外伝04━━〓〓弥生之講━━〓〓
(下の句)
錦魚重の赤こんにゃく

 京都のイメージは東京で作られてる。
 バリ島に似てる。西洋人の南国願望の中で,芸能の島バリ島のかなり手前勝手なイメージが作られた。現実のバリ人は,そのニーズに合う形で高度な芸能を身に付けていきました。
 サントリー伊右衛門。月桂冠ゆうまい。味の素「お箸の国の人だもの」。
 京都イメージとゆー商品は,ポスト消費社会に完全に変貌しちゃってる東京から,全国ネットで垂れ流される安易で肌触りの良いステレオタイプですよね。
 けども――今回の3回目の京都で,わしの中の捉えは,そんな類いの京都イメージからかなり離れて行きつつあるみたいなんですわ。
 ――でもその前に,今回もやっぱりやらかしちゅった錦市場の買い食い爆撃からね。

魚重:赤こんにゃく,ふな寿司
伊予又:鯖寿司
鳥清:鳥ハム
馬場:身しじみ
京丹波:干し芋
のとよ:うな肝
 近江の店だという魚重のふな寿司屋さんで見かけて飛びついてたのが,赤こんにゃく。
 京都の豆腐膳屋さん・豆生庵でびっくりした食材。完全にこんにゃくなのに,味覚が賑やかで食感は程よくねっとりして小気味良い。生でおかずにできるこんにゃく。
「近江八幡市の名物として有名で、消費地もほぼ滋賀県中部地方に限定されている。文字通り赤く染められたこんにゃくで、見た目はまるで赤レンガ。酸化鉄(II、III。つまり鉄錆)を使って赤く染められており真赤であるが、辛かったりするわけではなく味はごく普通のこんにゃくである。由来は文献に残っていないが、派手好きな織田信長が染めさせたという説がある。」(信長の野望オンラインより)
 その後一週間,大事に少しずつ噛みしめた。当然ノンカロに近い低カロリー。減量中に出会いたかった逸品。
 ――今思うのは。食感育成さえすれば,ダイエットなんてもっとはるかに楽勝だったはずってこと。倍の時間をかけ,倍の集中力で味覚するのを半年続けたら,仮にその期間体重が減らなくても,カロリー制限はアホみたいに楽勝でやれると思いますよ!!最高の味覚を食いまくりながらね。
 あ…こんなに衝撃的だった赤こんにゃくに今回も負けてなかったのが,魚重の主力商品:ふな寿司。やっぱり素晴らし~!!今回,グリーンサラダをふな寿司の臭~い酸味で食ってみたら,これがまた最高でした。今度,京野菜を買って現地でやってみたいッス!!

 野菜ばっか有名な京都ながら,肉も意外にスゴいと聞いてはいたけど,その実力を思い知ったのが鳥清の鳥ハム。
 なんじゃその軽~いネーミング?それに…見たとこフツーの鶏肉じゃろ?なんて,前2回では有名は知りつつ素通りしてきたんで,今回は必ず買うつもりでいた。で,広島で食すと。
 軽いタッチのお馴染みチキンの味覚から入る。これで「あれ?やっぱフツーの鶏肉?」って油断を生む…のがイケズで,いかにも京都的。次の瞬間,すうっと鼻腔に抜けてくる香り高いスモークの匂い。本格的なハムなのです!けど…この「本格的」ってのはスモーク臭の確かさだけじゃない!
 口中で噛みしめていくと,最後の段では肉の旨味が重低音の振動を広げてくんです!初めの軽やかさが嘘のような,がっしりした肉肉しさ。これは燻製によって醸し出された肉の実力だろな。しかし――一般に貧弱な京都の食材なのに,それだけの底力のある鶏肉をチョイスしてるってことなのか?
 三条会商店街のサントスに似せれば――ハムの概念が変わります。ボンレスとかの通常の日本ハムより,むしろ高知のカツオ塩タタキの高級な奴に近い。工業製品ではないハムって製法の実力に圧倒されました。

 京都ガイドによると,3月の季節の定番おばんざいに挙がってたのが,身しじみ。
 …わりゃ何ゆーとんな!!広島人,特にわしら呉人みたーに海際のもんは,貝ゆーたら自分で掘って来て食うもんじゃけえ!…とか突然呉弁で言ってみたりしても,わしら呉人にはしじみを貝殻から剥がして一食材として調理するほどの食文化レベルはない。
 しじみじゃなければ,京都と同じく食材として貝を使う食文化は広島にもある。――牡蠣の土手鍋ですね。
 西日本の貝は,通常,貝殻付きで食うと思う。典型的なのが貝汁。広島魚の棚の「なな川」の昼の日替わりには,必ず貝汁が付く。しかも常に別の貝。――脱線ついでだけど。博多では,この貝汁文化は広島よりもっと一般的みたい。だけど,貝殻から剥がして使用する形は珍しい。
 それを,京都は完全に独立した食材として使用する。恐らく,素材としての貝の旨みは貝殻から剥すことで落ちるだろ。けど,近代以前は,どーせ京都に入ってくる海産物の鮮度は悪いわけで…それよりも食材としての自由度を得ることでポイントを稼ごうとした。京都の食文化一般に現れてるパターンです。
 このベクトルの一つの結集がこの身しじみなんだと感じた,そのお味とは…
 佃煮の調味料がかなり濃厚にキイてるにも関わらず,貝肉の素材がプルプルに生きてる。しっかりとした歯ごたえ,磯臭さ。瀬戸内のより明らかに素材としては下なのに,加工と素材のバランス感で逆転優勝しちゃってる。
 桑名の殿様、時雨で茶々漬けヨイトナー――貝文化の味覚は,信長ら東海勢力による京都席巻などを通じての,京都にとっては外来食だった可能性が高い。外来事物の体系化――首都に必須の文化機能として,京都が持つしたたかさ。各地の風土記を束ねて記紀神話に合成したテクニックです。
 さて東京よ!!実質400年強の首都史の中でそれを学んでますか!?少なくとも,京都と福岡にはそれがある。
 同時に。今後の道州都として,広島を含めた地方都市にも,そうした「文化的多様性の体系化機能」は求められていくのでしょう。

 「のとよ」の「うな肝」?
 ガイド本で知っても――正直。グルメ界初心者のわしには,カッコ書きを連ねたくなるほど「???…!?」な食い物でした。
 …スゴいもんなんッスね!!炭臭くって,もう不味さとギリギリのセンまで来てるし,間違いなくゲテモノ的でB級なんだわ!なんだけど…それが他にはない深~い香ばしさに昇華してる。そんで,最初は戸惑うそのどこにもないタイプの味覚に慣れちゃうと――コリコリした歯応えとじんわり広がる磯臭い魚肝の苦味が後を引いて引いて,も~離さないわアナタッ僕もだよヒトミッ,ぶっちゅ~的な感じ?
 実は悪いことに…丁度この京都帰りの日曜日の夜には,四十の誕生祝に貰った呉の特級日本酒がございましてですね。コイツら怒涛の肴どもに杯が進む進む!ウ~イ…酔った酔った!でそりゃあも~大変な事になってしまったのじゃ!!中で最も犯罪的にヤバかったのが,やっぱりこの「うな肝」,君だよ君ッ!!!困るんだよそんなんじゃあ~!!
 京都先生の厳しい学習プランに,へとへと気味の新入生なのですわ…ハイ…

 講義のテンポが早くなってきたようなので…ここらで身を入れて予習・復習・増収・脱臭に努めたい。全く,どこまでも生真面目で惚れ惚れしてしまう美少年なワシである。
 さて,収集しがたい冗談から話はいきなり堅くなる。
 以前からの繰り返しになるけど。食文化には,その町の文化的体質が常にさらけ出される。全個体が毎日複数回直接に選択するこの事象面は,その文化体質の露出度という点において,いかなる文化側面よりも確実なモニターです。
 さて,問題は京都の文化のベクトルですが――こういうスタンスで見ていくと,過疎で滅亡仕方けてる日本の地方都市にはちょっとない,超ユニークな姿が見えてきた気がします。
 率直な印象として――京都の伝統は,単に古くて洗練されたリソースとしてそこに存続してるってわけじゃない。地方の小京都が大抵取ってるそんなスタンスの甘さを,それどころか彼らほど痛感してる町はないと思う。この点はメイド・イン・東京の京都イメージと180度逆です。あらゆる手を使って,時にはかなり伝来の本質を切り捨て去ってでも,「進化せなあかん!」っちゅー意志がみなぎってるの!!そりゃもう切迫感さえ感じるほどです。
 村山裕三「京都型ビジネス 独創と継続の経営術」(NHKブックス,2008)には,継続のための革新としてその辺の京都人の気概が数多く紹介されてる。
 CG友禅や西陣織ショルダーバック,手描友禅タンブラーとか,完全に斜陽の織物業界が生き残りを賭けて奮闘してる。でも,一番凄みがあったのは,減量中何本となく頂いた「伊右衛門」。
 まず,手元の伊右衛門ペットボトルの表示を転記してみる。
 「京都 福寿園 伊右衛門
 豊かな旨み 石臼挽き茶葉の旨み
 「伊右衛門」は,寛政二年(1790年),京都に創業した「福寿園」の創始者にちなんで名付けています。福寿園の茶匠が厳選した茶葉を使用。「純水」で淹れたさっぱりとしたお茶に,「山崎の天然水」で淹れたコクのあるお茶をあわせ,「石臼挽き茶葉」をひとつまみ加えました。お茶の豊かな旨みをお楽しみください。」
 ブームを呼んだこのお茶の味,福寿園のブレンドのノウハウとサントリーの技術がコラボして実現したわけだけど…複寿園って本気で宇治茶の老舗らしいね。老舗が創業者の名前で売り出す,つまり,失敗したら家名が地に落ちるって大博打だったわけで。
 部外者の想像をはるかに超えるプレッシャーがあったと思う。それだけの勝負をかけて革新できるって…伝統に安住しないその心意気に感動するな!
 「京都型ビジネス」には「伝統産業機械化のジレンマ」として3点の指摘がある。
1)製品が均一化されることにより,手作りによる微妙な面白みが失われる。
2)その機械を手に入れたものは誰でも,基本的にはそれを模倣することができるようになる。
3)職人の士気に関わる問題。長年にわたってやってきた手法を変えること自体に抵抗する職人の世界にテクノロジーを持ち込むと,職人の存在意義自体を揺るがしてしまう。
 これらは,伝統食から食品の工業製品化の過程でも同じように起こった弊害。何度か書いたようにそれが肥満リスクの最大誘因,つまりわしらを太らせてる。
 伊右衛門は――詳細は分からないし,きっと特に3点目では色々外に出せないスッタモンダがあったんだろけど,とにかく――まさに大量生産体制の構築に成功してしまった!あの味のクオリティをキープしたまま!
 そのしたたかなスタンスが何かは,正直「京都型」を読んでもまだよく理解できましぇん。でも…京都の料理人のスタンスを見る限り,それは複寿園だけじゃなくて,かなり普遍的な感じです。そのノウハウを,何とかゲットしたい。現代人として,かつ没落する地方の役人として。

 話はさらに流転して,京都の商店街。
 キョースマ!’08冬号は「うらやましいぞ!京都の商店街。」特集でした。
 寺町会商店街,新大宮商店街,出町升形商店街,堀川商店街,夷川商店街,清水道商店街,ふれあいロード風呂屋町。
 わしは,今回の旅行で一度三条会商店街を通り抜けただけです。
 でも。地方都市の盛り場マニアのわしの目から見て,あんな面白い商店街はなかった!
 決して中枢性はない地勢なのに,何とも言えない華がある。それが観光客ではなく目の肥えた京都人をも惹きつけ,シャッター街が言葉そのまんまの意味での繁華街に変貌してゆく。繁華街の数だけ町の魅力は深まり,懐をさらに深めてく。その懐の深みの証として,最高の料理店が開花してゆく。
 京都の他の商店街も歩いてみたい。…かなり確かな予感がある。

 最後に「京都型」でわしの印象に一番ピッタリはまった文章を紹介しときます。
 「『積み重ね』による歴史性は,ただ保存するだけの歴史では生み出すことのできない強みを京都にもたらしている。これが,同じ歴史都市でも,京都が,奈良や鎌倉と決定的に異なる部分であろう。これにより京都を訪れる人びとは,京都独特の文化のライブ感に魅せられるのではないだろうか。
 京都の1200年の歴史は,京都という都市が持つ大きな資産であることには間違いがない。しかし,資産はあくまでもストックにすぎず,これは保存するだけでは,何ものも生み出さない。しかし,京都の持つ真の価値に気付き,歴史の現代への意味合いという文脈を持つ人が,新たな京都を今も作り続けている。ここに,京都という都市の面白さがある。」
 そうなんだ!わしが京都に感じてるのは,まさにこの「ライブ感」。
 この町にのた打ってる,他の日本の町にはない何者かの蠢動を,あと9回の京都行きで注意深く抽出してみたいと思ってます。