FASE61-3@deflag.utina3103#3_Re.当山の石畳道\歌乃道ひるく 犬子ねあがりや

~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
GM.(経路)

浦添郵便局→浦添経塚郵便局→首里平良GM.

読谷から60分,宮良の骨

ァミマでタバコを吸いながら,ルートを頭に叩き込む。
 バイクではルートの取りにくいあの店へ,北から向かうのは二度目でした。11時に間に合うか?
 1025,砂辺。
 1030,桑江。ボディペイントの自転車乗り。どうやら白人らしいけど。
 1043,大謝名交差点を左折。ここまでが正味35分か。やはりきついな。
 1047,真栄原交差点で右折。
 1050,高架をくぐって広栄で右折。
 1053,到着!大謝名からは早かった。うまく信号が変われば10分なのか。
 宮良そば。待ち客に団体がいる。7人。皆さん,ここはそばの店だよ…骨を頼まないでね。

▲意外に旨い!宮良そばのサラダバーのおから!

,頼めました!
1101宮良そば
骨汁650
 でも今回はまず…おからに酔いました。ここには小さいけれどサラダバーがあります。その中に,なぜかおからが取れるようになってて,これが…バカ旨!
 沖縄風の出汁なんでしょうか?凄い味わいのおからなのです。
 そして──

鰹節と軟骨肉,トロトロに硬い汁

▲来た~!宮良そばの骨!

のどこにこんな細かい骨があるの?
 細々した,曲がりに曲がった小骨。
 食べれる丸い骨。大きなのは無理だけど小さなのはむしろ噛み砕いた方が──旨い!

▲骨!どアップ!

き通ったかつお出汁と蕩ける軟骨肉のトロトロ汁。
 コーレーグスをかけるとまた素晴らしい硬さを帯びる。──この点はこの回の後も,訪問を重ねるごとに確信を深めました。肉汁が硬い,というのは伝わるでしょうか?脂の味覚がブヨッとしてなくてピンと立ってる。だから漬け唐辛子のシャープな辣と相乗して,物質感のある旨味と辛味が──ってやはりうまく書けませんけどそんな感じ?

▲スープどアップ

浦添大公園って響きが好き

の日は45分になっても骨汁が売り切れてなかった。でもそれまでに客は大体二回転くらいしてて──わしは…うちなんちゅの倍以上の時間かけて食べてるらしい。
 あと,辻に2号店が出店してるという。どこよ?
※→食べログ/宮良そば 那覇店:那覇市辻2丁目6−1 2F

▲宮良そば(伊祖IC東,浦添市当山1丁目7−17)から浦添大公園までの抜け道ルート!:(~当山の石畳道西入口)→GM.(行程)

けた!
 正午ジャスト,宮良そば奥のこんがらがった道から浦添大公園へ,初めて抜けれました。
 ここから南北へは,目の前のハイウェイに乗ればいい。西へはハイウェイを潜ればいい。でも東へはいつも迷いに迷ってました。一度南に回り込むような,覚えたら何てことないけど初手では思いつかないルートが正解でした(→上記GM.リンク参照)。
 大公園南西に出て東南方向へ。
 しかしまあ,この公園も明らかに旧王家の墓地を守る外縁地です。道の西側,つまり前田高地斜面は亀甲墓だらけ。
 1206,ふいに「当山の石畳道」の標識が視界に飛び込んできた。そうか,こっち側からも…立ち寄ってみる。
黄文字・黒塗り枠・一文字目青地白字大

山の石畳道
〔日本名〕沖縄県浦添市当山1丁目17−11
〔沖縄名〕とうやま
〔米軍名〕ハクソーリッジ

マヨイガの狂暴な牙

▲1207東南入口の下り階段

当にあの,マヨイガじみた場所への道?と戸惑うほど,東南からの入口は整備されてます。
 幾つかカーブを過ぎると,でもやはりあの場所の空気に──

▲1209途中見つけた横道。とても入る気にならない。

畳が,角を曲がるごとに狂暴さを増していきます。
 でもこの石畳すら後から整備されたもの,おそらく明治以降のものらしくて──
 
▲1213当山の石畳だ!

追い越して行ったもの

西の石畳よりは綺麗です。でもこれでもいい加減歩きにくい。
 ただ,やはり整備されてこれらしく──

▲石畳脇に残る古い岩塊

の岩くれは…元の階段の石畳なんだろうか?
 今の道の脇に,撤去を諦めた雰囲気で残ってます。ということはこれ,岩そのものを掘って階段にしてたんだろうか?
 と震撼してる後ろから──

▲1214追い越していった地元の…

生?
 彼はここを通学路にしてるんだろか?贅沢っちゃあ贅沢この上無い。てゆーか,これは足腰強くなるだろな。
 それに…こんな幽玄な空気を毎日吸ってたら,精神衛生上は素晴らしいと思う。

そして再び当山橋のたもと

▲1216当山橋。橋桁には何か文字の跡

桁の文字は読めない。
 大正期に補修されたと書かれてる。ということは本体はもっと古い時代のものなのでしょう。
 けれど──ここにもう一度来たのは,やはりこの独特のマヨイガ感ゆえです。

▲1220藪の闇の手前,紫の小さな花

って再びバイクを駆る。
 前田高地北東面の墓地団地は概ね新しい。でも写真のような古い墓も時折目につきます。ハクソーリッジの攻撃時に破壊されなかったものが残ってるんだろうか?だとすれば,この北東面は元々古い墓地が埋めていたんだろうか?

▲1232前田高地北東面の古墓

朝岩直下を抜けると,ジェットコースターみたいな登りに出る。ケーキハウス・ナシロを右手に見て,交差点・西原入口を通過。
 1240。出来かけのゆいレール駅を見て驚く。延長後の終着駅,てだこ浦西駅でした。

▲ゆいレール新駅・てだこ浦西駅建設中

■小レポ:さやけき風の吹(な)くところ:普天間街道

 まず,当山の石畳道に立つ案内板全文を掲げてみます。

1「国指定史跡 普天満参詣道」案内板記述

普天満参詣道は、中頭方西海道から分かれて普天満宮へ通じる道で、宜野湾間切が新設された十七世紀後半に整備されたと考えられます。毎年、国王はこの道を通って普天満宮に参詣しました。
 牧港川の流れる谷間に長さ約二〇〇mにわたって幅三mの石畳道が残っています。このあたりの道は馬が転ぶほど勾配が急なことから「馬ドゥーケーラシ」(馬転ばし)と呼ばれていました。川に架かる橋は大正・昭和時代に改築されました。
平成二十四年九月十九日指定

▲松並木復活の行政図面

▲上記以南の推定ルート

2 普天間街道の作業仮説ルーティング

 上記(1つ目のマップ)は行政がH28に並木を復活させる計画を立ててる資料中の引用図。
 普天間街道は「基地に飲み込まれた」という被害者記述が多い割には,その行程を落とした地図がない。
 そこで作業仮説として,このルートを復元してみる。
 確かに基地のど真ん中を通ってる行政図面を一応信用すると,この北へは,②はごろも保育園分園→(宜野湾市野嵩2−27−2)GM. を通って①普天間宮へ伸びていただろう。
 問題は南です。図面では③
沖縄国際大学(宜野湾市宜野湾2丁目6−1)→GM. の北辺りに出てる。
 現代にも参道道が一応道として残されてると仮定し,当山の石畳道を通って,滑らかに伸びているとすると──ここから,④嘉数高地西→⑤当山の石畳道→⑥浦添郵便局→⑦浦添経塚郵便局→⑧経塚交差点→⑨首里平良GM.(③~⑨行程:上記2つ目のマップ) というルートが出来上がる。
「浦添間切,宜野湾間切の各番所を通り」という『普天満宮略記』(wiki引用)記述にも概ね合致する。
──ラインを引いてみて驚いたけど,現代の交通路線とは全くかけ離れてる。かなりアップダウンもあるはずです。
 バイクで一度通って感触を得てみたい…面白そうなラインが書けてしまいました。
 ただ「約5キロの普天間街道」という記述もある。いわゆる普天間街道とは,首里から普天間の全行程ではなくて,①普天間宮~⑤当山辺り,つまり概ね松並木のあった前田高地以北を指していた可能性もある。
普天間街道の開通
「約5キロの普天間街道の両側には、尚貞王の世子、尚純(1660-1706年)の命で植えられたといわれるリュウキュウマツが林立」
「人々は『宜野湾並松(ジノーンナンマチ)』の名でこの街道に親しんでいたが、やがて、1922(大正11)年に、那覇-嘉手納間に沖縄県営鉄道が開通すると、街道の利用者は次第に減少した。
 1932年(昭和7)4月に天然記念物の指定を受けた2000本を越すマツ並木は、戦争中の1944(昭和19)年3月ごろには、防空ごうの支柱や米軍の障害物にする目的で日本軍によって伐採された。」
※ 日本隅々の旅 全国観光名所巡り&グルメ日記/当山の石畳道(沖縄県浦添市)→案内板画像を含め画像多数
「石畳道の名所「当山橋」です。この橋は大正時代の建築だそうです。」
※ wiki/普天間
「『普天満宮略記』によると、旧暦9月に中山王や三司官、親方、ノロ、一般の人々が普天満宮に参詣する『普天満参詣、普天満参り(ふてぃまめー)』の習慣があり、中山王の参詣道として首里から浦添間切、宜野湾間切の各番所を通り普天満宮に至る道、通称『普天間街道』が整備され、17世紀後半には宜野湾間切に住んでいた尚貞王の世子尚純によって沿道に松が植えられたという。
 この松並木は人々に『宜野湾並松(じのーんなんまち)』と呼ばれ、1932年(昭和7年)4月に国の天然記念物に指定されるが、沖縄戦や基地建設、松食い虫の被害により普天間街道と共に基地の中に消滅した。普天間高校の校歌の1番には、こうした戦前の普天間の情景がうたわれている。
『宮居ゆかしきうまし野や 仰ぐ聖の松並木 さやけき風の吹(な)くところ』普天間高等学校校歌」

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