Range(荃湾・坪洲島).Activate Category:香港シン一次(09-1) Phaze:鯇魚

献句
の月海びととしての港人
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【本句】後の月母の夢としての私 〔興南〕如月「夢を具体的にしなかった理由?」「母親としてのライフステージを子に投影」「なぜ十三夜?」「満ち足りない気分。母の夢を追わされている,という自分への問いかけ」
※西村「第三位。新しい句」
※※マス 鯇魚

[本日合計]
支出1300/収入1150
    ▼13.0[①328]
    /負債 150
[前日累計]
利益 -/負債 236
一月五日(五休)
0715 青葉
壽眉
七彩炒米粉
健康合桃包 250
1049 勝興茶室
壽眉茶
午市蒸飯套餐 A.蒸鯇魚(◯梅菜/鼓汁) 450
1348碼頭小食
煎魚飯 450
2100 TART&PIE
タルト300
[本日合計]
支出1300/収入1450
    ▼13.0[①329]
負債 150/
[前日累計]
利益 -/負債 86
一月六日(六)
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朝の荃湾安楽街・青葉前

今日も曇天は変わらず。朝はずっとこうなんでしょか。
青葉の壽眉

0715 青葉
壽眉
七彩炒米粉
健康合桃包 250
最初に荃湾に来た時に川龍村行きバス乗り場が分からず帰る前にと思って入った飲茶屋です。
本格的というか九龍的なスタイル。オーダー式。

青葉の七彩炒米粉

炒米粉は街なかのテイクアウト屋でも、あるところにはかなりどっさり並んでる。大体この七彩炒米粉という名前です。一度手を出してはみたいけど……。
沖縄のソーミンチャンプルはこれが元でしょうか?
青葉のは、持ってきたオバチャンが「ソースを付けるか?」と訊いてきました。何となく頷くと真っ赤な小皿を置いていきました。
確かに炒米粉自体はやや薄めの味付け。花園のみたいなニンニクの下味も感じられません。なので小皿の唐辛子を少しずつ混ぜる。
青葉の(唐辛子ソースを絡めた)七彩炒米粉どアップ

──なかなか良い。刺すような辛味ペーストのほか、辣油も混ざってるようです。最後には全部を投入、小皿の残りを米粉で拭って、思い切り全体を混ぜる。
美味いぞ。思いがけず広東四川の極です。米粉のゆったりした味覚の中から鋭い唐辛子の刃が立ち上がってきます。
小龍の中の青葉の健康合桃包

「合桃」はクルミ。なぜ「健康」かはよく分からんけど、餡はカスタードクリームを絡めたクルミです。外側は柔らかいコッペパンといったパン生地で──要するに街なかのパン屋にあるカスタードクルミパンです。
かなりイケる。
青葉の健康合桃包の中身どアップ

まったりとしたカスタードとクルミの爽やかな食感のバランスも良い。外側のコッペパンも……僅かに黒糖が混ぜてあるんでしょうか、噛んでいくと黒糖を焼いたカラメルのような仄かな甘味が立ち上がってきます。緩い甘味の和音です。
青葉広告:盆菜(大)1150HK$……≒2万円!?

盆菜という高知の皿鉢みたいな料理があるらしい。元は圍の料理という表記の感じです。飲茶屋だと千HK$超える。

坪洲島位置絵地図

0814本日も荃湾線で終点中環まで。
坪洲 PengChauへも行って見る気になりました。天后ほか宮も中心部にあります。ただGM.でメニュー画像を調べる限り蒸魚はなぜか見つからない。長洲とどうも手応えが違います。
坪洲行きの乗り場から

明日から土日だから、観光客が訪れると想定すれば、連続の島でややマンネリだけれども行くなら今日かなと思ったわけです。
「清蒸」でググるとちょっとヒットはあるけれど、高価な店が多い。「黒板書きのある食堂」という検索は出来ないし──こればかりは実地で見つけるしかなさそうです。
今日はめぐり合わせが悪かったらしく結構待って0917出港。
船窓から多分荃湾方向(北)

ちなみに長洲も坪洲も荃湾の南へ沖なんだけど、なぜか船はない。それどころか中環-荃湾間の渡し船も20Cにはあったらしいんだけど休航になってるようです。まあ利用人口と、MTRで30分との比較とか総合すると……物好きな観光客以外のニーズは低いわな。
やや波が高い。
なるほど。広い意味での香港の船溜まりというのは、香港島と長洲・坪洲・大嶼の間のこの不完全な「湾」だったはずです。
あと、先日の香港先住民四群というのはいずれも漢民族、あるいは漢化された後の時代の集団です。洪聖を信仰するような古い層は、この四群以前であるはずで──香港群島を目指し住み着いた人々は本当に多層を成しているのです。
0932飛行機が真上を東へ。岩場の多い島を過ぎると向こうの島のさらに向こうにビル群。
坪洲島南側山塊

GM.で確認するとビル群は大嶼、手前の島が坪洲の南側の山になるようです。
ひょうたん型の坪洲島は、東西のひょうたんのクビレに湾を持ちます。東側がやや大きいし香港島方向だけれど、船は南から西側のクビレに近づいてるわけです。
岩肌多し。高台に集落。
坪洲港

1/3は席を立たない。このまま大嶼へ行くらしい。
0943上陸

FTの海岸餐廳にいきなり清蒸を見つける。80HK$だから複数人の宴会用だけど、他にもあるだろう。
FTすぐに市政大廈の白亜のボックス。北隣にWELCOME。

FT脇のパティオ。正面右が市政大廈、左がWELCOME

うーん。とりあえずは北へ向かうか。いや?天后看板が東を指してる。大廈とWELCOMEの間の道をとろう。
そのパティオのまっすぐ東奥が天后でした。坪洲郷事委員會に挟まれてる。
「奉禁封船碑」
※地点→GM.
向かって右手の委員會前に碑文。「新安縣正」宛、原文書き出しが「蛋民黄勝興……」、日付は「道光十五年」。蜑民名の文書としてはかなり貴重だと思う。

「奉禁封船碑」書き出しのアップ:「蛋民黄勝興……」(陳情者の記述部)

 坪洲天后宮建於清朝嘉慶三年(西元1798年間),是島上最早建立的寺廟。由於坪洲居民大多是漁民,故非常信奉天后。毎年農暦三月的天后誕,坪洲人挙行酬神活動;農暦七月廿一還會挙行「禡行郷」。「禡行郷」是天后出巡的大日子。「禡」是天后,「行郷」即出巡,是島上一個主要的醮祭活動,以保國泰民安和居民健康。
「奉禁封船碑」
 這塊隠蔵於路邊的石碑,是在清朝道光十五年(西元1835年)豎立的「奉禁封船碑」。「封船」是指官府徴用民間的漁船、那麽「禁封船」又是甚麽一回事呢?原来,當年負責管轄香港的新安縣官府,以誘捕海盗等籍口来徴用民船(一部の役人は海賊を捕えることを口実に漁船に徴発を要求しました※)。此舉令坪洲漁民失去了漁船,生計大受影響,因而告到縣正堂。後縣正堂立此通告、禁止徴船。但漁民怕紙張不能久存,便籌款豎立此碑。〔案内板〕※付されていた日本語訳の一部。あまり正確でなかったため漢文を引用しています。

扁額右脇「光緒丙子年孟冬重修」

さて天后御本尊。
右聯「地僻焕新猷幸籍鸿慈通水陸」
左聯「神靈傅勝蹟故か[ノ/甾]廟貌壮山河」
扁額に「光緒丙子年孟冬重修」の文字。

左手「財昴星君」

左手「財昴星君」
髭づらで目がイッてる。エラい数の酒が並ぶ。
右手「洪聖君」

右手「洪聖君」
むくれた髭面。こっちにも酒瓶。──東湾と同じ神様・洪聖です。西湾は別の宮を持ったのでしょうか?
中央天后

中央天后は前後二対。
入口右手にも一柱「聖道崇高」と掲げる神像。

永安街へ南行

おおっ一つ目のはずの天后で約一時間使ってしまいました!
永安街へさらに南行

その前の通り・永安街でメニューを見つける。黒板ではないけれど、逃す手はない!

1049 勝興茶室
壽眉茶
午市蒸飯套餐 A.蒸鯇魚(◯梅菜/鼓汁) 450

勝興茶室でとりあえず壽眉茶

入ると飲茶的に茶を訊かれたので驚くけどソーメイにしておく。ちゃんと洗茶もありました。雰囲気は完全に大衆食堂なのに。要するに田舎の飲茶屋で定食を喰うという変な贅沢になったらしい。

梅菜/鼓汁は選択制。今まで鼓汁ばかりだったので梅菜にしてみる。
ワゴンも来るけどここは飯だけにしときたいなあ。15分かかると言われたけど……。

勝興茶室でとりあえず油菜

あ、油菜油菜が付くのか。これはいい。
ここの廊下はワゴンも給仕も通る
例湯もなかなか。ニンジン、排骨の他、ドカンとトウモロコシ。ハト麦も投じてあって、例の四神湯を香港的に下品にした美味さです。
勝興茶室でとりあえず例湯

アメノウオの漢字は、魚へんに「完」の「鯇」と書き、つくりの「完」には「ずんぐりと丸い」という意味があり、「マスに似たずんぐりと丸い魚」であることからアメノウオの漢字になった。〔後掲雑学ネタ帳〕

ほかにも「鯇」と書くことも。雨の魚とは滋賀県の琵琶湖にいる固有種「ビワマス」の別名で、卵をかかえた産卵期の状態のことを指します。ビワマスは普段、琵琶湖の深い場所に生息していることから昔は捕まえるのが難しい魚で「幻の魚」と呼ばれていたのだそう。ですが産卵期になると、雨で河川が増水した時に卵をかかえたビワマスが遡上してくるため、そのタイミングで獲られることが多かったのだとか。そのことから「雨の魚」と呼ばれるようになったと言われています(諸説あり)。〔後掲ソトコト〕

来ました!勝興茶室の梅菜蒸鯇魚

マスって食べたことがなかった。
白身の上品さは群を抜いてる。ただもっと驚いたのはヒレ……というか脇の辺りのプヨプヨの脂。これは美味かった。
梅菜蒸鯇魚どアップ

で、この皿は梅菜で鼓汁じゃない。つまり汁がない。梅菜の臭みある漬物と、ネギ、生姜、赤いパプリカがどっさり載ってるだけ。これらの薬味をとうすればいいのか最初迷ったけれど、要は白身とともにこれらを適宜一緒に食べていくのが梅菜蒸魚という料理の、いわば真髄のようなのです。
 つまり料理を完成させるのは食べる側。美味いも不味いも食客のセンス次第。
蒸鯇魚と多彩な薬味を食べ進む(麩らしきものも二つ入ってました)

 そうなった時、それだけでは我々には食べにくい梅菜の臭みが意味を持ってきます。この強い個性の薬味を使いこなさないと完成しない料理です。確かにマスの純白な味の白身に、この臭みは面白いマッチの仕方をするのです。
 その点、美味く食べきれたかどうか自信はありませんけど……満足の一皿だったことは間違いない。──実はこの店にカバンを忘れて出てたほど、陶酔して退去したのでした。

永安街を再び南行

1152茶室の南の道を左折。五つも看板が出てるけどとりあえず東湾方向でしょう。
東湾へ誘う五つの看板

路地でお昼寝のワンちゃんの気持ちも分かる陽気です。

路面の観音

1156路面に直に置かれた観音風の神像。
志仁街北端地点のT字から南

あ!何度か思い出したこのパティオです。1157。──この島の光景だったんだ。

ここは牛皮工場跡だと案内がありました。

 坪洲島上的工業曾経非常蓬勃。於1930年代、牛皮廠、火紫業及石灰業並稱坪洲的三大重要出口産業。〔案内板/坪洲牛皮廠〕

「公厠」(公衆トイレ)矢印があるので少し南へ進んでみます。

志仁街を進む。

志仁街からいわゆる坪洲家楽徑方向

あんまり人がおらんので道をききにくい。
下の写真を撮ってると通りがかりのお姉さんが不思議そうに見てる、のが下の写真です。
志仁街半ばのレンガ造りの工場

どうもお人柄も香港の街中よりはるかに緩いようで──オバチャンにきこうとしたら、どうやらウトウトして寝入る瞬間だったらしくて「ウオッ」と無茶苦茶驚かれたので、去る。なのでトイレは見つからず。
志仁街南端の岩山前にて

志仁街北端T字に戻って東へ

1215志仁街北端T字に戻って公立志仁学校前から東湾へ。この道も名前は志仁街。
ふと樹下に本洲社公神位。
志仁街東行路脇の本洲社公神位

本洲社公神位アップ

海岸手前、永俊街へ左折。この通りのはず。1220
あった。洪聖古廟。
この前に次のパティオがありました。この空間があるということは、かつてはこの正面に港が賑わっていたはずです。
洪聖古廟対面の海

洪聖古廟は沖縄や薩摩のように海側正面を仕切られた空間にありました。
坪洲洪聖古廟入口

正面右手に焼却口。
諸神として五方五土龍神、前後地主財神、門口土地財神を祀るとある。
洪聖古廟祭壇

御本尊アップ

逆方向にも白髭の神祠。「天官賜福」と銘。
陽天下の白髭の神様

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