外伝11 獨 And I never did sober up.
→上海→博多

▲素人チックな写真撮ってみました。フランクフルト発上海行ボーイング3141592機(適当)。地上から乗る方式で,しかも誘導がいい加減だったから,つい…。

 ユーラシア大陸をまたいで時計の針を8時間進めたら朝7時40分。上海に到着着。
 飛行機乗換オンリーなんだけど,係員の怖いお姉ちゃん,いくらトランジットと行ってもなぜか一度入国しろと言って聴く耳を持たない。仕方ないからまた中国に入国してから出国しました。滞在時間10分ほどって入国は,自分的にも最短記録。
 料金倍増以降は恒例で購入してるタバコ200本をここで買う,百本は峰,もう百本は中南海で22US$。
 そう言えば今回は空港でライターは取られなかった。中国系は毎回厳しいかったはず。他の客で取られた人もいるみたいなんで,どうも堂々とタバコにライター入れてそれだけ通せば見つからないらしい。つまり自分の権限を見せつけることが優先されてる運用なわけで…この辺はつくづく官僚的。
 便秘気味で水をガポガボ飲んでるけど,水は高い。さっきの500mlが4$,今買った750mlが7$。何じゃそりゃ,2本でタバコの半額分使っとるやんけ!得してんのか損してんのか訳分からんぞ(多分損してる)。
 先昨年のイタリアでもこの衝撃はデカかった。――中国経由で行き来すると,つくづくアジアに帰ったなあと実感できてよろしい。大陸中華人民共和国は,多少の経済発展したってまだまだ…良い意味でも悪い意味でも健在である(主には後者)。
 持ってきた文庫本をあんまし読んでなかった。帰りの便での時間を,このM・スコット・ベック「平気でうそをつく人たち」(草思社文庫,2011)に投じてます。
「悪」の存在を科学的に証明した名著とされるベック曰く――「悪性のナルシシズムの特徴としてあげられるのが,屈服することのない意志である。(中略)精神的に健全な人は,程度の差こそあれ,自分自身の良心の要求するものに従うものである。ところが,邪悪な人たちはそうはしない。自分の罪悪感と自分の意志とが衝突したときには,敗退するのは罪悪感であり,勝ちを占めるのが自分の意志である。」――確かに深く納得しちゃうけど…そんなこと言ったらわしが大嫌いで,でも同時にたまらなく魅せられる中国人の「健全さ」はまさにソレなんであり,つまり大陸中国人って人間集団はほとんどが「邪悪」ってことになっちゃうんだけど…。
 要はアジア人からしたら,そんなのいまさら何「発見」した気になってんだよ,てとこ。
 東西の文化的多様性を考えたら,別の意味で考えさせられる。確かにドイツ人は,言われるような意味では健全だったなあ。個人主義の権化のように言われるヨーロッパ人ってのは,単に我が強いってのじゃなくて,我は我だが彼も彼,つまり隣人の我に立ち入らないルールを大切にする人々なのかも知れない。社会を構成するユニットとしては,おそらくアジア人よりはるかに大人しい――それはアジア人からはある意味でとても美しく映る――パーソナリティなんだと思う。
 なお,こういう定義付けをしちゃうとアメリカ人ってのは,自認してる「白人の典型」なんじゃなくてむしろ「例外的にアジア人に近い白人」かも知れんなあ。

▲もう一枚素人写真。上海発福岡行ボーイング223620679機(適当)

 13時頃,福岡国際空港着。
 現在,国内ターミナル行き無料バスに揺られております。
 リュックの食い物群(特にブロート)は無事でした――つまりIQC各検査で。なぜか中を開けもせずに済んだ。
 少しでも開けたら,リュック内に充満した麦のいい匂いが立ち上ったしたはずなんですが…まあ我が実力と言ってよかろう。
 中洲川端まで地下鉄で移動。ちょっとだけいい宿に荷を降ろす。2時からチェックイン可のホテルです。
 しばしベッドで気絶。それでよく起きれたもんだと思うが,おそらく腹が減ったんだろう。少しだけ暮色の街にさまよい出る。

▲福正食堂の鯖味噌定食。こてこて和食

 和食を求め,アクロス地下へ。正福食堂である。
 今日の煮魚を尋ねるとコテコテの博多家庭料理っぽかったからコレに決める。
煮魚(さば味噌) 1100円
 味噌の地の味そのもので,サバも出汁も端的に包み込んでしまう味の造り方。それを改めて感じる。
 ドイツとどちらが端正な味わいだろう?…と考えかけて,その設問のナンセンスさに気付く。濃い味は分かりやすいが故にそのパターンは少種だからそういう比較もあり得よう。けれど淡い味は分かりにくい。それは複雑な組合せだから分かりにくいんであり,当然,濃い味より多種になる。深みに累乗して多様化するという手応えです。
 多様化ということは多尺度ゆえに起こる。つまり,ただ違いがあるだけ。もはやどちらが淡いとか,一元的な尺度は有効じゃなくなってる。
 ドイツの淡さは,小麦の味覚をくっきり端正に生かしてる。いわば写実的な美しさ。対して和食のそれは,悪く言えばだらしない。幾つもの波を複合的に生み出してる。いわば叙情的な美しさと言える。
 同じ白人域でも,イタリアやフランスの味は,その意味では和食のだらしなさを帯びてる。ロシアなどラテン系のもそうだと思う。
 かと言って,ドイツの料理の奥が浅い,単調な,アメリカに似た味だと言うんじゃない。重層の味ではあるんである。ただその輪郭が明確なのだ。
 端正さと言うのは,そういうことであるみたい。
 帰り道に,以前から気になってた「中洲からあげ英吉」で唐揚げを購入。密輸入したブロートの肴として。
夜唐 500円
 それだけの作業を終えて早々に宿に引き上げました。
 久しぶりでもやっぱり同じニッポンのダラダラTVを眺めつつ,ドイツブロートと中洲唐揚げをゆっくりと咀嚼。ベルリンの朝市買いの蜂蜜を付けながら。
 フランクフルトのあのバッカライもかなりのレベルのお店だったらしい。――何も言う言葉がない。帰国直後の療養食としても,そりゃもう完璧な一食でありました!
 で…爆睡!

▲最近中洲に増えた中津唐揚をアテに致しました。主役はもちろん――

▲フランクフルト持ち帰りのブロート。大きさはヘルメット位。
 ムチャクチャにウマかった…あんまりウマかったもんだから,どんな味だったか記録してません。食ってすぐ眠りに突入したものと思われますが…とにかくウマかったっつったらウマかったんである!

§SixWord:そして酔いが覚めることはなかった。