023-2飯野山(讃岐富士)円周\丸亀市飯野町\香川県

献句
の山しるも膾もさくら哉
【本句】木のもとにしるも膾もさくら哉〔芭蕉:三津厳島神社紗空楽都閑(さくらつか)〕
※木(こ) 膾(なます)
※※1690(元禄3)年の花見の巻の発句

【西北】▼▲

1450「出発するホテル」東横INN丸亀駅前チェックイン。
1515洗濯してホテルを出発
1525とりあえず讃岐富士を目指して距離を稼ごうと思った。「どきかわ」という大きな川を渡る(:土器川)。

1526土器川の橋から讃岐富士

対岸を右折南東行。と思ったけど側道がない。すぐ左折東行。
さらに右折。どこだここ?
1534HALLOWS。対面に香川県農協丸亀東支店。よしそこ先を左折東行じゃ!
1537HALLOWSから讃岐富士

片側二車線車道が渡れないまま富士の真北。1540
1541坂出丸亀バイパス北から讃岐富士

【北北西】▼▲

しゃぶしゃぶ正岡でやっと信号。1543
あ!丁度池の北でした。南行

1544飯野町東分から讃岐富士

1547T字を左折。
水路多し。道がぐにぐに屈曲してる。
1549飯野町西分付近の水路と道(東方向)

1550T字を右折。
丸亀飯野郵便局
1551飯野宇田津線側道から讃岐富士

1555二本目へ左折。20mで地神社「31」とある小社。
1556地神社を南正面から

竹の鳥居が二重にある。
元あった「地神宮」という石柱を何重にも石で包んでるような不思議な祠です。背後は田んぼ。
1557地神社の御神体

1559地神社の供え物

賽銭とジョージア珈琲が供えてある。
1601東分2446付近から讃岐富士

右折、そして左折。1602

【北】▼▲

1603東分2398付近の野花越しに讃岐富士

変則十字を直進すると左手に柳池。1607
1606柳池の水面越しに讃岐富士

柳池の北側の池は多分昔は柳池の一部だったんでしょう。
1611北の青丿山を池越しに。この山山頂部には古墳群があります。

池からはきっちりとした網のような水路が張り巡らされてます。
1616水路と讃岐富士

T字を右折。正面は蓮池。すぐ左折。1619
1621いよいよ直上に迫る讃岐富士

1623車道に出て右折南東行。

【北東】▼▲

高架下?あ、いいのかこのまま行こう。側道を右手に変える。1627

1628坂出JCTの高架下をくぐる。

さぬきうどんまいどまいど
1629まいどまいど前から逆光の讃岐富士

R438川津町井手ノ上交差点。そのまま直進して川向こうを右折。1633
1633井手ノ上大橋から残照の讃岐富士

【東】▼▲

1636高松自動車道高架下から讃岐富士

ad.飯山町東坂元
ad.我楽橋東詰。1637
1638ほぼ真東から讃岐富士。しばらくの間に夕陽は山向うに隠れる。

その先。左手に鳥居?東どん詰まりの亀山神社のものらしい。
1642亀山神社の鳥居

御祭神は応神天皇、神功皇后、武内宿禰命です。
創建は和銅元年(708年)
一説によると西坂本の森の中に連夜明光が出現し村人達が怪しんでいた所にその昔南海の悪魚を退治した綾氏の祖、神櫛王の家臣坂本臣(長老)夢の中に八幡神の神託があったため宇佐大神をこの地に勧請したのが創祀とされています。
仁和年間に国司、菅原道真公が城山明神原で雨乞いの儀式を行った際に臣下や地元民がこの境内で菅公の無事を祈り待ったと伝えられています。
実に立派な鳥居や随神門、拝殿、本殿です。山の形が亀の甲羅に似ているので亀山神社と称したのでしょう。旧坂本村の産土神であります。また飯野山、三の池古墳、亀山神社と一直線に成ります。このことから考えると当社のある場所は古墳が有ったのでないかと考えられます。〔GM./MYさんクチコミ〕

1644田端の祠と讃岐富士

──後日気付いたけれど、確かにこの山の周囲には円環の道があります。
手前の祠。1643
西行腰掛け松の跡という丸亀市教委の案内板。「丸亀市」だけ貼り替えてある。
1645田端の祠

1646「丸亀市」だけ貼り替えてある

【南東】▼▲

1648琴参バス停県営団地の先を右折。すぐ川手前を左折。

1650大東川越しに讃岐富士
1651亀山橋から讃岐富士
1653大東川と讃岐富士

1657変則五差路。もう右折しとこう。と思ったら橋を工場中。戻って直進路へ。

1659東坂元の工事中の橋越しに讃岐富士

車道。今度こそ右折。バス停・JA飯山坂本支店前

【南】▼▲

1703飯山町川原交差点。山の谷うどん。直進、もうここからは富士の南側の道です。

1707川原交差点付近から讃岐富士

コメダ。
飯野山登山口の看板?ここ登るのか?
1713飯神社案内看板と讃岐富士

飯神社というのがあるらしい。

讃岐の国魂神 飯依比古命をお祀りしています。宮内には学問の神様、菅原道真公を祀る飯天神があります。〔案内板〕

1716「必勝」号と讃岐富士

【西】▼▲

1721東へ遠ざかる讃岐富士

群家東の交差点で右折1729
思いがけずY字。分岐に祠。左の細道へ。1731
高架をくぐる。1732
1733職業能力開発大学校付近から讃岐富士

四国職業能力開発大学校
1736職業能力開発大学校前の細道より北

スシローでトイレを借りて事なきを得る。
北から来ると、「ぽかぽか温泉前」というバス停がありました。うそやん!
1752ぽかぽか温泉到着

(蛭子及び淡路島を産んだ後)次生伊豫之二名嶋、此嶋者、身一而有面四、毎面有名、故、伊豫國謂愛上比賣此三字以音、下效此也、讚岐國謂飯依比古、粟國謂大宜都比賣此四字以音、土左國謂建依別。
次生隱伎之三子嶋、亦名天之忍許呂別。(略)〔後掲古事記(原文)〕

『延喜式』神名帳・讃岐国鵜足郡の「飯神社」は、現在、香川県丸亀市の飯野山の西南麓に鎮座するが、古くは頂上に鎮座したと伝わる。その祭神には、飯依比古命と、相殿の少彦名命を祀っているが、飯依比古命を『古事記』と同神とし、その神格を讃岐国の国魂とみる説がある。この神社の祭神は、『播磨国風土記』揖保郡・飯盛山条に「讃伎の国宇達(うたり)の郡、飯の神の妾は、名を飯盛の大刀自と曰ふ。この神度り来りて、この山を占めて居みき。故れ、飯盛山と名づく」と見えている。「飯の神」とあるだけなので、もともと飯依比古とは別神とする説もある。〔後掲國學院大學〕

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