中華,フレンチと来たら,残るはイタ飯でしょ!!
――とゆー訳じゃなかったっちゃよ元々は。
ただ。先月フレンチを探してグルメ本のページをくってたら,イタ飯屋さんの良さそなのが幾つも出没して来たわけで,そーなりゃ京風イタリアンって?ちょっと食いたいぞ?とまさに食指が動くわけで,抑圧された欲望は蓄積されて爆発するとフロイト先生も言ってるわけで。
ついでに書くと。「京風」と雑に使ってますが――おそらくそんなカテゴリーの実体はないと思う。博多や松山と違い,京都独自の味って…巷説の薄味の他は山椒とか位で,後は他にもある程度。独自性は意外に薄いのよ。
分厚いのは――京都の食感覚。その普遍性だと思う。
わし自身ぼやけたイメージだけど…そーゆー「京都フィルター」で濾された料理を総称して「京風」と呼ぶ。
つまり。京都の食文化の真の凄さは,フィルターとか鏡としてのそれにあると思うわけ。この古都ほど食文化が鳥瞰できる地点は――この惑星にそんなにないはずよ。
▲ニーノ Ninoの軒先
河原町三条北の小道。先述の煌庵と同じ,意外にあんま足を運んでなかったエリアにある町屋風の建物。
小さな4文字のアルファベット表示の記された黒の木製の扉から入る。中庭の植物群が,移り気な梅雨の陽光に映えつ陰りつ,絶えず色彩を変える。
ニーノ。オーダーは昼のセットB。1700円と,初見の店への投資としてはわし的にギリギリの額。
スープ:枝豆の冷製スープ。この季節どこでもこれだね。好物だけど。
サラダ:豚モモ肉の自家製生ハムとクレソン。ちょっとない複雑な野菜の混合です。カッテージ・チーズがきいてる。
パスタ:飛び魚と焼きナス。どちらも和風素材なのにパスタには馴染んでる。トマト系ではあるけどごく薄く朱色がかる程度。ニンニクでもない。じゃあ何のソースだ?まさか隠岐とかで使う飛び魚のダシ?
とにかく――淡い和風だけど妙にしっかりしてる。淡い生臭さと焼きなすの焦げみがマッチ。
▲ニーノ 昼のセットBのメイン,飛び魚と焼きナスのパスタ
エスプレッソ:かなり本格派。でもベストじゃないかな。
京風イタリアンの初体験になった…って言うより,パスタなんか家で500g位ドバッと茹でて食ったほーが満足に決まってんじゃん!!論者だったわしには,本気で味わった初イタ飯になったこちら。全体としての第一印象は――相当に上質なんですね。
イタ飯の一般イメージと違って,チーズやオイルのコテコテギトギト感が遥かに薄くて,野菜を多様。
後で勉強したとこでは,そもそもイタリアンって「奴ら何であんなに野菜ばっか食うんだ?」って嘲笑されてた食文化だったんだって。中世までの白人社会では野菜は下等な食材。この禁旨を初めて破って成立したのがルネサンス期のイタリア食文化だったんだと。
中華と同じくこの料理群も,本来の姿は日本で呼ばれてるそれと別物の可能性がある?
正午過ぎるとどっと10人ほど客が来た。一人客が半分?妙に多いな?でも席数の割に客の入りはほどほどで,予約しなくても座れそ。人気倒れじゃない実力店に一般に見られる傾向です。
決まったな。京都は,イタリアンも期待は出来るぜ!
それで調子づいて足を運んだ吉田泉殿町。
京阪出町柳の東南角から入った住宅街の路地裏。子どもが遊んでる脇の普通のアパートの一室に小さな看板「カンティーソ・ロッシ」。
ホントにここかあ!?
▲カンティーソ・ロッシの軒先
とりあえず…一番お安いセットを注文。初回だしな…1950円の…ゲッ!高い!!許容範囲いっぱあい!
…まあ落ち着きたまえ。(自分だけど)動揺を抑えるため窓外を見やる。昼寝したくなる町屋の裏の縁側の日差しがぽかぽかしてます。
落ち着きかけたわしの耳に入ってきたのは,隣席の5人組のキンキン声。店内は4人席1つと2人席3つ,後はカウンター。その4人席に椅子を足して,美術家っぽいオジサマオバサマが,やッたらキザでビッグな会話しながらワインを頂かれておられる。日本の英語教育を辛辣に批判中…こちらは平民のしがない小役人でしかも教育屋で…頑張ります…
▲カンティーソ・ロッシ 野菜の野菜
まず参りましたお皿は――前菜の野菜の盛り合わせ。ただ焼いただけに見えて,妙~に美味!ただのバーベキューに見えるのに,何でだ?下ごしらえで香り油か何か仕込んであるんでしょう,野菜がゴロゴロしてるだけの一皿がスンゴい満足度でした。
スープ。冷製ポタージュだったかな?他でも多いタイプだったのに,これまた繊細な味わい。
次のメインの皿が凄かった。パスタ。ソーセージとレンズ豆,オイル系ソースでした。何のソーセージ?エラくアクセントのあるアクの強いソーセージです。この凶暴な個性を,レンズ豆ののっぺり重い穀物香が丁度よく中和する。しかも互いの個性を殺し合わずに,むしろ生かし合ってる。あたかも破壊神シヴァと創造神ヴィシュヌの如くに(…とまで言うか?)。
これにデザートが付く。5人組の殿様方もお気に入りのわけだよね。
▲カンティーソ・ロッシのパスタ
えっと次は…烏丸丸太町交差点から西へ1分です。
なぜかこの日のターゲット3店は程良く散らばってた。四条烏丸‐出町柳‐丸太町烏丸を11時半から2時半までの3時間で回るのはハード過ぎ!ランチタイムの都合でこの順番しかないし…出町柳から丸太町は結局タクってギリギリでした。
丸太町烏丸の交差点着。ええっと「ラ・カマルティーナ」は…どこだよオイ?もー時間ねえよお!
前の2店のイメージに引きずられてて少し迷ったけど,セブンイレブンの隣りの角地に唐突に出現。一見どこにでもある喫茶店でした。
何とか間に合った。ランチ注文して氷水をがぶ飲みでした。
しかし――前の2店にはないカジュアルさ。時間も良かったのか,客層も若いのが多くて一番肩の力抜いて食えましたね。
前菜の6種盛り合わせ――これはお値打ちでした。カボチャのクリームがけ,玉ねぎのピクルスその他非常に珍しい…「時計回りに〇〇でございます」って説明頂いたのによく理解できないのが計6種類。どれも大変上質な味でして。
しかし――思ったのは,イタリアンってこーゆー多彩な皿も作れるのね。和食やフレンチなら分かる。中華でも,京都の美齢・煌庵,高知の彩華では多彩な皿が出る。でもイタリアンって,そんな多品目の料理の種類はないもんだと思い込んでた。ナポリタンをドバッってイメージね。
その意外な印象は…けれど日本のイタ飯しか知らんわしの無知だったってことは,後で勉強してみて思い知らされましたが。
▲ラ・カマルティーナ 前菜6種プレート
メインは,あさりと赤ホウレン草のスパゲティ・トマトソース。パスタとも他の変な専門語でもなく,「スパゲティ・トマトソースだ!文句あっか!」と開き直ってるとこが堂々としてて良いね。
市販のナポリタンとは流石に別次元の風味。トマトそのものも野生の酸っぱさをぶつけて来る上に,あさりの海鮮味も赤ほうれん草の濃い野菜味もガツガツした力強さで鼻腔を直撃してくる。野趣溢れる味ってゆーのがピタリ。
トマトソースがこんなに凶暴な味とは思わなかったデス。
デザートにはりんごのタルトと黒糖のジェラート。
最後はエスプレッソ。これは全然普通のコーヒー。
…でしたが,わし的にはこの開放感でこの遊び心,そしておそらくこのレベルの食材なら,技術的に多少落ちても3店の中じゃあこーゆー店に頷きたいッス!
物を食うのは自分のために大切にすべきだけど,それは気取れってこととちゃうねん!その点ではヨーロッパはアジアに物凄く遅れてると思いまーす。
▲ラ・カマルティーナ パスタ
翌日も1つイタリアンをと二条城前まで足を運んだけど満席で入れませんでした。2回突入したけど全然ダメ。
この際ーってことでサラサ3へ。河原町で何度行っても入れない人気店で,現在4まで増殖してる。となると一回は行きたいと思ってた。前を通ると…あら,ここもイタ飯じゃんか!
入ると何とか席があったんで,Aセット(1050円)を注文すると――
(本日のパスタ)
ツナとキャベツ,ドライトマトの軽いトマトソース
(前菜)
ベーコンとキノコのバルサミコソテー
タコのカルパッチョ
フォカッチャ
サラダ
イケそなメニュー構成だったけど,結果的には首を傾げる内容でした。何でこのチェーンに若いのが押しかけてんだ?ただの流行なのか?
わしは全く乗っかってなかったけど,イタ飯ブームは到来以来かなり経つ。
日本のイタリアンって,この京都においてすら,中華と同じ道をたどってないか?つまり…本場ではマイナーだけど手軽に作れる料理に安易にステレオタイプ化した「日本風イタリアン」への道を。
その中で,本気に誠実なイタリアンもちらほら出てきたかなってのが,ありのままの現状みたいですね。
当たりが続いて大絶賛!て訳でもなく,不思議な驚きと引っかかりを残した京風イタリアンだったので…少し勉強せずにはおれませんでした。
フランス料理の原型は,16世紀にフィレンツェからアンリ2世に嫁したカトリーヌ・ド・メディシスによってもたらされたとされる。
え!?カトリーヌ?どっかで聞いた…あっ!ルネサンスの悪女と言われるメディチ家最後の王女!?星野宣之の「メディチ家の毒薬」で猛毒カンタレッラを巻いたヒロイン!?あのマンガでは彼女がフランスに嫁ぐとこで終わったけど…あの後そんなことしてたわけか!!流石に滅んでも(転んでも)ただでは起きないたくましさ!
カトリーヌの持ち込んだ「イタリアン」がルイ時代を盛りに宮廷で過激な華奢化をたどった後,突然フランス革命で潰れたもんだから,路頭に迷った料理人たちが庶民の食事用に改造したのが現在のフランス料理。
てことは!?フランス料理って洗練されたイタリアンってこと?
今回の体重半減過程で,何となくイメージしてきたこと――文明の根幹は文化であり,文化の根幹は衣・住よりも食文化。だから偉大な飛躍を遂げる文明は,必ず偉大な食文化を持つ。
ルネサンスとは,単に文明の開花期だったんじゃなかったんじゃないか?そこでは食文化もまた前代にない発展を遂げ,それがフランス料理はもちろん洋食一般,さらに西洋文明一般の原動力になったのでは!?
現に――当時の世界で最大勢力だったムスリム圏の辺境に位置し,地中海貿易を一手に引き受けたイタリア小国家群には富と物質が集中し,そこに生まれた下克上の気運が中世の価値観を次々に突破して行ったのがルネサンスの文化的な意味。この時期,同じ背景で多種の肉や野菜を駆使したイタリア料理の基礎が作られている。
例えばパスタは,それまで焼く(パン)か煮る(ポリッジ)だけだった小麦粉を,練った後に茹でる食法として,中国の麺とは別個に創出されたとされる。粉を練る文化と煮る文化,そしてもちろん安定した麦の生産量と強力粉の製粉技術。これらが交わった時空で初めて生まれたもの。
現在世界を席巻するアメリカの食文化も,ピザといいパスタといい,食事の原型はルネサンス起源のものが多い。新大陸はトウモロコシ,トマト,唐辛子など食材の宝庫だったけど,イタリア半島で食文化に転換されて改めてアメリカに入った。コーンスープ,トマトスパゲティ,ペペロンチーニ…。
ルネサンスが食文化により大きな影響を与えたのは,しかし何より先に思想だったらしい。世界初の印刷された料理本「真摯な喜びと健康について」をプラティーナという図書館長が書いたのが15世紀半ば。「食事という肉体の喜びは適切な状況であれば真摯なことだ」て考えを初めて提唱した。それまでの中世キリスト教世界では,質素な食事が善なわけ。他の宗教世界でもそうだろう。フランスにはガストロノミー(美食学)という学問がある。
日本にだってそこまでグルメを真面目にやるスタンスはないしょ?いや,特定の町にはスポット的にあるか?名古屋,博多,京都――
そう考えた時,京風イタリアンやフレンチの存在が少し分かった気がした。共鳴する思想が,地球を1/3周もした場所で邂逅してるイメージ。
世界で最も愛されてる料理がイタリアンってのは疑問の余地ない。
フレンチの地域普遍性は,直系の親にあたるイタリアンにも言えるようで,この京都の後で旅行先を当たるとやはり各地に名店はある。単にイタ飯ブームの残照かも知れないけどね。
驚いたのは――岡山近辺にいい店があんのね。当たりの率もかなり高かった。
岡山駅の1つ西よりの駅,北長瀬から徒歩15分。イタリア食堂 Mamma(マンマと読ませる)。
国内唯一の生パスタ製粉機械を入れてるこちら,ソースより何よりパスタそのものがツルツルのシコシコ。北イタリアでは普通に食べられてる味だって。
さらに西,倉敷美観地区入口のRistorante Canale。
少し高いけどランチは絶品!技も遊びもこの上なかったッス!!岡山だから食材もきっと最高なのね。
▲Canaleの季節の野菜のフォンテーヌ
▲Canaleのドルチェ ブドウのコンポート