本伝05章[Step50]サバーイとヂャイディーの間

 211日目 
▲48.2kg(半減+19.8kg)
残り20kg突破!

の危ういバランスの上にタイ人とタイはある。
 だからこれほど美しいのだと思うわけです。
 サバーイは気持ちいい。ヂャイディーは優しい。どちらもタイ人が最もよく使う言葉の一つで,基本的な価値観。日本人の「菊と刀」(ルース・ベネディクト:人情と義理を意味)じゃないけど,タイ人は両者の間に揺れ動き,タイは両者の狭間に発展してる。
 また減量から離れてるぞって?いや待っておくんなさいよ旦那(誰が旦那じゃ)!これが結構,わしの減量コンセプトの根幹かなと思えてきてまして…

 在タイ中,マッサージ通いを欠かしませんでした。
 旅行目的の3割はこれだと言っていい。タイ・マッサージは「気持ちよさ」の原理で貫かれ,断然痛気持ちいい!

 タイにもフット・マッサージはあるけど,台湾式の足裏に馴染むとタイ式はちょっと劣る気がする。でも全身マッサージならタイ!
 マッサージってのは,基本的にリンパ液の吹き溜まり易い場所を刺激することでその流れを改善する。リンパ液の機能は老廃物の排出だから,減量には欠かせないはず。
 街角のタイ・マッサージ屋さんの基本構成は2時間。うち半分かけて両足を丹念にほぐし,両手→背中→頭→全身ストレッチでおしまいになる(手と背中は逆の流派もある)。上手い人に当たると,両足が終わる頃には何とも言えない心地よさで脳がブッ飛んじゃう。
 街歩きも1日3時間くらいはやってた。気温は30度超,コンビニはあちこちにあるから15B(≒50円)ほどのペットボトルを買っては飲みしながら汗だくで歩き回ってると,体は絶好調!頭もウォーキング・ハイです!
 タイ人は「サバーイ」なのが大好きで,この価値観で社会が出来てるから凄く楽に過ごせる!
 彼らは逆に「マイサバーイ」を極度に嫌う。日本的な「修養」は大嫌いなわけで,日本企業は現地雇用のタイ人が働かなくて苦労するらしい。
 タイ料理も同じだと思う。口に心地よいことを追求し切った絶妙な味覚。
辛さや酸っぱさや苦みは強烈な食材が多いのに,上手く合唱させてる感じ。

 ただ,タイ人は単なる快楽主義じゃなくて,同じくらい敬虔さを重んじる。
 プミポン国王の在位ウン十数年だった2006年には町中の人が祝福の意の黄色いシャツを着てたし,映画の開始前には王を讃える映像が流れて全員が起立。
 町中にある祭壇に線香の煙が絶えることはないし,通り過ぎる者は必ず合掌する。
 飛行機も含めて全ての交通機関を,僧侶は無料で利用できる。今でも青年期に一度出家するのは一般的。徳の高さを重視する価値観が厳然としてある。──これを「ヂャイディー」という語に代表してもらっとこう。
 快楽主義と徳目主義のバランス。効果的な減量=食事管理ってまさにこれじゃないかと思うわけね。

 減量における快楽主義。つまり,限られたカロリーの中で最大限の満足感を得ること。──これなしにただ貧しい食生活を耐えるだけじゃ,長期的には身につくわけがない。
 同じく徳目主義。食事という行為そのものを尊ぶとともに,自分が食べるための他者の犠牲を哀れむこと。現代の場合,緑の革命により無理に大量生産・大量流通させてる食材供給システムの上に生活してるという業も
加えるべき。
 驚いたんだけど──タイの日本人街で買った本「アジア菜食紀行」(森枝卓士,講談社現代新書,1998)に,禅宗では食事作りを非常に大事にしてるとあった。道元が典座教訓(講談社学術文庫等)を著しているほど。
 典座教訓に引用される「禅苑清規」には──食事を作るには,季節にしたがって,春夏秋冬の折々の材料を用い,食事に変化を加え,修行僧達が気持ちよく食べられ,身も心も安楽になるように心がけなければならない。(中村他現代語訳)
 安楽を追求し,かつ秩序立っていること──これが食事の最重要事だと,8百年前に既に道元が主張してる!
 それはタイ料理の絶妙の美味さと共通するし,わしのやってる減量も結局同じ発想。何だ,結構メジャーな考え方じゃんか!
 同じく典座教訓にある話で章を締める。──寧波の港まで20km歩いて来て日本船から桑の実を購入した広利寺の典座(食事係長)に道元が言う。「煩わしく典座職などをつかさどってひたすらお働きになり,いったいどんなよいことがあるのですか?」典座は言う。「あなたはまだ弁道修行ということがよく分かっていない」
 弁道修行。つまり日常の当たり前の生活を大事にすることです。