m19S_11第三十八波m凪の海冥き身を投ぐ走り梅雨m喜界島m足を得る

※本歌∶ひる返る空に身をなぐ鯨波   (山野尚)
[島唄まれまれ/2022.1月の奄美特選俳句五選]

[前日日計]
支出1300/収入1300
    ▼13.0[243]
    /負債 0
[前日累計]
利益 -/負債 352
五月四日(三祝)
0700(喜界町蒲原)旬菜きずな
ふくれかん250
1211ファミリーレストラン珊瑚
チキン南蛮650
2000Acoopもう一種のよもぎもち250
キビナゴ南蛮漬け200
[前日日計]
支出1300/収入1350
    ▼13.0[244]
負債 50/
[前日累計]
利益 -/負債 302
五月五日(四祝)

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奄信ゆるキャラ「くー君とくーちゃん」

恐れていたことに。
0752ホテルの自転車は全台予約完売。空港店へ。
現在のとこ薄曇り。
0804空港へ。やはり15分強。静かな空港です。
チェックインカウンターではなく戸口の売店で借りろという。売店はシャッターが閉まってる。「本日午後は15∶00open」?「は」がどうでも読める文章です。「閉店時」とある電話番号が貼ってあるのでかけると,「今もう開いてると思うんですけど」とのご回答。事を荒立てず切る。やはり借りよう。開いてるはずの売店の開店を待つ。
空港の前には50台分ほどの駐車場。車で来たメガネのおばちゃんが「おおっスズメがぶつかってきた!」と大声で喜んでる。
0845らや到着の鹿児島からの便に向け,体温測定カメラの設置が始まってる。出発客も荷物を降ろし始めました。

0818開いた!
自転車は皆さん予約してるらしく,現在お姉様が在庫を確認中。
「今,タイヤとか確認に行きますから,ちょっと待ってて下さいね」というから危険な機体っぽいけど,怖そうなので2日半の全行程借りとく。2255円。

空港レンタサイクルの自転車貸出場所

タバコを吸ってから,空港対面の置き場へ。仲里戦闘指揮所跡と書かれる標識。
かなり古そうね。タイヤに空気を入れてもらう。少し軋むけど回転はいいし,古い分車体はしっかりしてる感じ。前の荷物置きが台形にへしゃげてるので,へしゃげ号と命名。
0843出走。まずは時計回りです。
へしゃげ号起動!

パン工房クロワッサン。「都合により本日は休ませて」とあるから明日は開くらしい。
0848ほっともっと。南の本道へ。
0851あましん──奄美信用組合喜界支店。アマミノクロウサギのゆるきゃら(→画像)。
エスペランサという店は廃業してるっぽい。
0857本屋。ブックス銀座。入って見る。
ゲゲッいきなり三冊も買ってしまった!結構な数,喜界島本は出てるんである。
喜界島本

0910再出走。
NTT東に変な森を見つける。回りを巡るけど何でもない。こういう場所が点在するのでしょうか。
NTT東の森

ここの車道出口には石敢當。
喜界島のT字路と「石敢當」

0918赤連川。向こうに県立喜界高校。集落を過ぎて道が右へ湾曲。城久への三叉路を直進。
0921池治辺りにて

0924バス停・池治。あれ?ここのはずだけど?
池治のあるお家のお庭

池治集落の石垣塀

周囲ぐるりを回ると東の山裾に──あった!
新しい。神体はまるで墓石そのもの?花の供えも全く同じなんである。
保食神社(池治)の鳥居と本殿

左手「建立紀念碑」の表記は

池治氏子崇敬者一同
土地改良地権者一同
東京池治会一同
大阪池治会一同
鹿児島池治会一同
 平成二十一年十月完成

後ろにサンゴの石垣が回り込む。
左手に,甑島と全く同じ正面を遮り右へL字に折れる石垣。
周囲に祠はない。後ろの森は一応,神域でしょうか?

背後にも「甑島」石垣L字が

背後に森に入る門のような場所。両側の石が大きいから扉絵だったと思われる。でも中への道は草木で潰れてる。その木々の下に埋もれかけた小屋。コンクリも見える。社務所には見えないし,住人がいたんだろうか?だとすればここはイビではないことになる。
何だ?この取り合わせは?
隣にもコンクリ囲いの空き地があるから,土地改良で筆を整理した跡でしょうか?前の状態が全く読めません。
池治集落のさらに奥(南)へ


高度を知っておこうか。南へ進むことにする。0945
かなりキツい。道は複雑で未舗装道も交じる。0953でもここで下り?
イタチ殿が道を横切る。
ここからが緩いらしい。ただ上りは続く。鯉のぼりが泳いでるあの丘が城久か?その向こうの東側にもう一段高い丘が見える。
0958。
城久へ登る

畑地越しに北の海

1011。ほぼ9合目。運び上げたらしい巨石が段々畑の基礎部にある。
城久付近で取れたとは思えない巨石が畑地の角に無造作に使われる。

1015東西道。まず左折東行。バス停城久。
城久の東西道に出る

1018城久遺跡群前畑遺跡。
「前畑遺跡空中写真(百合台を望む)」という写真。おそらくここから西方方向。
「前畑遺跡空中写真(百合台を望む)」

高台最後部の麓,いかにも古代人好みの場所です。ただでは丘上には何があったのか?
城久遺跡からの現風景

1029折返し。
1033西に眺望が開けた。こっちには大きな丘はない。ただ中央部には森。
鹿児島神社入口辺りから西を望む

トゥヌムトゥ公園。その先の……下った場所?鹿児島神社。
一棟貸しのログハウスのような建物。
ログハウスのような鹿児島神社本殿

入口に碑文。読めないが古そう。
石灯籠の裏に「文化十年酉三月吉日」の文字。ただどうも堀跡が新しく見え,これ自体は修復されたものか。
灯籠の文化十年記載

 御祭神 天津日高彦穂々出見命(アマツヒダカヒコホホデノミコト)
 由緒
「喜界島代官記」に「御八幡城久村に御取仕立之儀,元禄十年三月,大日本洛陽より御代官長谷場源助様御請下に而,宗廟ニ被為成請候由,島中尊敬仕居候」とあり,元禄十年三月島内の宗廟として創建され,八幡宮と称していた。
明治になり鹿児島神社と改称された。

祭壇はまさに日本神道風。ただしログハウス風。

 訳がわからん。大日本の洛陽とは京都か?なぜ請いうけた?なぜいきなり宗廟ができる?なぜ突然,しかも島津侵略時でなく維新後に鹿児島名になる?
 明らかに中世に遡るのにその痕跡がない。
御札・お守り 売り切れました。

 背後に大樹。ガジュマルに見えるけどそれにしては高度がある。
ガジュマル?下の祭壇かもしれない石

 樹下に,供え物はないけれど祭壇のようにも見える横長の石。沖縄ならこれがイビです。
「支那事変並國民精神総動員」記念

 自転車を止めた丘に「支那事変並國民精神総動員」紀念碑。昭13。
丘の上のサンゴ岩にも明治百年と彫り物。誰か国粋主義の人がいるんでしょか?
「明治百年」記述のある岩

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