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【本句】両の手を星の湿りの金亀子 〔松山東〕
D「『星』と手元の対比?」「星の湿りは夏の淡い涼しさ」「朧月の方が付く。湿りに意味がない?」「淡い感じが金亀子を愛でるのと通じ合う」「金亀子の効果?」「金亀子のサイズ」
神野「観念的で松山東らしい。ただ湿りが読者に負荷をかけ過ぎている。」
※霾:中国北部で吹き上げられた黄土が、季節風に吹き流されて浮遊し、空を黄褐色に覆いつつ徐々に落下する現象。春、日本まで飛来することがある。黄砂。《季 春》
1515丸亀駅前東横INN発
1524丸亀城北西、セブンの向こうから右折南行
香川労災病院の西を抜ける。ad.城東町一丁目
百合動物病院。あらら行き過ぎてる。スポーツサイクルを借りたので結構距離を稼げてる。
1533聖橋で左折、川向うの道をまさに讃岐富士方向へ。この南西の聖池は立入禁止。
1540市民相談所の先のT字で右折南行へ。古子川をまたぐ格好。
バス停西村下。十字路を県道?R11へ左折。1544
教会と讃岐富士。
丸亀大橋で土器川を渡る。
飯野交差点!を右折南行。1551
「飯山 HANZAN 4km」の表示。この山ってハンザンだったのか!
1557うどん飯野屋。道は再び湾曲し南行へ。
そうか、飯野山西麓はここだけやや尾根を伸ばしたようになってる。この先に城があり、神社があったわけか。1659撮影。
菜の花畑と讃岐富士。1602
よし高架下。1608左折東行。
バス停飯野山登山口から対面へ、「登山口」と矢印のある道へ。いや登山する気はないよ。1613
高架下の向こうの十字路を左折東行。やはり登山口表示、いやいや。
「飯野山」案内板。西行法師「讃岐にはこれをば富士といひの山朝げの煙た丶ぬ日もなし」。山頂には伝説の巨人「おじょも」の足跡の巨石群とある。
しかし酷い坂です。歩くのも健康に良いので歩く。1619
Y字を右手へ。
古家も残るらしい。1623
通り過ぎてしまった伊勢神社を斜め上から見下ろす。本殿は飯野山山頂、横の二社は東、おそらく伊勢を拝む配置です。
桜散る讃岐富士直下。1628。道は右手南へ湾曲。グリーンヒル丸亀の表示石。年号は昭和62年。
ところでまだ登るの?
平坦になった1628、右折してみる。飯野山城?ないよ?
1635
団地を過ぎると登りなのにアスファルトが消えた。登山口でようやくトップに。
4月22日は讃岐富士の日らしい。1639
少し先の車溜まりは登山者の駐車場らしい。
綴れ織りに入りました。砂防指定地 赤山下川表示。道もアスファルトに戻る。1645
三叉路。左折南行。藪蚊が凄いぞ!
ホントにこんな山中へ
──あったよ飯神社!1651、ようやくチャリを停める。
乱積みの石垣。
本殿は飯野山山頂方向ではなくほぼ北向南面、等高線方向に向きます。奥の高みの社は概ね山頂方向だけど、少し北にズレてて厳密には違うらしい。
本殿手前の対聯は明18と銘。
(右)垂仁南◯二名◯
(左)伯◯◯峯幾萬世
と読めない。第一、七字です。どういう形式でしょう?
夕焼け小焼けの5時アナウンス。
本殿は鍵がかかる。額は飯神社で間違いないけれど左右に「伊勢神宮 氏神さまのお神札をお受けしましょう」表示。何か妙です。
飯神社の絵馬は富士の形。
高みの神社へ。こちらには立て札で「飯天神(いいてんじん)」と書いてある。1703
天神鳥居の右に牛神。桜の花びらを浴びている
飯天神。額の字は正確には「飮」になってます。1710
やはりここも正面に鍵。
裏手にも里山は続くようですけど、はっきりとした道はないように見えます。構造物も見えない。
ただ左の面にはぎっしりと奉寄進の木札が並ぶ。
牛神の後ろに三社、いや小さい祠もある。いずれも記銘なし。
一番右がやや大きい。14の◯に三つの尾星の庇で統一されてます。1719
ここの木製の鳥居は傾ぎながらも何とか建ってます。
ちなみにその手前には「征露紀念」とある大砲型の石塔。
1725下山。
1732 前回の看板下。ここで北行してみる。
讃岐富士西側直下にはまばらながらやや古い土蔵が残っているようでした。どうもこの讃岐国の集落配置は、他と全く異なり判別し難い。
1737 PaPaBeRu
1807原池
柞原町交差点
1820ぽかぽか温泉に着くと同時に日没
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