外伝10 弗 $Before 4 weeks$ Deep south and their foods

 私の好きな料理…もちろん和食です。
 でもアメリカに移り住んで私が出会った大好きな料理があります。
 始めてGumboを食べた時から主にルイジアナ地方の郷土料理とも言えるCajun料理,Creole料理,そして南部地方一体に広がる家庭料理。
 最初にCajunそしてCreoleの歴史をかいつまんで振り返ってみましょう。

〇ルイジアナ料理 Cajun&Creoleの歴史
 元々Creoleというのはヨーロッパで生まれた貴族達の子孫でスペインを追われ1690年代にルイジアナ州New Orleansに定植した人々から始まります。
 祖国で相続権のない長男以外の息子達はやっと新世界で土地を持つことを許されたのです。
 彼らは祖国で受けた教育や財産のみならず新世界に料理人達も連れて渡ってきました。
 クラッシックなフランス料理,スペイン料理,ドイツそしてイタリア料理の影響を受けた素晴らしい料理法がこうしてブレンドされ確立されることになります。
 たとえばスパイスを取ってみるとこれはスペイン料理の影響が多大で皆さんご存知のパエリアは後にルイジアナ料理では有名なジャンパラヤ(Jambalaya)として生まれ変わります。他にもルイジアナ地方で欠かせない食材であるソーセージはドイツから連れて来られた豚,鶏,牛を素材に作られるようになります。
 また西インド諸島からはGumboの元になる料理法が伝わり,原住民であるインディアンからはとうもろこし,Creole Cajun料理には欠かせないSassafras,月桂樹などのスパイスを伝授されます。アフリカからはGumboに必要不可欠なOkra(オクラ)が伝わります。こうやってあらゆる料理法を吸収しながらCreole料理はNew Orleansのまわりに住みついた人達の中で徐々に確立していったのでした。
 Cajun達はカナダ東部Nova Scotiaから流れてきたフランス系移民の子孫が1755年頃ルイジアナに定植したのが始まりです。元々彼らはAcadiansと呼ばれていました。
 彼らはNova Scotiaの荒地で漁や農耕をインディアンから学んでいたためルイジアナの沼地に定植してからも現地のインディアン達と交流を深めあらゆる海の幸を材料に料理をすることを学びます。
 そしてすでに定植していたドイツ系移民スペイン系移民とも交わっていくようになります。
 元々1620年頃にカナダに移り住んできたAcadianの祖先達はBrittany,Normandy,Picardyなどからやって来た漁師や農夫であったため,最初の新世界カナダでもそしてルイジアナでも新しい生活に慣れるまでそう時間はかからなかったといいます。その後フライパンを武器に彼らはCajunと呼ばれるようになります。Cajun料理の特徴は鳥獣類,魚介類,ハーブそして野生の野菜を使うことであり,スパイスは使われていませんでした。
 Cajun達もCreole同様ドイツ系移民からソーセージの作り方を学び一つの鍋で料理をする料理法も確立していきます。この代表がGumbo,シチュー,ピカンテ,フリカッセそしてあらゆる野菜にスタッフィングを詰めたものなどと言えましょう。
 そしてこの奥の深いCreole料理法とCajun料理法が見事にブレンドした料理法が現在の有名なルイジアナ料理として花を咲かせたといえば誰もが魅せられるのは当然といえるのではないでしょうか…。

〇ルイジアナ料理に欠かせない主な食材について
Roux(ルー):これはフレンチでも使いますが小麦粉とオイル一対一の比率で香ばしくなるまで炒めたものです。ルーはあらゆるルイジアナ料理のベースになります。
 ホワイトルーから薄茶色のルー,そして濃い目の1セント硬貨に似た色のルーまで調理時間によって濃さが違いこれは最後の料理の色も決めるのでレシピによって調理時間を調節します。ニケルの色になるまですくなくても30分から40分鉄製フライパンの前に立って始終焦げないように混ぜるのは忍耐のいる作業ですが…私は自分でいろいろ試してみて恐らく誰もやっていない?と思う方法を発見しました。邪道だとは思いますが先に小麦粉を鉄板に広げてオーブンで茶色になるまで焦がさないように色をつけてから熱いオイルに混ぜ入れてルーを作るとあっという間においしいルーができあがります。試してみる価値はあると思います。
 多くの人はこれに似た方法ですが電子レンジでルーを作るそうです。

Crawfish(西洋ざりがに):このページの最初に写真を載せていますがルイジアナ地方のデリカシーとも言えるCrawfishはそのままチュ-チュ-すって食べるもよし,サラダにも良し,代表料理である料理はCrawfish Etouffeeでしょう。
 海老に比べてすこし脂肪分が多くて一度食べると忘れられない味になると思います。
 New OrleansではCrayfishとも呼ばれておりルイジアナ州での捕獲高,消費量は全米の9割を占めるといわれます。テキサスやミシシッピ-州でもCrawfishは捕獲でき南部料理には欠かせない季節の風物詩となり方々でフェスティバルが開かれます。大鍋にとうもろこしや玉ねぎと一緒にCrawfishを茹であげ新聞紙を敷いたピクニックテーブルで豪快にいただくCrawfish。一度経験してみてください。忘れられない思い出になること請け合いです。我が家の冷凍庫には産地直送の冷凍された剥き身がいつも保存されていてルイジアナの味を常時楽しめるようにしています。

Andouille(アンデュイソーセージ):豚肉でできたスモークソーセージ。ルイジアナ以外ではあまり見かけることがありません。フランスの同じ名前のものとは違いますので要注意。
 シチュー,ジャンバラヤ,Gumboなどに使います。北の地方でもCajun Andouilleとして売られていますが味は何故かポーリッシュソーセージのようでどれもあまりおいしいとは言えませんでした。是非本家でお試下さい。

Cane Syrup:ルイジアナ料理のレシピによく登場するのがこのシロップ。
透明または茶色のシロップでニューイングランドのメープルシロップと同様Pancakeにはもちろん豆料理,お菓子にといりいろ使います。
 さとうきびから取れたシロップのことです。

Cayenne Pepper:赤唐辛子から取れる日本の一味唐辛子に近いものだと理解しています。
 こしょうと供にルイジアナ料理には欠かせないスパイスです。

Crab Boil:Shrimp BoilまたはCrawfish Boilとも呼ばれスーパーの香辛料売り場には全米どこでも見かけるようになりました。元々蟹や海老,ザリガニを煮るとき使うシーズニングミックスで液体のものとスパイスがティーバッグ式になったものとあります。
 我が家では普通にとうもろこしやNew Potatoを湯がくときにもこのスパイスをいれてフレーバーを楽しんでいます。BBQのサイドディッシュには最適です。
File Powder:Sassafrasの葉を乾燥して粉状にしたものです。Gunboには欠かせないスパイスでいただく直前にGumboに振り掛けます。決して煮込む途中に入れないで下さい。(発音はフィレーパウダーです)

 そして最後にルイジアナ料理を作っていて気がつくのが,玉ねぎ,ピーマン,セロリ,パセリそしてにんにく。これらの野菜が多くの料理のべースになっているということです。…ということもありパセリのみじん切りは常時冷凍しておくと便利です。
 アメリカの北部に住んでいるとなかなか本物のケイジャン料理は味わえませんが家庭で作ると簡単においしいケイジャン料理が作れます。
 あまりケイジャン料理に馴染みのないこのあたりの人たちもパーティーなど機会のあるごとに私が作るケイジャン料理をとても気に入っているようです。
 夫のサプライズバースデイにはニューオリンズに住む親友夫妻から直接空輸で送ってもらったCrawfish(西洋ざりがに)や蟹,牡蠣を使って30人前のガンボー(Gumbo)やCrawfishサラダ,Etouffeなどを用意しました。あっという間になくなってしまってびっくり。
 既にファンになっている人もこれから試してみよう?という人も是非まずはGumboから試してみて下さい。シーフードだけでなくソーセージやチキンのガンボーもあります。
 New Orleansはグルメな人にはたまらない町。Jazzファンの方もそうでない方も是非お勧めしたい私の大好きなおいしい町。
(アメリカのおいしい町 My favorite cousine)

南部文化を持つ地域、すなわち「深南部(Deep South)」(略)は、特徴的な信条,態度,行動様式,習慣,制度などで構成される地理的複合体とみることができる。かつての行動様式や現在の変化の多くは明らかに地理的な影響を受けている。ほかにも地理的意味合いを持つものが多い。
 南部の中にも,大きな違いがある。メキシコ湾岸,南部の山岳地方,ジョージア州から南北カロライナ州に至るピードモント,そして内陸北部の各地域はそれぞれ,独自の南部文化を持っている。しかし,いわゆる「南部らしさ」を共有していることもまた明らかなのである。

この地域の大半の地区では,人口密度が低い状況が続いた。南部文化の持つ濃厚な農村的色彩によって作られた行動様式は,20世紀半ば以降まで大きな意味を持っていた。
(略)
南部では,広域的な組織の発展が乏しかった。小さな市場の中心地が,物資の集積・出荷地点としての機能を果たしていただけだった。様々な経済活動を行う大都市の数は少なかった。こうした傾向に伴い,輸送網もまた,単に内陸の産物を沿岸の輸出の中心地に,手早く運ぶだけのものだった。小さな市場同士を結ぶ輸送網はほとんどなかった。その重大な結果として,この地域の農村部の住民のほとんどは孤立していた。
大規模なプランテーション農業は,毎年かなり多額の投資を必要とし,そのほとんどはアフリカからの奴隷労働力の調達という形の投資だった。このやり方がいったん確立すると,南部への移住は限定的なものになった。
(略)
 開拓希望者や都市労働者にとっては,北部の方がより多くの機会に恵まれることがわかったためである。従って,19世紀初め以降,南部における外国生まれの人の比率は,全米のどの地域よりも低くなっている。また,イギリス以外の国から米国への移民が,1840年代までは目立って増えなかったため,南部の白人の大多数はイギリス系が占めていた。
 イギリス系でもアフリカ系でもない長期居住者には2系統あり,1つはルイジアナ州南部のケージャン人,もう1つはアメリカン・インディアンのいくつかのグループである。カトリック教徒でフランス語を話すケージャン人の先祖は,カナダからのフランス人移住者である。ルイジアナ州南部の田舎に定住したケージャン人たちは,同州の他の地域が「深南部」の文化に次第に統合されていったにもかかわらず,文化的独立性を保っていた。アメリカン・インディアンのグループのほとんどは,中西部のインディアンと同じ時期に,同じように残酷なやり方で南部から追い出されたが,かなり多数の例外が南部に留まっている。
(略)
 「深南部」文化のもう1つの大きな特徴は,農村共同体と自作農場に根を下ろしている。南部の人々は昔から,福音主義プロテスタントの信仰で知られている。今でも地方には,小さくて地味な教会の建物が点在しており,日曜日には,農村や小さな町に散らばって住んでいる信徒たちが必ず集まってくる。この地方には,メソジスト,米国聖公会その他のプロテスタント会派の教会が多いが,圧倒的に人数が多いのはバプチストである。
 南部植民地で奴隷が広く用いられたことが最も大きな要因となって,南部文化に新たな2つの要素が加わった。その1つは,アフリカ文化の多くの要素がこの地域に伝わり,白人住民の文化と融合したことである。最初のアフリカ人がバージニア州に着いたのは1619年,初期のジェームズ川開拓地が築かれてからわずか10年後だった。奴隷が大量に輸入されてくるようになったのは18世紀に入ってからだが,この地域には最初から黒人がいて,地域の秩序と社会環境の一部をなしていた。南部の言語,食生活,音楽スタイルへ影響を及ぼしたことは,論議の余地がないところである。
奴隷の存在が文化に与えたもう1つの明白な影響がある。(略)ほかの人間を奴隷として扱うことを正当化するためには、奴隷とされた人々を下等とみなす必要があった。
(米国の地理の概要 – 第8章深南部)