心のほしいままをとってから@ことばぐすい

岡 奈良の博物館で,正倉院のいろいろなきれを陳列していた。破れてしまっているきれの片々を丁寧に集めて,丹念に紙にはってあるのです。それをこちらも丹念に見ていった。三時間ほどはいっていたでしょうか。外へ出てみると,あのあたりにいろいろな松がはえておりますが,どの松を見ても,いい枝ぶりをしているのですね。それまでは,いい枝ぶりの松なんか滅多にないと思っておった。ところが一本の幹につくその枝ぶりが,どの一つもみなよくできているように見えた。だから,丹念に長いあいだ取り扱ってきたものを見ているうちに,自分の心からほしいままなものが取れたのじゃないか。ほしいままなものが取れさえすれば,自然は何を見ても美しいのじゃないか。自然をありのままにかきさえすればいいのだ,そのためには,心のほしいままをとってからでなければかけないのだ,そういうふうになっているらしい。この松は枝ぶりがよいとかいけないとかという見方は,思い上がったことなのです。それではほんとうの絵はかけないらしい。

岡 酒は悪くなりましたか。
小林 全体から言えば,ひどく悪くなりました。ぼくは学生時代から飲んでいますが,いまの若い人たちは,日本酒というものを知らないですね。
岡 そうですか。
小林 いまの酒を日本酒といっておりますけれども。
岡 あんなのは日本酒でありませんか。
小林 日本そばと言うようなものなんです。昔の酒は,みな個性がありました。菊正なら菊正,白鷹なら白鷹,いろいろな銘柄がたくさんございましょう。
岡 個性がございましたか。なるほどな。

出典 小林秀雄・岡潔「人間の建設」新潮文庫,平22