FASE61-2@deflag.utina3103#赤犬子宮,阿麻和利の墓\歌乃道ひるく 犬子ねあがりや

~(m–)m 本編の行程 m(–m)~
GM.(経路)

再び戻ってきた土地の空漠

▲GM.:座喜味城南のわやくちゃな道

喜味城出口から南へ,集落に入ってみた。
 集落自体は,海岸沿いと同じくそれほど古びてはいないけれど,道がとにかく無茶苦茶な方向に付いてる。光景自体は珍しくないからでしょうか,写真は一枚も残してないけど,全く地勢が読めません。→巻末:座喜味及び伊良皆集落に関する記述
 とにかく南へ抜けよう──と,しゃにむに走る。

▲とても読谷な風景

927ファミマ」とメモってるファミマがどこのことなのかさえ分かりません。
 風景はすごい広がりです。北海道ともアメリカンとも違う,再び戻ってきた土地の広がりです。

「双子鳥居」とかに改名しろ

▲まさに読谷な道を走る。

の写真なんかもう凄い空漠です。
 ここを走ったんじゃなく,脇道を撮っただけだと記憶してますけど…本島でも農業で名を馳せる読谷で,この返還された新農地。過去へのわだかまりはともかく──村の農業関係者は高揚してるだろな。

▲2つの鳥居のあるトリイ・ステーション

如,道が途絶えた。
 0936,T字路の向かいに赤い鳥居?しかも二つ?
 バイクを停めて地図を探ると,あ!これがトリイステーションなのか!
 交差点名は「楚辺入口」となってます。是非「双子鳥居」とかに改名してほしい。──左の人が怒るかもだけど。

赤犬鳴村には行ってもいいのか?

犬子宮
〔日本名〕沖縄県中頭郡読谷村字楚辺1189,赤犬子神社とも
〔沖縄名〕あかいんこぐう
〔米軍名〕-(トリイステーション脇)

▲墓碑

は…この記録をまとめてる前の週に映画「犬鳴村」を見た。なのでちょっとドキドキしながら書きます。
 0943。赤犬子宮。
 赤犬子は,人の名前です。
 戦慄すべきことに,この赤犬子の物語にも,初っぱなで赤犬と美女が登場するのです。

いう場所かどうかも全く知らずに,当時ふらりと立ち寄ってしまったのでした。
 祠は新しい。後方に岩場,これがおそらく神体。
 右手から階段。赤犬子(あかいんこ)遺跡とある。柵で囲われ整備されてる。2500年前の遺跡と書いてある──けどこれは伝説伝承と大きく食い違う。もしかしたらそっちが真実?
 直下ネギ畑。
 野村流音楽協会読谷支部の「歌乃道ひるく 世界に輝かち 犬子ねあがりや 末代までも」の句碑。

スーパーシンガーをエレガントに祀る

▲拝殿

文(神社脇)の文章を書き起こしてる方がいたので引用します。

その昔干ばつの時赤毛の犬が楚辺の『クラガー』を発見して民衆を救った。その赤犬と飼い主の屋嘉チラー(美人)との間にできた子どもが『赤犬子』で幼いときから利発で特に音楽の才能が抜群で、雨だれが葉っぱの中頃に落ちる『トーン』という音や、葉っぱの先に落ちる『テーン』という音、そして葉っぱの根に落ちる『トーン』という三つの音からヒントを得てクバの骨で棹を作りその幹で胴を作り馬の尻尾を弦にして三線を作成したという。

▲神社脇の森

った当時は「???」という感じでした。
 だってあまりに他の拝所からはかけ離れてる。
 神っぽくない。俗っぽいエレガントな装飾です。吹っ切れてて明るい場所です。
 巻末に詳述しましたけど,おそらく赤犬子も非常にシンプルに,スーパーシンガーがいた!ということなんだと今は思います。
 面白い土地です。さらにすぐ近所のこちらへ。

麻和利の墓
〔日本名〕沖縄県中頭郡読谷村字楚辺1035
〔沖縄名〕あまわり。「あまおへ」の読みも。幼名:加那。 「阿摩和利」とも書く。
〔米軍名〕-(トリイステーション脇)

質素だけど大切なあまわりさん

▲0956祠

堅小学校の北です。
 コンクリートブロックの墓。
 後方の岩場にえぐれた大樹。さらに後方の藪に,何やら建造物が見えてる。
 0954,阿麻和利の墓。

▲御神体

り返すけど神体のはずの墓の基盤がブロックです。
 いかにも素っ気ない。でも祀られ方は,質素だけど大切になされてる。
 個人で崇めてる人が何人かいる,という雰囲気でしょうか。

▲0958墓の脇から学校方向

あの店の骨にありつけない!

こも赤犬子と同じく全く知識なしに伺って「???」でした。
 ただ今調べても…まるで分かりません。
 勝連を根城に第一尚氏に対抗した武将が,なぜ読谷に眠るのか?→巻末参照

▲森前面を埋める花々

の分からない,でも他地とは明らかに違う臭いのする歴史風土を感じながら,10時を回ってしまう。
 タイムアップ。もう南へ向かわなければ,あの店の骨にありつけない!

■データ:座喜味及び伊良皆集落に関する記述

 世界遺産登録後の観光用の資料らしいけれど,ここの両集落の記述がかろうじて見つかったので転載しておく。
 ただ,この資料でも,17世紀に起源を持つ古い村,ということは分かるけれど,具体の事象データはあまりない。
「城村」が座喜味村に吸収されたような記述は,この地域が城の事実上の放棄と並行して衰退していったという意味にも取れる。また,座喜味集落を「読谷」と呼んでいたならば,地域の主邑とも考えられる。
 とにかく歴史が何度も──少なくとも護佐丸移動後と飛行場時代に寸断されてて,掴みどころがない。本章後半の2つのスポットも併せ,読谷がこんなに魅力的な地域とは思いませんでした。

プロフィール
 座喜味は、座喜味城跡が頂にある丘陵南傾斜面に集落を形成しています。『絵図郷村帳』(一六四六年)や『琉球国高究帳』(一七世紀中頃) には「城村」とあり、伝承では、城村と座喜味村が合併して座喜味村となったと伝えられています。『琉球国由来記』(一七一三年)『琉球国旧記』(一七三一年)には座喜味村とありますが、『中山伝信録』(一七二一年)には「読谷山」とあり、また座喜味と称すると注記されています。また、読谷山総地頭も座喜味親方と称し、当村は同間切の主邑とされています。
(略)
 伊良皆は、『絵図郷村帳』(一六四六年),『琉球国高究帳』(一七世紀中頃) に「ゑらきな村」とみえます。東方の米軍基地内にあるサシジャームイに沖縄島の三山統一を果たした第一尚氏の尚巴志王の墓、それに隣接してその家来の平田ヌ子と屋比久ヌ子の墓があります。かつて生活用水として利用されたサシジャーガーは、比謝川支流である長田川の水源となっています。
沖縄戦前は国道五八号を挟んで集落を形成していましたが、戦後は東側が米軍基地「嘉手納弾薬庫」として接収されたため、西側への移転を余儀なくされ現在に至っています。

■小レポ:米軍基地に鳥居立つ

「ゾウの檻」として一昔前には有名たった(おそらく)最新鋭情報戦略基地・トリイステーション。
 駐留部隊は在日米陸軍第10地域支援群(10th Regional Support Group)と,あと一つ怖い部隊。アメリカ陸軍特殊作戦コマンド特殊部隊群,いわゆるグリーンベレーの第1特殊部隊第1大隊390人。アメリカ本国以外に駐留するグリーンベレー部隊は,沖縄のこの隊の他,ドイツ駐留の第10特殊部隊第1大隊のみという。何に備えてるのか,考えるのも恐ろしいので本題に。
 なぜここに鳥居が,しかも二つ横並びで建ってるのか?
 これが何と,理由が不明らしい。
 米軍にそんな点のアカウンタビリティなんてないから不思議でもないんだけれど──巷説では二説。ひとつは「重要施設のマーク」説で「日本では大切な建物の入口に鳥居を立てるらしい」と曲解した。もう一つは「権威」説,神社に参拝する日本人が鳥居の前でおじぎをするのを見て,鳥居そのものが権威の象徴と勘違いした。
 どっちかだとすれば,米軍は恥ずかしくて説明しないでしょう。というか,そういう遊びもファンキーに感じてしまうのがアメリカンかもしれないし。
 にしても二基が横並びというのは…縦ならあちこちにあるけど日本の神社には皆無なんじゃないか?これ,ある意味レア!
 と少し興奮しかけたけど,建築側からしたら当たり前です。まして鳥居を,内外を隔てるものと捉えず,意匠として見てしまえば,軍事車両を含む自動車が離合できる幅の鳥居はがっちりし過ぎて費用が桁違いになる。どうせ遊びだから並べちゃえ!という発想の方が自然だったような気がします。
※ wiki/トリイステーション
「トリイステーションは、その名の通り、基地のゲートに聳え立つ鳥居が名前の由来であり、この鳥居が基地の象徴となっている。」

■小レポ:ボコボコに膨らんだ赤犬子伝説

 いろんな話があって訳が分からない。でも話のプロットは幾つかのまとまりを持つ。
①赤犬の子として津堅島で生まれる。~王族の落としだねという話もあることから,犬鳴村とは関係なくて,単に「父親が分からない子」を表現したと推測できる。
②役人になって出世する。
③中国に渡って勉強する。~五穀を持ち帰ったとか,音楽を学んだとか色々ある。
④音楽で名を立てる。~楽器としての三線,あるいは八・八・八・六の琉歌リズムの創始者とされる。ここはどの話でもかなり共通。
⑤妬まれる,あるいは殺意を持たれる。~ここの理由話は様々だけど,まあ成功したから妬まれて失脚させられたんでしょう。
⑥現・赤犬子宮で亡くなる。~「岩に杖を立てて昇天した」という記述が謎です。
 一次資料的には「おもろ」の超人気歌手として歌い継がれてる,ということみたいなので,②③は理由付け,①⑤は非難の物語化,⑥は神格化だと考えて,④だけを受け止めてもいいと思う。
 伝説の歌い手がいた。
 それが,これほど膨らんで語り継がれて祀られる,ということこそが,歌の島ならではの現象だなあ,と感じるわけです。
 膨らませ方にしても「ね(音)あがり」とか「雨だれの音から3音を考案」とかのイメージって,音楽に通じた集団からしか生まれない瑞々しさを感じます。
※ 読谷村観光協会/赤犬子宮
※ TIDA/たるーの島唄まじめな研究/赤犬子
※ 沖縄旅行記/赤犬子と赤犬子宮について調べてみた
※ 読谷村HP/読谷村観光ギャラリー/民話赤犬子
同/楚辺公民館/赤犬子(あかいんこ)

■小レポ:沖縄本島三国鼎立時代

 上記は勝連城跡のパンフに載ってるという13~14世紀沖縄本島の群雄割拠図。
 第一尚氏六代目にして最後の王・尚泰久が,中城の護佐丸,そして本題の勝連の阿麻和利と三国鼎立状態になってたらしい。
 地理的には南北に並んでるように見えるけれど,護佐丸は読谷から進出してる。それに対し阿麻和利は,護佐丸を挟撃するために与那原から首里に入ったという伝承を重く見れば,本島東岸の制海権を握っていたと思える。だとすれば,基本は南部-東岸-西岸というにらみ合いの中で,護佐丸が中央出城たる中城を抑え,軍事的優位を占めていたと思える。
 けれど,第一尚氏期にはまだ沖縄本島の海の玄関口は東岸だったわけだから,阿麻和利の経済圏域も強大だったろう。

1 謎しかないあまわりさん

 この謎の人物の,まず名前だけど,いかにも後から充てた漢字です。音にも異音があるほどだから,三者の中で一番出自のはっきりしない人物と思われる。
 この墓の場所も謎らしい。勝連の按司がなぜここに?という点には,嘉手納出身だったから勝連を攻められて楚辺まで後退して滅ぼされた,というほどの推測しかない。しかも護佐丸の昔の本拠方向に?という疑問も湧く。でも理屈の付かない場所に葬られてるのは,逆に真実味を感じさせます。
 戦闘跡がないとの記述もある。無血に近い状態で尚王軍から逃げ続けた,というのが実態でしょう。

2 三国の勝者も間もなく退場

 勝者のはずの第一尚氏は間もなく滅びる。──中国の三国鼎立後の魏を連想させますけど──そもそも尚泰久王を担ぎ上げた金丸なる人物が第二尚氏の始祖になってる,ということは実質第一尚氏はないも同然のところまで政治力が弱体していたという状態でしょう。魏とは少し違う。
「第一尚氏」そのものが,先代の伝説王統と同じく,実質は地方勢力に近いもので,中央集権的に本島全土を掌握した王朝は第二だけだった,と見ていいのかもしれません。

3 「肝高」という枕詞

 話を「あまわり」に戻すと,この人物がなぜか,現代には一番人気がある。庶民性からでしょうか。
「肝高の」と言えば「あまわり」という,枕詞みたいな関係みたい。「肝高」は言葉通り「神経が図太い」という意味かと思いきや,「心豊か」「気高い」という語感らしい。同時に勝連そのものを示すともいうから,「あまわり」さんがいかに地域に根付いた存在かを彷彿とさせます。
 ただ一次資料はほとんど「おもろ」しかない。赤犬子や運玉ギルーと同じく実体は無いに等しいのに語り継がれてる,沖縄的なヒーロー像です。
※ wiki/阿麻和利
「史書によれば、悪政を強いる前城主の茂知附按司(もちづきあじ)を倒して10代目勝連城の按司となる。東アジアとの貿易を進め、大陸の技術などを積極的に取り入れた。勢いを増す阿麻和利に第一尚氏王統の第6代国王・尚泰久王は娘である百度踏揚を妻に娶らせ懐柔策を取り、同王の娘婿の立場になった。当時琉球では麒麟児との評判が広まり、首里の尚氏は伯父である護佐丸の次に滅ぼす計画を練る。史書によれば首里城攻略を計画していたとされる中城城主の護佐丸を王の命令で攻め、忠誠のあかしとして自刃させた。
 さらには阿麻和利自身が首里城攻略の野望を抱いたとされ、王府の疑いにより差し向けられた越来賢雄(鬼大城)の軍に攻め滅ぼされたとされているが、城趾には大きな戦いの痕は見られない。」
※ 沖縄拝所巡礼・ときどき寄り道 /阿麻和利(あまわり)伝承・逆臣のイメージが定着しているが、信望の厚い名君だったようだ。
現代版組踊「肝高の阿麻和利」公式ホームページ
「(略)沖縄県うるま市の中高校生が出演している現代版組踊「肝高の阿麻和利」。
(略)1999年に、当時の勝連町教育委員会が、子ども達の感動体験と居場所づくり、ふるさと再発見・子どもと大人が参画する地域おこしを目的に企画したものです。
 最初のオリエーテーションに集った子どもの数は、わずか7名。しかし、本番までの3ヶ月間、教育委員会や演出家の平田大一さんらよって行われた地道な努力が功を奏し、2000年3月下旬に行われた舞台本番当日、最終的に集った出演者の数は150名。観劇者数は2日間公演で4,200名にも及びました。(略)
 当初、公演は1回限りの予定でしたが、出演した子ども達が再演の願いを込め、感想文と嘆願書を作成(略)
 その後、何度か世代交代をしながら進化を続け、2003年には関東公演、2005年には国立劇場おきなわ公演、2007年には自主公演による勝連城跡公演、2008年には歴代の先輩方の夢であった初の海外公演『ハワイ公演』を実現。(略)
 2000年3月初演以来、公演回数320回を数え、観客動員は延べ18万人を達成!」
※ がじゅまるの樹の下で/阿麻和利の墓の秘密
「(阿麻和利は)やがて中山軍に滅ぼされますが、その最期を推測すると、阿麻和利は中山軍に勝連を追われ、生まれ故郷屋良(現・嘉手納町屋良)に逃れてきます。
 さらに、屋良からも逃げ、とうとう読谷のこの墓の近くのウエンミモー(現在一帯の小字は親見原である)で捕らえられ、斬られたという筋書きが想像できます。
 ちなみに「ウエンミ」とは降参するという意味だそうです。」
※ 沖縄放浪日記/勝連城の按司『阿麻和利』が眠る読谷村楚辺の住宅街にある岩陰墓☆
「以前、『阿麻和利』の仇敵である『護佐丸』が眠る中城村久場の『護佐丸公之御墓』を見学しに行ったことがあるんですが、そちらは、とても立派な亀甲墓で石積みも凄く綺麗だったんですよ。。。」
「勝連半島にある『勝連城』の城主である『阿麻和利』のお墓が、なぜ読谷村のこの地にあるのかは、いろいろ諸説あるみたいなんですけど、詳細は不明なんだそうですよ。。。」

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