「もはや役目など知るか」
地団駄を踏んで喚いた。こういうとき,戦国の男が発する下知は最も過激である。
「者ども,死ねや!」
数多の戦場で鳴らし,毛利元就までが一目置いた猛将の姿が蘇っていた。
ここまでの航行中に改めて分かったことがある。あのまま瀬戸内に帰っていれば,どれだけ悔やみ,老け込んでいたか,船中で密かにぞっとした。
主人,小早川隆景の怒りは想像できたが,この禿頭は高を括っている。
(なに,死ねば済むことさ)
(そうさ,阿呆さ)
義清は首肯した。
一千艘の敵に挑むと宣言し,挙句,この有り様だ。実際は,敵の船数は二百艘程度であったが,それでも真鍋家の船団を上回っている。聞けば,敵の主力は海賊の王と呼ばれているそうではないか。
(阿呆め)
しかし義清は心中でそう罵る先から,沸き起こる想いを押さえることができない。
(それが泉州者ではないか)
無謀にも強敵に挑んで,阿呆丸出しで死んでいく。それこそが,人々の度肝を抜いて阿呆と賞賛されることを何より好む,泉州侍の神髄ではないか。
いまでも沼間家を存続させ,触頭の地位を保ちたいとは思っている。そのためなら,家がただの容れ物になっても構わなかった。
だが,それ以上にこの男には望むことがある。
(わしはそういう阿呆になりたかったのだ)
──七五三兵衛のごとくなりたかった。
──生粋の泉州の男になりたかった。
七五三兵衛に教えられた。真の泉州者は戦場で俳味を捨てたり,利に走ったりするような真似はしない。常に俳味をもって戦うのだ。強敵に立ち向かう阿呆の理で戦うのだ。
あの大男は,河口から動かぬ我らの意図を察しつつ,きっと笑い飛ばしていることだろう。それでこそ泉州の男だ。土壇場でも洒落を忘れぬ,そういう男になりたかった。
「おのれら,家の存続を望むあまり,洒落も通じぬつまらぬ者に成り下がったか」
義清は辺りの小早に向かって挑発した。
俳味のあるなしを言っている。泉州者のことごとくが,むっとして安宅の上の男を見上げた。
「真鍋七五三兵衛を見よ」
義清は,閃光に浮かぶ巨船を指差す。
「あの男だけだ。後に泉州で,大軍に挑んだ阿呆と語り草になるのはな。おのれらは家を守るため,阿呆にもなり切れず,面白なくも指を咥えて見ておったと孫子にでも語るがいい」
泉州者にとって最たる侮辱を投げつけた。一同無言でいたが,義清に向ける怒気は尋常ではない。
義清は叫んだ。
「泉州の男でありたいか」
まず応じたのは,沼間家の侍どもだ。木津砦を攻めた際,次の当主の武勇はこの目で見た。従う意思を即座に固め,
「おうよっ」
と怒鳴り返した。が,声は少ない。義清は眉を逆立て再び叫んだ。
「男でありたくはないか」
「当ったり前じゃっ」
船団のあちこちから声が上がる。しかしまだ足りない。義清は大音声に吠え上げた。
「男でありたい者は鬨を作れ。我が下知に従う泉州の男は,あらん限りの咆哮で応えよ」
直後,割れんばかりの鬨の声が船団中で巻き起こった。ほとんどすべての泉州侍が,顔中を口にして雄叫びを上げている。まるで河口が爆発でもしたかのような大喊声であった。
和田竜「村上海賊の娘」