外伝01-2मुंबई【20年後のバーラト】末日:インドで焦ったこと 写真集2ボンベイの夜景

▲海側の繁華街辺りにて。ニッポンの照明の異様な明るさはない。まあこの位だと情緒あるレベルなんだが…。

▲カリーを食ったレストラン。この辺りまではまだ何とか安心しとれたが…。

▲こういう闇に覆われた道は,なかなか恐ろしいものがありました。写真撮るのもコワい(てゆーか撮れない)闇です。

▲CSTに戻れば戻ったで,こんな感じ。前後左右に絶えず目をやってないと生きた心地しません。
▲かと言って駅構内に入るとこんな感じ。何かのストライキじゃなく,普通に座りこんでる皆さん…列車に乗るならホームで待つような気もするが,何でこんなに人がいるのかは以前から謎なんだが…。

[レポ]CST

■大意
インドのムンバイの中央駅の一つ。ムンバイ近郊鉄道,その他の長距離鉄道が乗り入れる。

■正式名
チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅(マラーティー語。英語:Chhatrapati Shivaji Terminus)
旧名:ヴィクトリア・ターミナス駅」 (Victoria Terminus)
通称:「CST」「VT」
■建築
歴史的な建築として2004年にユネスコ世界遺産に登録
建造年:1888年
様式:ヴェネツィア・ゴシック建築様式。ヴィクトリア朝のゴシック・リヴァイヴァル建築の傑作とされる。壮麗かつ豪奢な風格がある建築物だが,一部にインドの伝統的建築の融合も見られる。
その他:木彫やタイル,鉄の装飾や真鍮のレール,切符売り場の鉄柵,大階段の手すり等の装飾は,ボンベイ・アート・スクールの学生の作品
評価:19世紀の鉄道駅建築として驚くべき進歩的な構造と技術性を誇る。

■歴史
1887~1888年 建築家のフレデリック・ウィリアム・スティーヴンスによって設計
(建造10年。ヴィクトリア女王の治世にちなみヴィクトリア駅 (Victoria Terminus)と命名
1996年 インドの改名論議の一環として現称「チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス (Chhatrapati Shivaji Terminus)」に改名。シヴ・セーナー(注2)の強い要望も受けている。名の由来は17世紀のマラーター王国の王チャトラパティ・シヴァージー (Chhatrapati Shivaji)

(注1)チャトラパティ・シヴァージー (Chhatrapati Shivaji)とマラーター王国

■マラーター王国
・マラーティー語: (Marh Smrjya, マラーター・サームラージヤ),英語:Maratha Empire)
■概観
インドのデカン地方に版図を持ったヒンドゥー王朝(1674年 – 1849年)
首都:ラーイガド,シェンジ,サーターラー
位置づけ:マラーター同盟の中心となった国家。しばしばマラーター王国はマラーター同盟自体と同一視される。事実上,マラーター王国を最上位とする連邦的国家だったとの見方もできる。
■歴史
(17世紀)中世のデカン地方に新興カースト・マラーターが形成
17世紀後半 指導者シヴァージーに率いられて諸勢力と戦闘
1674年 シヴァージー,マラーター王を宣し,マラーター王国創始
1680年 シヴァージー死亡,サンバージーが王位継承
一時,ムガル帝国のアウラングゼーブの軍勢に圧されるが,その没年までに勢力を回復
1708年 マラーター同盟結成
王国の実権を握った三人の宰相バーラージー・ヴィシュヴァナート,バージー・ラーオ,バーラージー・バージー・ラーオのもと勢力拡張
1761年 第三次パーニーパットの戦い
同盟軍がアフガン軍に敗北,王国宰相を中心とした同盟の体制は瓦解
(その後)マーダヴ・ラーオの下でニザーム王国やマイソール王国をとの争いにも負けずに勢力回復するも,宰相位をめぐる争いから宰相権力は家臣へと移行
1818年~ イギリスと3次にわたるマラーター戦争
(戦後)敗北。ただし,マラーター王国はサーターラー藩王国として存続を許される。
1848年 藩王シャハージー死亡。王国廃絶

(注2)シヴ・セーナー (Shiv Sena)

■概観
インドの政党名
※日本での報道名称:シブ・セナ又はシブセナと表記される場合が多い。
※名称の由来:シヴァージー(マラーターを率いマラーター王国を建国した中世インドの王)の軍隊(セーナー)の意
■影響力
地域:主にマハーラーシュトラ州を中心としたインド西部
階層:芸能界にも影響力が強い。
■現政治権力
現ムンバイ市政を掌握。
■政策の特徴
南インドから移住してくる住民を攻撃
■歴史
1966年 バール・タークレーが設立
※タークレーの主な立ち位置:
①漫画Marmikで移民排斥
②ムンバイの労働運動に影響力を持っていたインド共産党の排除
↓財界や移民に不満を持つ失業者の支持を集める。
2008年11月26日 デカン・ムジャーヒディーンによるムンバイ同時多発テロ
(被害)死者172人,負傷者239人
2009年 ローク・サバー(インド下院)総選挙で政党連合・国民民主同盟の一員として11議席獲得(2014年8月現在は3議席:注3)
■最近の傾向
立ち位置はインド人民党などのヒンドゥー至上主義に近いが,北部や西海岸に多いイスラーム教徒の排斥ばかりでなく,南部から移住してきた住民も含む排斥の主張傾向が目立つ。
 反面,マラーティー語を話す地元民を優遇し「マラーティー至上主義」と言われる人種主義的傾向を強め,場合によっては極右視されることもある。

(注3)2014年8月16日現在のローク・サバー(インド下院)党派別議席数

(議席数が多い順)
インド国民会議派(INC) 69
インド人民党(BJP) 42
大衆社会党(BSP) 14
トリナムール(草の根)会議派(AITC) 12
ジャナタ・ダル (統一派)(JDU) 12
全インド・アンナー・ドラーヴィダ進歩党(AIADMK) 11
サマジワディ党(SP) 10
任命議員 10
インド共産党マルクス主義派(CPI(M)) 9
無所属 9
ビジュ・ジャナタ・ダル(BJD) 7
国民会議党(NCP) 6
テルグ・デサム党(TDP) 6
ドラーヴィダ進歩党(DMK) 4
アカリ・ダル(SAD) 3
シヴ・セーナー(SS) 3
インド共産党(CPI) 2
インド民族ローク・ダル(INLD) 2
ジャンムー・カシミール国民協議会(J&KNC) 2
ボドランド人民戦線 1
ジャナタ・ダル (世俗派)(JDS) 1
ジャールカンド解放戦線(JMM) 1
ケーララ会議派 (マニ派)(KM) 1
ナガランド人民戦線(NPF) 1
全国ジャナタ・ダル(RJD) 1
インド共和党 (アトヴァレ派)(RPI(A)) 1
シッキム民主戦線(SDF) 1
テランガナ国民会議(TRS) 1
出典 ALPHABETICAL PARTY POSITION IN THE RAJYA SABHA , ラージヤ・サバーホームページ

※今のインドに勃興する民族ナショナリズムへの懐疑から,本文では改名前の地名を用いてます。