大臣「このギメイノソンスルトコロという箇所は意味不明だから、時運の赴くところに変えたらどうだ」
迫水(内閣書記官長)「詔書を書いて頂いた安岡先生は、戦争に負けたから、あるいは負けそうだから終戦にするんじゃあなく、
今戦争を終結させるのは正しい筋道である
という見地に立たなければいけない。だから義命の存するところであると……」
大臣「辞書にもないような熟語を使っても国民には何のことか分からんだろう。時運でいいじゃないか」
迫水「時運じゃダメなんです」
大臣「何がダメなんだ」
迫水「時の運びでそうなったから仕方ない。つまり行き当たりばったりですよ。戦後の政治が理想も筋道もないものになってしまう。
『時運』派の政治家が量産されることになります。
我々は『義命』派の政治家を産む筋道をつけるへきなんです。」(略)
総理大臣「それでは(略)時運の赴くところにしましょう。」
井田中佐「ソ連は、
1941年6月21日のドイツ軍奇襲開始で
二千万人の犠牲を払って
本土決戦を敢行し
ドイツ軍を撃退しました。
そのドイツも
総統ヒットラーの死まで
本土決戦を継続し
ドイツ国家と民族の名誉を守りました。
今、陛下のご安否と日本の運命は──」
〔映画「日本の一番長い日」〕
※エマニュエル・トッドはその著書『帝国以後』の中で「第二次世界大戦の戦略的真相は、ヨーロッパ戦線での真の勝利者はロシアであったということである。スターリングラードの以前、最中、以後のロシアの人的犠牲が、ナチスの軍事機構を粉砕することを可能にしたのだ。1944年6月のノルマンディ上陸作戦は、時期的にはかなり遅い時点で実行されたもので、その頃にはロシア軍部隊はすでにドイツを目指して戦前の西部国境に到達していた。当時多くの人士が、ドイツ・ナチズムを打ち破り、ヨーロッパの解放に最も貢献したのはロシア共産主義だと考えたということを忘れたら、戦後のイデオロギー的混乱を理解することはできない。イギリスの歴史家で軍事問題の専門家であるベイジル・リデル=ハートが見事に見抜いたように、あらゆる段階でアメリカ軍部隊の行動様式は官僚的で緩慢で、投入された経済的・人的資源の圧倒的な優位を考えれば、効率性に劣るものだった。ある程度の犠牲的精神が要求される作戦は、それが可能である時には必ず同盟国の徴募兵部隊に任された」と述べている[54]。〔wiki/独ソ戦〕※[54]『帝国以後』pp.121-122
