元豐九域志》及《宋史‧食貨志》)。〔後掲佚名/地名與考古‧上〕

宋代佛曇白石鄭解元作《鴻江賦》歌頌沿海一帶農、漁生產的優越條件和壯麗景觀,也提到“金浦”美稱,說鴻儒江(佛曇江)在“金浦之郊坰”。
唐、宋縣分七等:赤、畿、望、緊、上、中、下。漳浦在唐代為“中下”等縣,至宋代躍升為“望”縣,即是除京畿以外的頭等縣份,因為經濟、文教發展了,人口、賦額增多了。
從以上資料可知,漳浦縣自宋代起有“金漳浦”的美譽,確實名不虛傳。明代,漳浦更加繁榮,泉州進士何喬遠在所著《閩書》中說:“漳浦舊有金名焉,諺謂之金漳浦,銀同安。”金浦銀同的美稱,因而傳揚。〔後掲佚名/地名與考古‧上〕

從漳州府屬各縣媽祖廟分香臺灣的媽祖,漳籍子弟稱為“漳州媽”、“漳浦媽”、“龍溪媽”,以示區別。〔後掲佚名/漳台民間信仰〕

0656宿の窓から見た空模様(眼下のプールは流石に無人)

うーん。黒ずんではいるけど雨が降る雰囲気ではないなあ。台風圏はどこだ?え、中国気象庁?
キングストンバイキング(2食目)

0708キングストンバイキング370
豆干ピリ辛炒めが旨い。麻婆ナスっぽいのも取ったけど、漳浦の味覚はもっと薄い、さり気ない素材が得意らしい。残念ながらレンコンは今日はなかった。白菜はあったけど心を鬼でスルー。
キングストンバイキングの豆干ピリ辛どアップ

固形じゃないヨーグルト。食すと沖縄のミキに似てる。帰路に確認すると「乳酸菌」と表記。これはどうも、乳酸菌とは言っても韓国のシッケに似たものらしい。
キングストンバイキングの「乳酸菌」

やや空は黒い。でも一応傘は持ったし──出撃せよ。0732
旧鎮 jiu4zhen4
金緑の2路路線図

金緑の路線名だと2路の終点は旧鎮ではなく竹嶼東站までになってます。16站も先?しかもそれはどこ?──BTから金緑を経て市内を回ってから旧鎮なので、まず西向きのBSで待つ。0740
0744金緑バス停の背後の店舗群

ここにすらベンチはない。
この地方にはどうも葡萄酒が出回ってる。
金緑の101路線図

0745。今101が止まりそうになりました。白の大型バス。この路線も乗りこなせたら、ちょっとバリエーションが増えるかも。たまにしか来ないからちょっとだけ。
0748延々2路バスを待つ金緑バス停

高德打車というのからのSNSは何か広告っぽいものらしい。今乗ると6元オトクなチケットを出してくれたらしい。──そんなんいいから、バスの接近アプリ、とは言わんから時刻表を提示してくれよ。
0755、15分に1便説によるともうすぐ来るに違いない。今逆方向へ2路が行ったしあれが戻るに違いない。去年の台湾ぶりかなあ。呆けてバスを待ち続けるのは。昔のアジアでは当たり前だったよなあ。──そういう意味では、今の中国系はネット上の非現実を現実社会がなぞってる感じです。これをVRじゃなく何とかって言ったよな。Vに裏付けられないRを、不便又は危険と感じる感覚は、Vにシビれてしまってる証拠でちょっと危ないと自覚した方がよい。Vに裏付けられる必要もなくRは在るのです。これはいわゆる「信じて待つ」のとも違う。諦めて、待つしかないから待つ。
さてRのバスが来た。と思ったらまた101。この路線はどこへ行くのか、徒然に眺めても全く想像つかん。──え?終点・漳州客運西站ってことは漳州までを結ぶのか?──確かこの101も時刻表がない。けどこのペースだと1本/15分です。漳浦中心客運站発だから、始発便だけは計算して乗れます。どこへ行ける可能性があるだろう?
しまった!2本目の16路が今逆方向を通過!その手があった、こだわりすぎたか……。まあ急ぎはしないけど。今になって雨がポツポツきたから、遅れた方がいいくらいだけど。
この空の暗さだと本降りにはなりそうにない。
やっと乗れた2路バス車内

ところで2路については1本/15分定説は大きく覆りました。0828、48分待って乗車。──このバスでは「旧鎮」は通じました。4元。
昨日の比那多超市は07-22時で営業しとるのか!お疲れ様です。麦市街の北の裏には細い平行路。
気がつかなかったけど盛唐站。0834。これ地名なんでしょか?
朝の市場通りはかなりの賑わい。まだここは村なのです。明日は可能ならここを歩きたいけど──
0839雨はとりあえず止んでる。このままなら涼しくてよい。
0840漳浦一中。天気が持てば今日ここを歩く選択肢も持っとこう。
降りる時には声を掛けろ──と書いてある。呼び鈴じゃなく肉声が公式なんかい!

東行へ。位置情報オン。今日の車内のオバハンのおしゃべりはまさに姦しい。
「今日cake」という小店。俳句的なセンスです。
前を始めて見る10路バス。
バス停・坎坑村。巨大な花園。なるほど、花園前の村の時代の交通網そのままに、自家用車を使う層の花園ができてしまった、と想像すれば分かりやすい。
このバスも車内路線図は6路。ここだけの話、漳浦のバスは職業モラルが低すぎる。
中国石化。次。
早まって降りてしまったバス停・蓬莱閣

旧鎮、と焦って蓬莱閣で降りてしまった。三駅前。まあ涼しいし歩こう。0859

~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
高德地图(経路:蓬莱阁(公交站)~城内海屋寺)

旧鎮党委の……ゆるキャラでしょうか?

ad.郭厝380
0908ad.富楼街127
0911錦客隆生活超市。こういうスーパーが普通に出来てる。

0910錦客隆生活超市。バス停・大富源
0913旧城村党群服務中心。「旧鎮」というのは地名かつ組織で、日本でいう「本町」「元町」みたいな語感はないらしい。
旧城村党群服務中心

党委対面辺りにあった「打墘」石碑。意味は分からん。

0919 バス停・旧鎮付近。
十字路を東から。0926
旧鎮市場前交差点

バス停は十字の北百m、漳浦華僑護理院の前でした。2路と16路。
0935降ってきた。市場に寄るけどトイレないという。
0933旧鎮市場(1)

0934旧鎮市場(2)

0936旧鎮市場(3)の対面の露店並び

0942龍鶏尾(1)に東南東行

十字の南東角、中国銀行隣のゲートから南行。ad.龍鶏尾津
0943龍鶏尾(2)

すみません。傘さしてて同じアングルひっかになってますけど……
0944龍鶏尾(3)

0945すえた臭いがしてきた。
右へ湾曲、東南行。とうやら右は少し高くなってる。0947
0948北を振り向いて一枚
0948龍鶏尾(4)の北を振り返って

0949龍鶏尾(5)

0952路地に大厝が見えてきました

0952北に数軒大厝群。
牡蠣の身を取る女性の姿ちらほら。0954
0953龍鶏尾(6)

0954龍鶏尾(7) 牡蠣の身を取る作業中

芬芬美容美发の先の三叉路に公厠を発見!使ったついでにこの路地奥へ左折北行してみる。ad.油車角66
0959公厠北行路・ad.油車角(1)

1000公厠北行路・ad.油車角(2)

1001公厠北行路・ad.油車角(3)

1001公厠北行路・ad.油車角(4)から多分西に入る路地

1002公厠北行路・ad.油車角(5)じゃないだろけど住所が分からん辺りの門口

1003公厠北行路・ad.油車角(6)じゃなくなったと思われる路地

1004公厠北行路・ad.油車角(7)の甍

1005公厠北行路・ad.油車角(8)の門口

1007公厠北行路・ad.油車角(8)──この写真には住所表示があるけどもはや不安が先立ってる辺りの門口

1007少し左に入ると祠のような新しい建物。
ad.北門。あれ?この道で合ってたの?
郑氏大宗祠。(→位置∶高德地图)
1008なぜか奇跡的にたどり着けました!郑氏大宗祠

扁額には2024年築とある。ちなみにここにも公厠あり。もちろん非公開だしオバハンがジロジロ見てるのでad.中社埕から西へ。……ってもはや勘たけで歩いてますけど。▼▲──中……埕とは二段目の堤という感じの意味?
1011。左右に脇道、そこに自転車が突っ込んでくる。危険な迷路
▼▲

〉〉〉〉〉参考資料 

(いつめ)佚名 2012
/漳台民間信仰
URL:http://www.nanchens.com/xqxx/xqxx30/xqxx300/xqxx30013.htm
/漳州掌故大全‧第二輯‧開漳史話
URL:http://www.nanchens.com/xqxx/xqxx30/xqxx300/xqxx30022.htm
/漳州掌故大全‧第六輯‧地名與考古‧上
URL:http://www.nanchens.com/xqxx/xqxx30/xqxx300/xqxx30029.htm
※上記佚名 2012いずれも 來源:互聯網 永春小岵南山陳氏宗親網 當前位置:首頁 » 鄉情鄉訊 » 漳州 »
(びいて)BTG城郭都市研究会/福建省 漳州市 漳浦県
URL:https://www.iobtg.com/Cc.Zhangpu.htm
(りん)林建东「漳浦史前文化及古代民俗初探」漳浦县政协文史研究员 
URL:https://special2.rhky.com/mobile/mooc/tocard/608850697?courseId=200542482&name=57C084AA9A3EC50C8D91973A2D92EC4F84B9BDE42B4B9374DD143238A3830B90D53EFABA5B17762AFA0FCB888FE2B08E4461927E1B90AC3E&code=&next=1&appId=1000&_from_=&user_token=123&DSSTASH_LOG=&UID=&_uid=&fid=&vc3=&_d=&uf=&_industry=
参考資料▼▲

▼▲

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です