外伝07(≧∇≦)再訪・香り米の6月

▲草や 昼定食(6月26日)

 これを食うために,再訪したんである!!
 シリーズ終了3か月経過後の6月末。もう待てん!いや,何を待つわけでもないけど,最終回で見つけてしまった草や,それとOrangeを,それきりにするのはあまりに悔しい!
 ってことで岡山発の南風にいつものように乗り込みまして,瀬戸大橋も渡って丸亀も過ぎ…「お客様にお知らせいたします」車内アナウンス?「本日この列車は阿波池田を終点とさせて頂いております」
 え?何だそれ?
 どうも昨日の集中豪雨が四国山中でもひどかったらしい。今は少し怪しい曇り空程度なんで,全く予想してなかった。阿波池田から高知まで代行バスが出てたのでそれにギュウギュウ詰めで一路南へ。
 少し遅れて高知駅に着く。駅から出ると小雨が降りだした。カバンの底に常備してる超小型の日笠をさして宿まで歩く。すると…ご…ごおおお~とにわかに凄まじい豪雨に!!
 ビショビショで宿にたどり着いて,無料の傘を借りる。少し躊躇したけど――冗談じゃない,雨くらいで諦め切れるもんちゃうで!
 徒歩15分,Orange着。ジーンズの下半分,グッチョングッチョン。雨はまた一段とヴァージョンアップ。
 「信じらんない雨ですね」とOrangeのお姉さん,かなり呆れ顔。まさか,この貯水槽をひっくり返したよな雨の中を歩いて来店する奴がいるとは!…って,わしが一番ビックリなのよ。こんなに降るとは!
 さて,草やがそろそろ開店する時間だが。Orangeのある八反町,高知城の北辺りは電車にも乗れない,バスも便がない。腹を決めて歩くしかないが…。
 どこまで降るんだ?雨足,トップギア状態。南アジアのスコール並。路上に跳ね散る雨粒で路面が見えない。風まで強くなってきて傘をまともにさせない。
 ずぶ濡れじゃ!いや,もうそれはいーが,布製の靴の中に雨水が一杯で,一歩ごとにバッチョンバッチョン派手な音。この雨音の中で聞こえるほど。
 高知城南の草やに到達すると,丁度,定食メニューの表示を出してる所。ひどく遅いが「暖簾がどっかブッ飛んでっちゃって」とのことで,表示看板出そうかどうか迷ってたらしい。どうせ今日客来ないだろし…。
 だもんで,わしがたどり着くと一種の感動を呼んでしまったみたい。「いつもは白ご飯だけお代わりOKなんですけど,今日はゆかりご飯もOKです!」
 世の人々に感動をもたらせて光栄の極みでございますが…目下の課題としては,服と靴を乾かしたいです。てゆーか,そろそろ止んでくれよ!
 そしてさらに重要な点は――この天候で,高知から帰れるんやろか,わし…?
 でもまあ,ここまでして来たんだ。今は草やのご飯!

▲草やの後で向かった安芸ぢばさん市場前 フジムラにてパンセット
いつもながら満足!欧米本場ぶったところはない。素材,焼き上げの丁寧さ,まさに高知スタンスの町のパン屋さん。

 本日の定食メニューは――
ゆかりご飯
ハガツオのタタキ
ツナじゃが
高野と干ししいたけ
ほうれん草のごま和え
きゅうりの酢物
デザート
 これだけ見ると,ホントに何の変哲もない。
 実際食っても,「こんな料理があったのかあ!」的な新奇さはない。「高知の家庭料理」を名乗る通り,当たり前の食卓。あえてそこを離れないスタンスが,ここのポリシーみたい。
 だから,スゴいんです!
 ハガツオから始まってほうれん草,椎茸,ジャガイモ,食い慣れた食材の食い慣れた味。調理も食い慣れたダイレクトなもの。なのに――。
 舌に映る味覚の明度が全く別次元。どれか一品がというんじゃなく,どれもがそう。水彩画と油絵ほど,ハッキリと違う!
 高知出身のサイバラが「恨ミシュラン」で書いてた。日本の野菜には匂いがないと嘆く辺見庸に,確かに東京にはないが,高知に行けばまだあると。
 改めて衝撃。何なんだ,このお膳!

▲草や 昼定食の漬け物

 一々料理を見ると語り尽くせないッス。
 一番,草やのご飯の衝撃を象徴するのは,前回とも重なるけど――ご飯,漬け物,それからメニューに書いてさえないけど,汁です。
 和食は,畢竟この3つがあればいい。なんぼおかずが美味くても,この3品を大事にしてない和食は食えん。と言うより,美味い和食屋は,不思議なほどに例外なく,かの3点を宝玉のように磨き上げて出します。
 まず,草やの漬け物について。
 お膳の外に一皿付いてきます。種類は数種類。野菜の種類も多彩なら,漬け方も浅漬けから古漬けまで。さりげないこだわりと自信が窺える出し方。
 いわゆる漬け物臭さが全くない。
 ヌカがちゃんと臭い。その臭みが極めてピュア。臭みは本当にピュアだと芳香に昇華する。この芳香が,繊細なタッチで鼻孔をくすぐる。
 この繊細さがそうさせるんだろう。このヌカ臭さを序曲として――。
 野菜味がムッと来る。辺見庸の言う,日本にないはずの野菜の匂い。ヌカの芳香に化粧され,晴れの卓上に並んだ高知の野菜は――
 強い。
 サラダだとエグミとして感じられる胡瓜や白菜,大根の野菜味が,迫力の匂いに変貌してる。変な言い方だけど,肉のような力強い匂い。
 漬け物って加工は,食材の本来味を引き出すためのもんだ。その当たり前のことを思い起こさせてくれる。
 中でも迫力だったのは,ニンジンでした。お子様が大嫌いなあの独特の苦甘さが,何でこう変貌してしまうのか?ホクホクとトロける苦味と酸味と甘味の複合したあの味に――いつもの嫌われ者の姿はどこへ行った?そんなイイ子に収まっちゃって恥ずかしくないのか!とか責めたくなるほどで。

 草やの汁。
 香港後だったからか,前回コレはあんまりピンと来てませんでしたが,今回は凄さが少し分かった。
 料亭の汁ほど洗練された出汁ってわけじゃない。京都風,料亭風の汁って,乾物は一番出汁の段階で,食材はアクを抜いて清湯を通して,最も旨味の出る状態で取ったもの。つまり雑味を除去する思想で作ってく。
 一つの合理的なアプローチです。韓国のソルロンタンとかコムタンとかの白い肉スープも,食材は違うけど思想は同じ。つまり,味覚の層を一元化するような一次加工の思想。
 だけど,和食の王道とされる技術だから大胆な指摘になっちゃうけど――あの思想で作った出汁は,食材味の特定の部分を技術的に切り取ってるわけで,そこに無理矢理さというか不自然さというか,何か違和感を感じてます。
 草やの汁は,雑味がある。田舎風です。食材の持つ多彩な出汁を,エグミや灰汁をカットする度合を少なめに使ってるんだと思う。
 椎茸がメインだろうか?繊細さをちゃんと持ってるのは,出汁の薄さで調整してるのか?京都料亭的には完成度が低いはずなのに,なぜか物凄く美味い。腹の底から満腹感を感じる美味さ。人工的な気取りが感じられない自然な美味さ。
 なぜ?
 分からない。確実に美味いのに,理解不能な美味さ。僅かに学んだ和風出汁の知識を根底からひっくり返されたような…。
 こんな汁,あり得るんだ!

▲池澤鮮魚店ののし卵
 夕方行くといつもの鮮魚コーナー閉まってた。その横手,いつもウナギ売ってるコーナーで,諦め悪く購入したコレ…スゲエ!水羊羹みたいなユルい食感に,薄くたゆたう卵味がたまらない!

 で。やはり問題はこれ。
 草やの白ご飯。お代わりは,変な顔されたけどあえて白ご飯にしました。
 日本米としても第一級の洗練された深みを持つのに,東南アジアの香味を合わせ持つ米。
 どうやら――これが,土佐の香り米ってものらしい。しかも草やの,野菜ソムリエ産だというこの米,タイとかのよりずっとポップ。
 香り米(かおりまい)――昔から知ってはいたんだけど,悲しいかなこれまでは,美味さを認知できる舌がなかっただけなんである。
 香りを持つ玄米の一品種。別称:麝香米(じゃこうまい),匂い米,香子(かばしこ),鼠米,有臭米。
 通常の日本米に混ぜて炊くことが多い。混米量は好みがあるみたいだけど,四万十の上流域には100%香り米で食す方法もとられる。
 香り米の香りは,一般に枝豆や小豆を茹でた匂いと表現される。アメリカ人は,ポップコーン,ナッツの匂いと形容するらしい。この香りが嫌いな人もいて,彼らはネズミの小便の臭いと言うことも。
 この香り,栽培中や収穫後の環境で決まるらしい。日本での調査結果では――昼夜の気温差が大きくて,標高の高い地域で栽培した方が香りが強い。施肥が多いと香りが弱まる。高温で乾燥させると香りが飛ぶ。出穂後一か月経過すると徐々に香りが薄くなる。
 香りが最も強いのは開花中。中国の三国時代の書に,開花時に畔を通れば気付くほどの香を放つ品種の存在が記載される。…てことは稲にとっては,他の植物同様に昆虫を寄せるための匂い。
 化学的には,主な香り成分はアセチルピロリン。米の香りの成分は200以上見つかってるそうだけど,香り米のアセチルピロリン濃度は普通の品種の数倍から数十倍。
 香り米の品種によっても微妙に香りが異なるけれど,その成分の違いまでは研究が進んでいない。
 なお,このアセチルピロリンは,特に米粒の外側に含有されてるから,精白すると香りが弱まる。
 さてブランドとしては。
 メジャーなとこでは十和錦(とうわにしき)。――昭和32年,高知県幡多郡十和村で発見,農家の飯米用として普及。この香り米は,混ぜずにそのまま炊いても美味いとされる。
 定番としてはヒエリ。――日本の在来種。香り米中,最も作付け面積が広い。県の特産品になってる。
 新作的には,さわかおり。――平成7年,高知農技センターが開発。山間地の冷たい沢の水で育つそうで,当時の橋本大二郎知事が命名。
 妙やな?どうもこの経緯からして…。
 恐らくこの香り米,下世話な「米以下」の米みたいな扱いで,割とこっそり食われてきたっぽい。
 何で?

 現代にわかに脚光を浴びたらしき香り米,さらに調べてくと――それは,在るべき評価の回復に過ぎないようです。
 世界的には,香り米の評価は燦然たるもの。
 文献上確認される最初の栽培はBC4世紀,マウリヤ朝インド。富裕層の奢侈品だったと伝えられる。現在でもインドやパキスタン産の香り米,パスマディなどは高級米扱い。
 東南アジアでの歴史は不詳だけど,タイのカーオホームマリ,いわゆるジャスミンライスは好んで食される。この匂いを出すためにパンダン(和名:ニオイタコノキ)なる植物の葉を用いる調理法があるほど。このパンダン,アセチルピロリンを多く含有する。
 遅れて中国。1世紀頃の文献に「香」,「香稲」,「香粳」といった語が登場。これらの語が現在の香り米とイコールかどうか諸説あるけど,少なし香り米を含む用語と解される。
 イタリアやスペインの米も,香り米の部類がメジャー。
 つまり?古くから世界中で香り米は好まれてるってこと?てゆーか…日本人にだけ好かれてないって方が実情?
 じゃあ,日本の香り米って土佐独自の食文化か?
 と思ったら,全然そんなことない。
 そもそも日本の古代米と言えば,沖縄に残る黒紫米,対馬に残存する赤米,そしてこの高知の香り米。
 17世紀の日本最古の農書「清良記」に,既に香り米の記載が。「薫早稲」「香餅」として記される。同時期の「会津農書」には「香早稲」「鼠早稲」の字が見える。
 19世紀初めの農書「成形図説」には用途的解説付き。古代から神饌米,祭礼用,饗応用に用いられてきたという。
 土佐の香り米の本場は四万十市の旧中村市域。中村は今も小京都の一つで,一條大祭(いちじょこさん)って祭が有名。室町期に土佐幡多郡なる荘園があり,藤原北家の一条家の領地だった土地。
 応仁の乱の際に,一条教房(前関白)が都から疎開してきた。香り米の生産はこの時始まったとされる。要は,教房くんが「香り米が食べれないなんて嫌でおじゃる」とか駄々こねたらしい。自分の我が儘ぶりを歴史に残すのはイタいよ!とは思うけど,まあその位,公家の世界じゃ好まれてたわけ。
 要は,こーゆー類いが,我々の祖先が食ってきた米なわけで。
 じゃあ?なぜ今のわしらの食卓には香り米がないんだ?
 何で?

 結論として――近代日本人がこの食文化を一度滅ぼそうとしたからです。
 明治期初頭には,香り米は優遇されてる。
 19世紀末,北海道庁編纂の「北海道農事試験報告」では,香り米は不良地帯向けの稲として開拓期に活用されてる。
 香り米は吸肥力が強い特徴を持ち,一般に不良田とされる棚田とかでも育成が容易。環境の変化にも強い。
 香り米を葬ったのは,拡張期に入った明治中期以降の食料政策。
 つまり,米作の普及上行われた品種の規格化の中で,香り米に烙印が押された。香り米は収量が低い。丈が長く倒れやすい。香りが鼠の尿のように感じられる。
 全国的に普通米奨励品種への画一化が進む中で,香り米は江戸期のキリシタンの如く弾圧,各地で細々と栽培が続くだけになる。
 なるほど。だから土佐の香り米は「発見」されたわけだ!
 復権は20世紀後半。高知県を筆頭に,宮城・山形・宮崎・和歌山などの地方自治体が特産品として売出しを開始。生産量がにわかに増加に転ずる。
 ここに至り,国の農政がついに大転換。平成元年から6年かけて農林水産省が「スーパーライス計画」なる米の新種開発を実施。香り米の「発見」と優良種のセレクトも進む。
 計画のHPによると――
「世界には多種・多様な稲品種があり,米の晶質特性も様々である。
 日本の稲は稲全体から見れば限られた範囲のものが伝来,定着したと考えられるが,時代が進むとともに一層多様性が失われてきた。近年,消費者の間では海外との交流やテレビ映像などを通じて多様な米や米料理が知られるようになり,新しい形質の米に対する関心が高くなっている。」
 とても,歴史と国民に優しい文章です。
 安易に国政を責める気はない。ただ,米食の本場気取りの日本人に,歴史的反省を促す必要はあるのでは?
 白人的な罪の意識で書けば,こうだろう。
「…日本の稲は,本来多様な品種が伝来,定着し,時を追い我々の食文化を育む基盤ともなった。しかし,近代の富国強兵の過程で,我々日本人は一転してその画一化を進めてきた。その結果,日本の米食は多様性を失い,これが和食の硬直化の一因となった…」
 美味より便利を選んだ過去を,ちゃんと悔いる。そこからしか,ちゃんと食うってことは始めらんない。
 そして。今の日本で最初にそれを始めたのが高知だった――って何度目かの驚きでもって,高知日曜市編,ひとまず終了!

▲「ぼくの村は馬路村」(うまいむら)