▲華蓋路の風情1 後日談:当時は何とも記していないけれど・・・凄い建築だぞこれ!
▲華蓋路の風情2 後日談:この騎楼の曲がり方なんか,数年後には涎の垂れそうな凄さだぞ!
[概要]
●中国の五大銀行のひとつ
●本社は上海
●上海証券取引所、香港証券取引所に上場
[歴史]
(清朝期・創始)
●1906年,末期の清朝が設置した郵電部(郵便・通信・交通事業を管轄)で,交通・通信関連の為替や現金収受や国庫の収支の管理及び小切手の発行等の業務を行う銀行設置が建議される。
●これに基づき1908年3月4日に北京で交通銀行設立
(共産化まで)
●辛亥革命で交通銀行は北京政府に移管●北伐終了後の1928年に一般商業銀行へ転換,本店は上海市外灘に移転
●1935年,法幣を発行する4銀行の一つに。この地位は国共内戦まで維持
(共産化以後・台湾側)
●1949年,国民政府が台湾移転。これに伴い交通銀行も移転したとされる。
〇大陸側の見解:台湾の交通銀行は新設の銀行
〇台湾側の見解:中国大陸で内戦により休止していた営業を台湾で再開
●2006年8月21日,台湾側の交通銀行は中国国際商業銀行と合併消滅。現在はさらに合併して兆豊国際商業銀行に。
●旧交通銀行の台湾本店は中正区忠孝東路2段123号。現在は同兆豊国際の本店営業部として供用中
(共産化以後・中国側)
●交通銀行は中国側にもそのまま存在し続け,これが現在のいわゆる交通銀行
●本社は1951年に本社を北京へ移転後,1987年に再び上海へ移転
●2004年にHSBCが資本の19.9パーセントを取得
●2005年上海証券取引所,2007年香港証券取引所にそれぞれ上場
【概要】
【歴史】
[米銀買上法以前・創始]
●発足当初の中華民国は全国的な貨幣政策の強制力をまだ持っておらず,紙幣は,各地方の銀行又は政府が個別に発行する状態だった。
●市場での信用度と価値はそれぞれ異なっていたが,一般に中国銀行と交通銀行の発行紙幣が最も信用度の高いものとされていた。
●国民政府は,1927年の北伐で中国を統一した後,宋子文と孔祥熙の計画によりようやく貨幣改革に着手。
●具体策としては,従来は半官半民の実態だった中国銀行と交通銀行を完全国有化,これに政府系の中央銀行を加えた3行で中国の銀行業務を全て国民党指揮下に置いた。
[米銀買上法時]
●1929年世界大恐慌発生に対し,ルーズベルト大統領が1934年に銀の回収を定めた法律(「銀買上法」)を立法化。これにより正当になった同財務省の銀備蓄により,銀の国際価格が大幅上昇。これが銀本位制国家の脅威となる。
●中華民国は当時世界第3位の銀本位制国家。米の同政策により大量の銀が国外流出した結果,深刻なデフレと利率上昇が発生,各銀行が臨時休業を行なう事態となる。
●民国政府が対抗策として打ち出した通貨改革は,銀本位制の銀円から国家信用法定貨幣への移行。これがいわゆる法幣
●1935年11月4日に法幣改革の実効が宣言。具体的には,一切の取引を法幣に移行。市場の銀円は1法幣=1銀円の等価交換方式により国庫に帰納。(法幣発行当初は)イギリスポンドとの固定為替を採用し,指定銀行において無制限の交換を認めた。
●法幣紙幣は中国銀行と交通銀行(後に中国農民銀行も参加)が不換紙幣として発行。同時に期限を定めてその他紙幣を回収。
[米ドル固定相場制移行後]
●国民政府がアメリカと協議した結果,1936年(法施行から7年後)から法幣はアメリカドルとの固定相場を採用。中国→アメリカの銀輸出を認める代償として,米ドルを法幣発行の準備外貨としたことから。
〇この通貨改革の評価は以下の通り
[プラス評価]法幣は中央銀行により発行された不換紙幣となり,当時の中国では進歩的(近代国家の金融体制下では必然的な制度)。これにより法幣発行は,中国国内の通貨の統一,通貨発行権限の政府集中,国内の銀貨等硬貨の政府帰納促進などに実行力を確保。日中戦争の戦時体制財政を維持する効果の源泉となった。
[マイナス評価]法幣発行により民間の富を政府が強制的に接収。経済活動を鈍化。
[日中戦争期]
●1937年の日中戦争勃発までに,法幣の総発行高は14億元に。
●1937年から1941年の日中戦争期間中,日本は占領地に於いて軍票等を発行,併せて法幣を回収。回収法幣を外貨に兌換。
〇法幣の信用下落と国民党政府の外貨消費などを通じ,中国経済の破壊を目的にしたとされる。
●対する国民政府はイギリスから1千万ポンド,アメリカから5千万ドルの借款を受けて法幣の信用維持に努めた。
●しかし法幣価値は下落を続けた。その中でも国民政府は,日中戦争期の増加する財政支出を補填するため法幣の大量発行を継続。
●1940年には国民政府は外貨への交換に制限額を設定。1945年の終戦時には法幣発行高は5,569億元,戦前の400倍まで膨らむ。
[日中戦争以後・法幣廃止]
●日中戦争後も国共内戦での戦費調達のために,国民政府の財政はひっ迫し続ける。法幣大量発行はさらに継続され,1948年8月には発行高は600兆元を突破。
●ために,3年間で物価千倍というスーパーインフレを招来。法幣は製紙会社の原料に使われるまでになり法幣価値は事実上崩壊した。
●1948年5月の行憲選挙で新任された翁行政院長は,王雲五を財政部長に任命し貨幣改革を実施。新たな金円券の発行と法幣の流通停止を決定。