Range(紫湾・荃湾).Activate Category:香港シン一次(07-2) Phaze:鯇魚

献句
流に浮いてトマトは朱を晒せ
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【本句】渓流に晒されトマト朱の深む 〔洗足〕※ソウギョ 鯇魚(ワンユイ、広東語:waan5 jyu4)
「中国四大家魚」。もともと大陸性の長大な大河とそこに連なる湖沼群に生息し、そうした環境に適応した生態を持つ。特に中国南部では、他の四大家魚とともに農業と有機的に結びついた伝統的養魚システムで養殖され、農村地帯の重要な蛋白源となってきた。〔wiki/ソウギョ〕

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▼▲1240入館▼▲

「哭嫁歌」の演舞光景

客家人平日埋首農耕工作,直至歳時節慶才可放下各種勞作熱鬧一番。客家婦女在慶祝場合或工餘時都愛唱客家山歌,以抒發感情,而這些傅統的客家歌中,又以哭嫁歌最為特別。(略)
〔案内板/客家人的習俗〕

羅屋の三間兩廊構造図 ※入口表示は引用者

羅屋屬典型的「三間兩廊」式中国傅統民居,整體設計簡単工整,風格古樸。〔案内板/羅屋的建築特色〕

香港淪陥初期,羅屋一角為炮火所毀。(略)鑑於羅屋的歴史及民俗價值,前市政局博物館委員會於1976年5月決定修復羅屋為民俗館,(略)〔案内板/羅屋的歴史〕

英語ではもっとはっきり「Japanese invasion」と書いてあります。

英語解説 ※二行目冒頭に「日本の侵略により壊滅」

「1866年發給羅屋村22號戸主勞七(羅七)的差役餉頂單據,當時14號羅屋亦為勞 七所擁有。」〔案内/羅屋的歴史〕

「昭和十八年度」の文字が残る「税頂領収證書」≒納税証明

「1943年日佔時期香港佔領地総督部發給羅屋村14號(即紫湾地段171號)戸主的税頂領収證書」〔案内/羅屋的歴史〕
左上部に「乾隆三十二年」表示の残る契約書面

原戸主擁有兩張極具歴史價値的契約、一張是印發於清乾隆三十二年(1767年)二月的紅印契,(略)〔案内/羅屋的歴史〕

「羅氏祖先南遷示意圖」〔案内/羅屋的歴史〕
「1935年的西湾(即現在的紫湾),當中的漁業及農業活動仍清晰可見。」〔案内/紫湾的歴史〕

羅屋内部:正面奥部屋

正面奥に生活の場が再現されていました。最奥にある祠は先祖崇拝のそれのように見えます。

羅屋内部:正面奥部屋の祭壇

羅屋内部:左手手前部屋の竈の煙突構造と屋根。

瓦が内部から見える構造だったのでしょうか?
竈神の崇拝は漢族一般と共通しますけど、その部分はここの再現者の考証なのか史実なのかは分かりかねます。

要するに紫湾は「香港島の陸地の先住民」の客家人〔前掲PPW〕が最後まで居住していた場所でした。最後の家屋が消失する直前に文化的意義が再発見されてこの分館になった、ということになります。

\ 海陸
先後
海人 陸人
先住
§ 香港島
蜑家
(広東)
羅氏等
(客家)
新来
§ 新界
鶴佬
(福建)
圍頭話者
(広東)

羅屋入口(左手前より)

紫湾の駅前。あまり町はありません。

実は紫湾は海辺だからと少し蒸魚を食えるかと期待してましたけど……あまり外食店そのものの数がなく、実際見つかりませんでした。
そこで荃湾へ帰る。
朝見かけた辺りをうろつくけど、昨日と同じでどうもメニューを掲げる店がありません。蒸魚は採れたてを供するからか、規定メニューになってるところは珍しく、黒板にその日の「スペシャル」メニュー的に書いてある場合が多いようなんですけど──ちょっと諦めかけた頃に見つけました。

滋味屋の午餐黒板表示

1525滋味屋
午餐D.鼓汁蒸鯇魚450
店に入るとDが二重線で消してある。売り切れたの?と問うとお姉さんが当たり前そうに「あるよ!」じゃあその二重線は何?とは問わない。あればよい。

滋味屋の午餐D.鼓汁蒸鯇魚

どどんと出たのは頭でした。ただこの魚は頭をほじくるには硬いし、川魚だからでしょうか頭は臭う。でもその下側は淡白で素晴らしく鼓汁と合いました。
鼓汁蒸鯇魚の白身どアップ

白身が軟らか過ぎてホロホロと崩れていきます。黒豆のジュクジュクになった薬味とこれが混ざっていきまして──最後、その崩れた身のソボロ状態の煮汁が自然に出来上がってました。これをスプーンですくって食べた一口は──ちょっと忘れ難い。
鼓汁蒸鯇魚の汁に沈めるソボロ状

荃湾街市の迷路1

荃湾街市の迷路2

荃湾街市の迷路3

何で迷路に入ってるかと言うと──この市場の南西角に男性トイレがあるからです。

荃湾駅裏の噴水のある公園

1621荃湾駅東側、美心皇宮前。荃湾の天后宮はこの裏手にあるはずなんてすけど、GM.上は大きく東に迂回してしか行けません。でも市民に崇拝されてる前提に立てば、そんなことはないはずです。
美心皇宮に向かって左折北行、「老人中心」とある階段を登る。まあどーせ老人だし登る。
噴水のある公園。夜は灯籠状の街灯が灯るみたい。
噴水のある公園を西へ

右折西行。緑田園田箱という市民農園。こんなニーズがあるのか。実際、写真を横切ってるマスクの女性はこの後ジョウロで水をやり始めました。
荃湾駅裏の市民菜園

A-E座とあるほうに左折。道に抜けれそうな人の流れ。
天后を讃える旗

旗が連なる。なぜかレンズを向けると風が旗を舞いあげる、気がしました。あった。
荃湾天后宮入口の「福」字

1629天后宮。入口の対聯
右聯「天徳常昭家家納福迎祥父慈子孝」
左聯「后恩廣被戸戸安居楽業兄友弟恭」
入口ゲートの「天后宮」表示左端に1984年重修の銘。

一段上の本殿フロア正面より

上段の右手手前に金爐が火を噴く。壇二つの先に本堂。
右聯「聖◯在民無達佛◯」
「聖徳宏深敷海國」
左聯「母儀敦厚載◯◯」
「母恩蔭衆有◯皆霊」
本殿入口

入口ゲートの上部の彫刻はかなり年代ものに見えます。移設時にわざわざ持ってきたのかもしれない。──ちなみに移設元の場所は、調べれてません。
内側
右聯「聖徳配天恩敷海國」
左聯「母儀稱后澤被羣生」
扁額「恩播四海」 
神体手前「福澤萬方」
右手祠「龍門」

右手祠「龍門」。──この神明名は初めて聞きます。少しググると近代の嶺南道教に龍門派というのがあったみたいですけど、それでしょうか?
左手祠「物阜」

左手祠「物阜」。──この神明名も初耳です。百度/物阜によると「拼音wu4fu4,释义是物产丰盛」とあり、「物阜民安」という成語の例が明清代に(晋書では国安物阜)あるようですけど神の名ではありません。
媽祖御本尊。やはりミャンマー顔です。

出口で再び旗がなびく。

Citistore 荃湾千色滙のネオンのある荃湾夜景

PacificCoffee(北通りはPokkaCafe)の入ってる百貨店Citistoreは、漢字では「荃湾千色滙」とある。まことこの町は噛めば噛むほど彩があります。

PacificCoffeeのWifiパスは毎日変わるので、商品(ワシは美式珈琲=アメリカーノ一辺倒)購入時にレシートで印刷を渡してもらうんだけど、30分ほどで切れる。もう一度同じパスを打つと──次のように弾かれてしまう。もう一品頼んで新しいパスを貰わないといけないらしい。セコいぞ!……あ、セコいのはワシか?

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