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ロッカーもさらりと開き、1228嘉義行に飛び乗れました。今出発のサイレンが鳴ってる。
はあ。涼しい……。
屏東は三声-一声で言わないと通じないらしい。
山並みはまだ右手東方はるか。
1232竹田。
1235西勢。車窓はほぼ椰子の木の森。農業地帯というより自然状態。GM.で見ると高低があるように見えるけれど、ここの平地は相当に広いのです。
1240麒洛 llinluo。
1243歸來 Guilai。ちょっとだけ町っぽい建物が多くなってきました。いや急に工業地帯?
1247屏東。
1310台輪時尚旅店が良さそうだったので3泊を入れる。インドネシア人の店番だけで15時にまた来いというのでお散歩タイム。
1315 cama coffee
経典美式
(61)
いいアメリカーノ飲ますんだけど18時閉店という。
永福路へ右折東行。ここの慈鳳宮というのは超ゴージャス過ぎて近寄れない。天上聖母を掲げてはいるから最後にでも来よう。
聖帝廟。「元気乾坤」というのが猪木っぽくてよい。
ここから概ね厦門路を通って東行しました。中途は後述。
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1437屏東市楠樹脚天后宮
東面。
八行中中央二行転写
右聯「天恩祐衆庶聖蹟肇湄洲莆田縣」
左聯「后徳庇羣黎母儀昭瀛島緱城」
右別祠は太歳殿。例の小さな寄進仏ルーム。
右壇は註生娘娘。背景に大きく孔雀。
千里眼将軍がちゃんとタスキをかけてます。
御本尊。
この隙間の壇下にちゃんと虎爺がおられます。
順天風将軍は耳を誇示し過ぎ。
媽祖はポカリ好き?
左壇は福徳正神。背景はやはり大きな麒麟。
左別祠は財神文昌殿。前二柱、後三柱。
財神文昌殿左手に大甲鎮瀾宮のリボンのかかった「屏東媽祖 天后宮」の旗あり。──下をめくって確認しました。
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行きに話を一度戻して、厦門街西の不思議な構造についてお話しします。
1413台湾銀行から中華路。地図で推したとおりややそれっぽい。
右折、厦門街(!)へ。1416
円環。左から時計回り。1417
ようやくTシャツとお茶(東方美人)を買えました。
1505帰路は民生路を辿ってみる。
一応騎楼が残ってます。
閉まりかけた市場で玉ねぎもゲット。
このロータリーの南西側に不思議なサブロータリーというか……変な構造がある。1518
屏東市中央市場第一商場という場所、とマップあり。この横に案内板があるんだけど植栽で読めない。でも何か日本的な図がある。
台輪時尚旅店に三泊を予約ok。小さい部屋だと安くなり、かつベランダ、というか非常口に面しててタバコも吸える!かつ洗濯物も乾く!
──小さい部屋、という意味は、ベッドが部屋の半ばを占めている、つまり元は香港などでもよく見る「ヤリ部屋」タイプということですけど、それを実際今は小学生集団に貸してリユースしてる訳です。
開水(ホットウォーター)は2部屋隣にある。
朝飯は要らない、という折衝の方が長引きました。もう一つ、小学生のスポーツ少年がわんさか泊まってるらしいこと。
隣にYamatoCafe?かなり良い雰囲気ですけど……18時閉店。
長興天后宮
1636 8227路 三地門公所行き Chaoxing(長興)下車1650
※一つ前Dalian rd.(大連路)
1631乗車、というかさっきまで止まってたバスに路線番号が付いたので確認できました。第1月台から。この駅前BTは第6まであり、対照表みたいなものが見つからないから土地勘がないと全部チェックしないといけなかった。

バスのIC読み取りがピッと来ないので悠遊卡が使えないかとドキリとしたけど……接触が鈍いだけでした。
定刻1636開車。お?空が黒くなってきたか?
YouBikeもかなり走ってる。駅の北口東西二箇所にある。
あらら?もう場所がわからないぞ?公園路をまたぐ……いや右折か。1640警察大楼。
名前の通り公園脇の道。バス停・屏東公園、だからその名前なんでしょう。
1644自由路に左折。大き目な川。河岸に石積が残ってます。ただすぐ遠ざかりました。
1646Y字から大連路に。川が再び近づきましたけど河岸はコンクリで固められてます。
1647同安新村。まだ町並みは続いてます。というか交通量はむしろ多い。
ろ……六本木モーテル??
町並みがゴチャゴチャしてる。個人的に好きな感じの場所です。
1652大連路。
Y字から右へ。前乗り前降りらしい。長興下車1654
提灯に沿って南へ。
すぐにまっすぐ見えてきました。
1659長興天后宮。北面。
門は五つに対聯二つずつ。中央のみ転記
ドラが鳴り響いてる。その後は演歌?
右聯「聖徳母儀千百世」
左聯「節烈名揚萬載香」
中央入口両側に竹を割った棒。祭具でしょうか。1703
右祠は太歳殿。ミニ仏の館。
右壇は王大順爺?背景は頭を隠す龍。壁に武具が並びます。1706
手前にタスキだらけの……これは媽祖でしょうか?1707
従神が前後二体。これは巡行用と配置用でしょう。
本殿台下にはやはり虎がいる。
1710御神体の位置にある媽祖はかなり新しい。手前中央のが昔からのものでしょうか。いやそれもあまり古みはない。
左壇は康府王爺。背景はやはり龍、こちらは顔がある。
左祠は救世壇。ここもミニ仏部屋。
二階に註生娘娘があるという。登る。
左右のみ?左から、つまり西面して註生娘娘。新しいけどキツい顔です。背後は麒麟らしい。
中央に一階から抜ける八角形の吹き抜け。ここから一階の媽祖も見下ろせます(前掲)。
右から、つまり東面して阿彌陀佛。左に観世音、右が面白くて送子観音。1722
ここのテラスから見下ろすと、確かに真下に川がある。でも船が行き来していたとは思えない。川向こうにも宮。──これは福徳祠でした。
階段下部に対聯「太極九轉轉乾坤」。空即是色ともまた少しニュアンスが違うのでしょう。
1728撤退。
バス停で時刻表を見ると1742駅行きがあるはずです。8227と8228が同時刻で不気味だし、そもそもこのバス停、信号から10mでいいのか?って感じだし──
小さい紙が貼ってある?かなり上に貼ってあるから見えにくいんですけど……1742がないように見える。ただ8228路の1814,8227路は1816という文字が見えます。
最悪後25分待つ覚悟をしよう。あと2分して来なければ(10分アップなら)、他路線の通る可能性のあるバス停・大連路へ移動しよう。
長興橋から南一枚1752
18時前、大連路に移動。こちらの小さな貼り紙表示はかなり下に貼ってあって、1815とか1817の表示を確認できました。
やはり少し遅い時間の移動は怖いねえ。
このバスの終点・三地門郷への路線は、北と南のルートがあって、明日行くであろう内埔天后宮の内埔が南ルートに当たるようです。
旅行者には平地に見えるけれど──東港から屏東を経る町のジグザグのラインは、入植の成功した土地が徐々に内陸へ延びていった、という血肉どころか死屍累々の歴史を示しているように見えます。
1814定刻、バス乗車。もう番号さえ気にしませんでしたから、とにかく屏東車站へ。
1830都城隍廟。GM.https://maps.app.goo.gl/uF73rxk41itwfUpQ7
右から東獄大帝、陰陽司公、都城隍、福徳正神、地蔵王菩薩・十殿閣羅王
この従神はトリックスターっぽい。右が謝将軍、左が范将軍。
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