m19S_32第三十九波m夏至南風 ギラギラ渡る琉球孤m喜界島mういんさとう(大朝戸)の水


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さてこの道を登ることになるんだけど──キツそうね。ブレーカーを脱ぐ。▼▲

登道 舗装絶えてもまだ進む

0949え?舗装が無くなった?大丈夫?
0952車道。左手東の十字から右折南行。……ってまた登り?一つ上の段丘になるらしい。昼飯一杯食おう。
安政七年十七歳没

墓地。
安政七年と萬延二年の銘碑。享年が十七と十六となっている。おそらく飢饉。なぜここに平成代と一緒に葬るのでしょう?
10時のチャイム。
西目集落に入る

平坦になった。墓が境目だったのでしょう。
三叉路二つ。二つ目の左は「百之台公園2.5km」。右は喜界町のDコース表示。右へ。
1005バス停・西目(表示の読み∶にしみ)。
大朝戸集落,水神社手前

1007水神社(大朝戸)。大朝戸地区公民館。左手に「水神宿ル大川ノ泉」と表示のある水辺。右手に赤ポスト。
ポスト裏の水源

その右手裏にも小さい水源かある。ポンプは新しいけれど構造は古い。コンクリではあるけれど,右手の段に祠らしき、ものがある。
ポスト裏水源の右手の祠らしきもの

前面に浅い窪みがあり文字が彫ってあるように見えるが暗がりで読めない。
水源対面の石敢當のある角地

この水源の対面三角の,今来た道の正面側に石敢當。
ここの神体は像。二柱おられるが右手のスペースが空いており本来は三柱だったか。
像のある段の全体。左手に登り口

左手にからもう一段上がる階段があるけれど上は野原。野道すらない。その左手に渓流が,先の左手池に注ぐ。
従って段の右に偏った場所に二柱の像はある。このバランスの意図的な崩しの意味が読めない。
真ん中(右)の像

中央(右)の主神は羽衣らしきものを巻く。奇妙に付き出した首の表情は、男性に見える。
付き出した位置にある首部

絵図の上のインド神話のハヤグリーヴァ(馬頭観音)

多分妄想なんだけど……この首の出っ張りと,鼻の部分の加工跡のようなのは,この像の元の姿がインド的な(本当に馬の顔の)馬頭観音だったから,という可能性はないのでしょうか。
カジュラホ壁画に残るインド神話のハヤグリーヴァ(馬頭観音)

右手が削れているけれど何か持っていたかもしれない。
コップと賽銭あり。
左の像

左の像は損傷が激しい。腹の部分で一度折れたのをコンクリで接着したように見える。それにしても不自然に右を向いている。

背後のコンクリートと岩は,上部の崩れからこの像を守っているように見えるので,山が崩れて破損したのを復旧したのかもしれません。

右手の空き地

またしても右側になにもないスペース。奥に段があるから意図的に造られてます。
大朝戸バス停

1040三叉路を右。ここのバス停表示では大朝戸は「ういんさとう」。?すぐ右,左。
登りになったけど間違いない。右に豊原畜産とある。畜舎の中は牛。
カエルの大合唱。左手の土手の向こうは湖沼か?
山中の峠を越えた……かと思えばここもまた平地。段丘を一段登ったらしい。
島中集落の中心部

島中集落一枚。バス停表示「しまなー」
島中集落の花と石垣

保食神社(島中)

鳥居からバス停・島中

1057保食神社(島中)。バス停対面の広場の端。
何とレンガ造り?
扉は止め金だけで鍵がなく開けれる。この赤扉はレンガより新しいから,元々なかったらしい。

祭壇の中を覗く

中は縦長の石三柱。凹凸はあるけど刻み跡ではない。花瓶に枯木。5円玉一つ。
右手に小さな熊手。
1106手前の道から左折東南行。やや登り。なぜか脚が痛みを持たない。
はんかんめー公園。南対面に鳥居。いや?東にもあるぞ?鳥居の構造は同じ。
南の祠「豊受姫神」

南から。「豊受姫神」と荒い字で彫ってある。供え物は御猪口と十円玉一個。右側面に「明治四年」と読める文字。
東の社「水神」

東。
「水五訓」という座右銘的なものを奉納としてかんばんにしてある。先と同じ文字で「水神」と書かれた石柱。西洋花の供え物あり。
「水神」碑

よし撤退。1123。

公園からはみ出そうとしている樹根
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1130素晴らしい下り道を通ってVillaKikai前に出た。左折。▼▲