003-1帷子ノ辻\京都府


▲「システム作動中」不気味だけど一体何のシステム?
上京区般舟院前町の禁裏道場蹟隣の謎の敷地にて。

山電鉄の帷子ノ辻は,京都中華の名店・菜館wongの最寄りとして最初知りました。
 いつ行ったのかは例によって不詳ですけど関東行きの後,西日本らしい場所に行ってみた,という企画だったのかもしれません。
 ごくささやかな見かけの界隈ですけど,なぜかスマート珈琲の支店があるのも嬉しい。今回は「さがの食堂」という牛吸いの店を見つけました。
 それで調子に乗って沖縄X手法でマップをつらつら見てると,妙な場所が──つまり

沖縄だったら御嶽がありそうな場所

があるのに気づく。
 wongの麻婆豆腐に酔った足で,まず南の「X」を目指してみました。

にひなびた住宅地です。
 途上には松竹の撮影所もある。その塀で囲われた風情も影響してるんだろか。
 道に規則性や計画性がまるで感じられない。まっすぐ進んだと思えばT’字になってる。でも行き止まりにはならずに鈎字に折れて続く。
 家が古びてるわけでもなく,普通の一戸建てなんですけど,どうも不自然に入り込んでる。

そんな家屋群の先に,忽然と古墳が現れる。

▲蛇塚古墳
◇ポイント:GM.,蛇塚古墳 〒616-8153 京都府京都市右京区太秦面影町

なんだ?これ?
 道はこの塚のある緑地から同心円に延びてるようです。
 全く知らなかったけど,京都市域の古墳は嵯峨野に集中してるらしい。その中で最大の群が天塚,清水山古墳,そして蛇塚古墳の3つ。一応,前方後円墳だという。
 奈良を遠く隔てたこんな場所になぜ?と言えば,やはりその時代の京都,で連想される秦氏由来のもの。というのも一説であって,とにかく謎みたい。

※ 文化遺産オンライン/蛇塚古墳

▲仲野親王高畠墓(垂箕山古墳)
◇ポイント:GM. 右京区太秦垂箕山町7−21

がますます深かったのは北のX。
 ここも道ゆきはメタメタでした。嵐電線路を細い踏切道で越え,Googleマップの位置情報をオンにしっぱなしで曲がりに曲がってたどり着く。
 森です。
 同じく不連続にして不自然な自然林。上の写真の立て札のような,「宮内庁」名の取り付く島もない聖域。
 当然,沖縄Xのように侵入の企みなど起こしようがありません。


▲同東から。

に先の看板の先へ進むと,この東側の鳥居にたどり着くらしい。
 南から入って直角に左折し丘へ。

露骨な,封じ込めるような配置です。

 前方後円墳です。マップで見ると明瞭ですけど西北西を頭にした台形のような形状で,つまり東の鳥居が長辺に直行する方向。
 北はすぐに山陰本線。間違いなくこの古墳を避けて配線してある。
 東には足のように二本の路地が伸びてます。ここは普通の住宅地なんですけど,どうにも不可解な静けさがあります。


▲垂箕山古墳東側の集落風景

局ここは何なのか?
 古墳としては垂箕山古墳と呼ばれる。考古学的には6世紀築造と推定されており,時代は合わない。
 葬られてる仲野親王は桓武天皇の第十二皇子。生年792,没年867。
「薨後20年を経た仁和3年(887年)光孝天皇の女御であった娘・班子女王所生の定省親王が即位(宇多天皇)したことにより,天皇の外祖父として一品太政大臣が追贈」※ wiki/仲野親王
 どうも奇妙な成り行きです。
 皇室の系図一覧で見ると,秦氏を頼って京都に遷都し平安京を造った桓武天皇から,天皇の系譜は3人の実子(平城,嵯峨,淳和)に継がれた後,4代後が宇多帝となる。
 なぜ宇多期になってようやくなのか?
 仮説としては──3兄弟との後継争いには破れた後,祟ったのだろう。昔の墳墓に急遽祭り上げ,没年20年二品であり続けた官位を一品にした上で,封じた。
 それが秦氏の本拠の嵯峨だったというのは,さらに何かがありそうにも思えるけれど。


▲下立売通から見る天神川
◇ポイント:GM.

秦駅まで来たんだからとJRで東へ引き返してみました。
 円駅まで二駅。
 壹越(いちこつ→食べログ)という唐揚げと「おかず焼き」の謎の店を訪ねたんですけど,残念ながら閉まってました。
 その足で,地図上でちょっと気になってた天神川界隈を歩いてみました。これが面白かった!
 いや何かあったわけじゃないんですけど,

京都でこの小川の光景ってなかなかないような気がします。


▲天神川沿いの道

神川というこの小さな川,流れる距離は実は長大です。
 鳴滝沢山を水源に,御前通の西に沿って北野天満宮の西に出,西大路通の東脇を南流して桂川に合流する。
 紙屋川町までがその名の通り紙屋川天神川はそれより下流の名。北野宮の側を通ることに因む名とされる。古くは西堀川,柏川(かえがわ),荒見川とも。
 秀吉の行った目的不詳の都市計画・御土居(おどい)では,西の境界線になった。
 歴史も古いし規模もある意味大きいのに,表舞台に名の出ない川です。


▲行衛橋

衛橋といういわくありげな名の橋がかかってた。
 ほかの小さな橋にも名がわざわざ掲げられてたんですけど,後から調べると見事にヒットがない。
 不思議なマイナー感です。
 それで最後に「円町」の地名を調べると──平安時代にあった二つの刑務所のうち,西囚獄(にしのひとや)と言われる施設があった場所だという。明治まで「西の御仕置場」「三條川原ノ葬場」と呼ばれた。明確な場所は分かってないけれど,円町交差点の形状がその名残だという説もある。
 西の末場,といったイメージの場所だったということなのでしょう。
 ならばそのさらに先にある嵯峨野というのは──先代の人々にとっては現代に感じられる以上の

異界だったのかもしれません。

※ townmap/円町

おまけ:元本能寺町

◇ポイント:GM.

能寺があったとされる場所に行ってみました。
 碑が立ってるだけで,あまり往時を偲ばせるものはありません。
 ただこの

「本能」という地名が面白くて──


▲元本能寺町の消火用バケツ。ふふふ。


▲「本能夏まつり」
本能のままに踊り狂え!あややや!


▲「本能敬老会」
老いても止まぬが本能なり!けけけ!


▲「本能校跡」
かつては本能小学校とかあったんだろうか?校是はやはり「本能」?むむむむ。


▲本能特養等。お元気そうで何よりです。きききき。


▲「本能ずし」「本能自治会館」
ああああ~!


▲「本能消防分団」
本能の火を消す仏教僧の軍団!…だったら怖い。なむ~!


▲「本能食堂」
本能のままに,食って食って食いまくれ!お姉さん,おかわり!ががががっ!


▲「本能お化け屋敷」
それは…怖過ぎるだろ?けけけけけ…。


▲本能公園
本能のままに遊び狂え!およよよよ!