油煳干青∈外伝12∈辣∋拾弐月弐拾九号 成都初訪∋糟酸麻蒜

▲成都駅前「夫婦肺片」の店頭厨房で,ケータイいじってるお姉様。9割くらいの時間はそうやってましたが…共産中国らしい一景でした。

 滅法,照明ギラギラな空港です。
 14時半,上海乗り継ぎで降り立った成都空港の,それが第一印象でした。
 思ったより遥かにでかい空港施設です。
 50分。まだ荷物のベルトが動かない。自分の荷物が来ないんじゃない,ベルトそのものが回らない。
 15時,やっとベルトが回りだす。5分,最初の荷物がやっと出る。トランジット分は最後に積まれたのか,すぐわしの緑色のリュックは回ってきました。
 とりあえず一服しながら見渡す。
 これも…想像以上にムチャクチャでかい街みたいである。
 それと…雰囲気ではあるけど,上海人みたいな,常に狙撃手に追われてるようなストレス。そういう影が刻まれてない中国人の,ふてぶてしい面構え。田舎っぽいというか,眉をしかめた表情がないんである。
 まだ見ぬ中国の微妙な違和感に,知らず知らず神経が高ぶってきてます。

 搭乗者エリアを出る。
 さてまずは金。基本国内線の空港だから,両替所が少ない。かろうじて構内端っこに一箇所だけ見つけた店でチェンジ。
 では次は市内への移動と。訪ね回ってたどり着いたのは両替所の逆の端っこ。300路,火車北[火占]終点のリムジンバス…というかこれは単なる路線バスだな。まあ,目的のバスには間違いなさそうなんで乗り込む。停留所表示を見ると終点まで20駅近くある。しかもバスは,客の集まりを待って出る積もりらしく止まったまんま。
 おい,いつ着くんだ?
 15時半やっとバスが動き出す。車掌に徴された人民元は10元。
 ホントに,本格的にでかい街である。道は広いが車が多く,バスは距離をさほど稼げてないが,にしても街また街。あ,そうかこの時間は…既に夕方のラッシュの前触れか?メインっぽい2車線に出た時点で,既に16時が近づいてます。
 曇天。というか,こりゃあ西安で見慣れてた,あの大陸内陸の冬の空だな。恐らく晴れることのない,公害国のスモッグ充満の鬱鬱たる空。
 今までのとこ,言葉に不自由はない。方言がとんでもないってことはなさそう。皆さんの喋くりも概要は理解できる。北京語の通じる漢民族圏に久しぶりに来たな。

▲荷を下ろした宿の部屋から見下ろした成都の街

 17時30分,成都大飯店に荷を降ろす。
 240元とかなり高いが一泊目でこの時間だ,本日は贅沢に寛がせてもらいましょう。
 これより30分前。終点の成都駅前で降りるや否やモワッと人混みに飲みこまれる。中国の人塊です。この,何ちゅうか…数だけがやたらと多いけど根源的に無秩序な,そしてそれゆえにこそエネルギーに満ちた,中国の人民塊です。
 日本や欧米でどれだけ人間が集まっても,この空気は形成されない。「超健全なアナーキー」――これこそが底流レベルの漢民族の文化。そうためらいなく断言できる。
 …とか紀行文的には冷静に書けるんだけどなあ。現場に居る旅行者となると,もう惨憺たるもんなんだよなあ。そりゃ無秩序が元気で元気で,それがラッシュ時ともなりゃあ最高潮で,そこへ久方ぶりに降りてしまった衝撃ときたら――なあ!
 とりあえず駅周りの目星の宿と安そうな飛び込み宿を物色。天安門直後の外国人宿泊規制が厳しかった頃と違って,安宿はいくらでも見つかる。ただ百元代のとこはちょっと不気味な気配が漂うし,初日の今日はしっかり休みたいよなあ…と贅沢に流れてしまった。
 上から見ても,この駅前界隈は雑然としたエリアみたい。古都の文化的な匂いは少なそう。

 まあ,とりあえず行っとかにゃならんだろ?
 空腹抱えてまっすぐ向かったのは――宿探しの行程で駅前に見つけてたお店。四川と言えば,どころか中華と言えばコレでしょ?四川料理最大の観光名店――まあ日本人用のという面もあろうが。
 17時55分,陳麻婆豆腐駅前店に席を下ろしました。よく見る本店の豪華さとは対象的に,ここはまさに駅前一膳屋的な気安さです。
 注文も,まあコレしかないでしょう。
陳麻婆豆腐 10元
大米飯(お椀にご飯) 1元
 さほどは待たずに来た本家マーボは…「麻」である!

▲陳麻婆豆腐駅前店の陳麻婆豆腐

[公開できる情報] さあここでついに!今次旅行の目的が明かされるんである。
「麻辣」である。
「マラ」と読む。エッチなもんじゃなく味の種類である。
 四川料理では,中華で一般に言う「[舌甘]」(甘い),「苦」(苦い),「シエン」(塩辛い),「香」(香る)の四味に加え,「辣」(唐辛子辛い),「麻」(痺れる)の計6つの味覚を重視するとされる。
 日本人にとっての中華のイメージと,現地の味覚センスとの間隙に落ちてる度合いが一番強いのが,最後の「麻」。
 唐辛子というナス科植物が新大陸から旧大陸に伝来してから五百年。中華,特に四川料理には,少なくとも日本での解釈では調味料のメインは唐辛子味=「辣」になってしまってるけれど,辣が中華の全てじゃないことは広東で確認済。
 ではなぜ,唐辛子が,中華世界で最も根強く根付いたのが,四川だったのか?
 その辺に,中華が単なるバリエーションとしてじゃなく,何らか全く異種の中華が存在する可能性はないか?
 まあそんな予感だけなんですが――のこのこっと四川まで来てしまったわけです。

 ともあれ!本家陳麻婆豆腐を一口…。
 お?
 おおおおお!
 これは…マーボじゃない!日本のマーボとは似ても似つかない代物です!
 見た目は,赤いと言うよりドス黒い。そしと,そのアンの中に豆腐があると言うより,豆腐が崩れかかってアンと一体化してる。
 辛いかどうかと言えば,ものすごく辛い。でも,同時にその辛さの幅のものすごさに圧倒される。唐辛子の直球じゃない。唐辛子は辛さの一つに過ぎないという感じ。「辣」の周りにもつれ付いてくる,これが「麻」…?
 確かに「痺れ」という表現が近い。それは山椒の同属異種の花椒という漢族の大好きなスパイスの味覚。けれど実際に口にしてみて(あるいは西安での記憶でも),そんな単純なもんじゃない。複合するスパイスが,痺れと同時に独特の香り立つ味わいを醸してる。
 この味わいの一部として「辣」もある,という感じ。
 花椒自体も,京都とか韓国南部の山椒使いと比べると,効き方がよりも軽やかで華やかです。ぱっと痺れる感じが,実に小気味よい口触り。
 最初に,辛いと言うよりラー油の辛く香り立つ感じが効いてくる。しかしそのすぐ後を,「麻」群の痺れがジーンと染みてきて,最後は挽き肉の肉汁と鶏ガラスープの旨味で締めくくられる。
――実に綺麗な味覚の和音です。それで「麻」はその中間パートを形成しつつ,「痺れ」として余韻を残す。
 一人前を食い切るのが精一杯なほど痺れの波状効果が口に満ち満ちてるのに,一口ごとの食後感がホントに爽快で次の一口を誘ってしまう。止まらない味わいです。
 実感。「麻」の凄さという以前に,味の作り方そのものに,この土地にはやはり何かがある。

[麻婆豆腐の由来]
■伝・創始は清の同治帝の時代の成都。創始者は陳森富の妻劉氏。「麻婆」とは「あばたのおかみさん」の意で,劉氏があばた面だったことに由来。
■漢語では「麻辣豆腐」とも称す。
■初期には羊肉が使われたとも。また,汲み出し豆腐「豆花」を使用とも。
■豆板醤の使用は,数十年経ってからの改良型
■日本でのマーボは,四川省宜賓出身の料理人陳建民によって日本で受け入れられるようにアレンジされたもの

▲オヤキみたいなのと五香麻辣

 ホテルへの帰り道,駅周りを一応とチェックしてくと――ポツポツ屋台が出てたんで,2点購入してみました。
 一点はナンの縮れだようなパン。
 えらく沢山の屋台で売ってたから試しに買ってみたら,オヤキとは全然違ってた。…ナン?いや,チベッタンブレッドか?つまり成都のある四川のチベッタンがもたらした料理?
 ちょっと意外だったのは,これに唐辛子とネギが乗っかってたこと。つまり四川カスタマイズされたチベッタンブレッドみたいに見たんだが?
 ちなみに香港のチェリコフでチベッタンブレッドの名前だったからこう書いてますが…実際チベットには行ってないんで,実際は博多のエベレストで出されたネパールパンのシェキランとかいうのに一番似てるってのが正直な照合です。
 長沙臭豆腐(小[イ分]8個3元)もあったけど,地場モノじゃないんで我慢して…と思ってたら,別に北[火占]前の路上売りに「五香麻辣」というのがあって…たまらず購入。
 素食でよくある大豆の麻辣でした。滷味ってほどじゃないが確かに五香粉の味付けが背後にうっすら漂い,好ましい。

▲夫婦肺片北[火占]店の夫婦肺片

 駅前から南に伸びる大通り,ホテルの逆サイドに,やたら客の多い店を見つける。夫婦肺片北[火占]店。
夫婦肺片 20元
米飯1元
 臨席をチラ見すると,モツの麻辣煮込みといった料理らしい。
 本来は涼菜の位置付けにある一品か?他席にコレとビールでやってる人が何人かいて…羨ましかったです。
 味付けは陳麻婆豆腐とほとんど同じ?「辣」を華やかな「麻」が追いかけて来る。
 こちらの「辣」はラー油主体?その位の違いか?
 いや。そんなもんじゃない。一見麻辣の後の底味である肉汁の効果は,こちらの肺片では感じられない。技量の違いか?と思いかけたが,涼菜としてはその方がむしろ潔い後味になるような気もしてきた。
 つまり,臓物の幽玄な味わいは「麻」を隠れ蓑にして忍び寄って来る。フィルターの陰から現れるからこそ,肉の臭みをよりクリアに味わえる。そんな料理なんじゃないかと思えたんですが。
 肺片に使われる牛内蔵には,透明っぽい何か分からない部位がえらく目立つ。韓国のスンデを思い出すが,より近いのは中央アジアで売られてる内蔵肉の各種ハムだと思います。スンデは赤身肉の爽やかな味わいを楽しむ方向なのに対し,中央アジアのは臭みを純粋に愛でるというか…日本人がヌカ臭さを愛するような,他文化の民族には分かりにくい系統の味わいです。

 後で調べた夫婦肺片のデータは以下の通り。

[夫婦肺片]
■成都の郭朝華と張田正のオシドリ夫婦が調理して作ったのが始まりとされる。
■料理名には「肺」字を含むが,肺を用いることはあまりない。当初は「夫妻廃片」名だったところ,後に語感の悪い「廃」を避けて同音漢字に改められたとも言われる。
■また一説には,最初に夫婦が屋台で売ったのは,牛の肺を辛く調理した涼伴牛肺で,ヒット後に同じ臓物でもより美味の部位を使うようになったとも。
■夫婦は回族。ムスリムである回教徒は豚肉を食べず,牛肉とラム肉を食するが,牛肉は肉だけ食べ内臓は全て捨てていた。夫婦が使ったのはこの廃棄部位である牛のタン・レバー・胃袋(ミノ)。
■販売当初は生きていくのがやっとだった彼らは,夫妻肺片の好評により晩年は裕福に暮らしたとされる。

 つまり,麻婆も肺片も中華的には廃物利用が始まり。
 米南部のクレオール料理と同じです。①食材が多彩,かつ②舌の尖った人々の住む地方で,③最貧層の創意で作り出された,正統派からすると考えられないゲテモノ料理。
 そういう食こそが,次代を担う食文化の核になってく――ってのが普遍的な食の進化過程らしいのです。
 そういう「大進化」に比べると,宮廷や金持ちのグルメ化は「小進化」以前の「様式化」程度に思えてきます。
 

 今日の成都駅前をちょっと歩いたのは,ほんの小一時間です。これだけの行動で,こんなに未知の味覚に出会えるとは予期してなかった。
 確かにここの味覚は異国です。
 正直――美味に感動できるほど,今日邂逅した味覚は見知ったそれと異質なものでした。戸惑うばかりで満足するなんてとてもとても…って状況。
 この街は2400年の年輪を持つ。京都は愚か,ひょっとしたら黄河文明に匹敵するかもしれないこの街の深み。掘り下げるに値するって手応えだけは,かろうじて感じられた初日だったんでした。