外伝09♪~θ(^6^ )第六次香港
回国后:[火局]飯とその類似食を含む「デミグラスぶっかけ飯」群についての作業仮説

 旅行の時間と日常のそれは別次元のように過ぎ去る早さと緊張感を異にします。
 GW前にほったらかした仕事に追われ,やっと目鼻がついた時,気付けば月末になってました。どんだけほったらかしてたかの度合いにも寄るのでしょうが,わしの場合,副業である仕事は原則全部うっちゃって行くもので…。
 ただ,この月内に気になって追求してたことがある。
三洋餐廳で食った[火局]飯の由来と拡散のことです。

 香港九龍佐敦の三洋餐廳で「[火局]飯」として供されたのは,田舎っぽい濃密なデミグラスソースをかけた豚肉ピラフでした。
 まずは鹿児島へ行った。
 三洋の[火局]飯を食べて連想したのがこの土地の洋食屋2軒のある料理だったからです。
リブラ ※この後,しばらくして無念の閉店!
 一つはここの「ジャーマンライス」というメニュー。
 オムライスの上にカツを載せ,デミグラスソースをふっかけたカツ丼です。デミグラスは濃厚でありながら飽きの来ない淡白で深い味わい。ライスは,炊き方軽くピラフめいてる。カツと卵のシーツに特記すべきものはない。
 三洋の[火局]飯は,「鮮[サ/加][火局]猪[テヘン+八]飯」が正式名だったからバリエーションの一つなんだろうが,トマト(鮮[サ/加])ベースのデミグラスでした。トマトの身がまだ溶けきっていない状態で,つまり西柿西(これも俗称のトマトの漢訳)和鶏蛋に似たのトマト使い。けれど対するリブラのはトマトを含め酸味を強調しないまったりしたデミグラス。
 その違いはあるんだけど,デミグラスがけピラフというスタイルは,やはり確かに非常に近しいものがあるのです。
 天文館の小さな老舗洋食屋です。鹿児島市中心街の天文館とは言いながら,2階にとことこと上がったひっそりしたお店。

亜羅人
 もう一つは騎射場のこの店の「スパニッシュライス」です。
 こちらは一部で鹿児島名物と見なされ始めた食法で,中でもスパニッシュライスといえば…的な扱いをされ始めたお店。ただしこちらも非常に入り組んだ場所にある学生御用達のひなびた一店です。
 このスパニッシュライスは,オムライスの要素がない。カツ丼と牛丼を合わせたようなものの上にデミグラスがけしたもの。
 ただ今回気づいたけど,一番下のライスはピラフというより焼き飯です。つまり炒めてから炊いたのではなく,炊いてから炒めたライスで,炒めた時のみじん切り玉ねぎなどの具も感じられます。
 また,デミグラスにトマトは感じられません。
 けれど,形状としてはリブラのよりさらに[火局]飯に近い。つまりデミグラスソースのカレーライス状という形態です。

 そもそも三洋餐廳は,これを本店のあるマカオのポルトガル由来の料理として供していたのでした。
 リブラはドイツ,亜羅人はスペインを由来として名に掲げています。
なのに,この三店に少なくとも次の3点が共通する。
a)濃厚なデミグラスソース
b)ご飯にデミグラスソースをかける。
c)ご飯はピラフなど炒め飯
 わしが気になってしまってる点…というかどうにも腑に落ちない点が理解頂けるだろうか?
 つまり──【A】なぜこの料理が香港と鹿児島の2点に,微妙に近しい由来を持つものとして現存してるのか!?そして【B】この料理はそもそも一体どこの料理だったのか?
 けれど鹿児島行きでは疑問【A】が香港と鹿児島2点の問題でした。それぞれが突然変異的に生まれ,かつたまたま似てしまった料理だと考えることもできたのですが──。
もう一つの類似品を見つけてしまったのは博多でした。それも新興地・西新の,やはり老舗洋食屋です。

衣笠
 ここの「洋風カツ丼」というのを見つけて,何やら予感がして頼んでしまったのですが。
 まさにカツ丼の上にデミグラスソース。デミグラスのタイプは三洋のとそっくりの濃厚タイプです。ただしこの洋風カツ丼のライスは炒めてない。共通点c)が欠けてます。
 そう。普通の和食カツ丼に,卵とじの代わりにデミグラスが表面を覆ってる。…だけのカツ丼?
 そうなるとこれは…岡山のと同じじゃないか?
 この炒め飯という点を除いてしまうと,岡山の「デミカツ丼」と全く同じ形状になるのです。
 それとこの衣笠の店のタイプ。西新グルメ通りの奥にあるこの店,失礼ながら,パッとはしないけど地域に根付いた一店。
 となるとつまり,論点はこう変わってくる。
【A(改)】なぜ香港と日本各地にデミグラスぶっかけ飯が存在するのか!?
【B(再)】この料理はそもそも一体どこの料理だったのか?
【C】デミグラスぶっかけ飯は,なぜ共通して老舗洋食屋に残っているのか?

 鹿児島のジャーマンもスパニッシュも起源はよく分からないらしい。では唯一由来が語られてる岡山デミカツ丼を見てみましょう。

■wiki「ドミグラスソースカツ丼」
①デミカツ丼とは、丼に飯を盛ってデミグラスソースをかけ、その上に千切りキャベツを乗せ、さらにその上から揚げたての豚カツをいくつかに切り分けて乗せてその上からデミグラスソースをかけるもの、あるいはデミグラスソースの中にくぐらせた豚カツを乗せるものである。トッピングとして、グリーンピースを数個乗せたりうずらの生卵をのせたりする場合も多い。
②岡山市の料理店「味司野村」の創業者である野村佐一郎が、東京のホテルで料理修行中に考案した。その後、昭和6年の味司野村の創業時に提供を開始した。 その後、評判を呼び大衆食堂や喫茶店、洋食店、ラーメン店などでも同様の料理を提供しはじめ、いつしか岡山市中心市街地では多くの店がデミカツ丼をラインナップするようになった。
③これらの特長は岡山市の中心市街地(つまり元々の岡山市)にみられるものである。郊外(合併によって岡山市となった地域など)ではこうした特長はあまり見られない。
④市販されているものや、他の料理で使用されるデミグラスソースをそのまま使う場合は少なく、店や調理者が独自のソースを作って使用している場合が多い。 ソースのベースとして使用されるものとして、煮干しや鶏ガラなどの出汁、フォン・ド・ボー、中華スープ、ウスターソースなど様々なバリエーションがある。なお岡山市中心市街地においては、ラーメン店にてラーメンとともに提供されることも多い。これは、ラーメンの出汁がデミグラスソースに応用ができるからとの説がある。
⑤「洋風カツ丼」などが日本各地(岐阜県土岐市、福岡県大牟田市、新潟県長岡市など)にあり、ドミグラスソースを用いたカツ丼は岡山市独特のものではない。

 wikiの上記①~④と⑤は著者が違うようです。
 つまり,岡山デミカツ丼の近視眼的起源(現地化の過程)は①~④の通りかもしれないけれど,⑤が事実だとすれば──似た過程が並行して起こったか,あるいは相互に影響し合ってるかしてるはずです。
 その確認をしてみましょう。⑤の中で,博多の「洋風カツ丼」と地理的に近い大牟田についてです。
(あと,長岡のは,さらに形状が離れた新潟の「ソースカツ丼」とも同根の可能性があると思います。)

■おおむた洋風カツ丼
(冒頭部)※2015年当時の記述
戦前より大牟田のシンボルとして南筑後、熊本北部の人々に愛されてきた百貨店「松屋」。
この食堂で人々に食され、”ハイカラなご馳走”として愛された「洋風かつ丼」が10年の時を経て復活しました。
当時の味をそのままに。
ソウルフード復活。 おおむた洋風かつ丼研究会では、百貨店「松屋」元料理長等と協力し門外不出だった、この懐かしの味を復刻することに成功。新しく、そして懐かしい。大牟田のソウルフードをご堪能ください。

 少し離れますが,ライス+デミグラスという意味ではハヤシライスが最もその由来が通説化してます。

■wiki「ハヤシライス」
◆日本における発祥の店においては諸説あって現在数多くの店が元祖を名乗っており、定かではない。
◆食文化研究家の小菅桂子は、元宮内庁大膳職主厨長だった秋山徳蔵が考案した宮内庁版ハヤシライスが元祖としている。これを聞いて、上野精養軒のコックをしていた「林」が、従業員の賄い飯として作ったところ、好評であったことからこれをメニューにした説がある。
◆1980年発行の『丸善百年史』には、丸善創業者の早矢仕が野菜のごった煮に飯を添えたものを友人に饗応し、それが有名となって人にハヤシライスと称され、いつしかレストランのメニューにもなったとの説が書かれている。しかし、書中ではこれをあまりに話ができすぎていると指摘し、明治初年以来の洋食屋である神田佐久間町の三河屋にてハッシュ・ビーフが流行った旨を言い、「これとライスと合せて称したものが、ハヤシライスの語源に違いない。しかし三河屋も有的が贔屓にした料理屋であるから、間接に関係があるといえば、いえないこともあるまい」とも記載されている。

◆書籍『にっぽん洋食物語大全』では、元宮内庁大膳課の料理人である渡辺誠が、ハヤシライスのルーツは東欧料理のグヤーシュであると自説を述べるくだりがある。これはドイツでは、「グラッシュ」と呼ばれる料理である。

 この最後の「グヤーシュ」起源説が正しいと想定すると,世界的な輪郭が朧に浮かんできます。

■wiki「グヤーシュ」
①グヤーシュ(ハンガリー語: Gulyas、ドイツ語: Gulasch)は、ハンガリー起源のシチュー料理。牛肉とタマネギ、パプリカなどから作られる。パスタ類やサワークリームを加える場合もある。ドイツ語はグーラッシュと発音される。
②代表的なハンガリー料理であり、「蒸し煮・シチュー」(porkolt, porkolthus, ペルケルト)の一種とされる。一般的にハンガリー家庭では主菜として食べられることはなく、日本の味噌汁のような存在である。
③かつての大ハンガリー圏をはじめ、オーストリア、ドイツ南西部バイエルン地方、ルーマニア北部トランシルヴァニア地方、スロヴェニア、チェコ、スロヴァキア、ポーランドなどでも食べられている。また、モンゴル料理のひとつである「グリヤシ」はこれがモンゴル風になったもの。

 維新から戦前までの時期,ヨーロッパの半分を支配したオーストリア・ハンガリー発の料理としてグヤーシュとその現地化版【C】がヨーロッパ各地に根付いた。(ポルトガル王を兼ねたスペイン・ハプスブルク王家はハンガリー王室の親戚)
 これが各国料理として多元的なルートで東洋に伝わった。ポルトガルからその植民地マカオへ。スペインやドイツから西洋文化の移入に熱心だった薩摩へ。ハヤシライスや岡山デミもそれぞれ誰かの研究先の国からだったんでしょうか。特に米食文化のあるイベリア半島には東洋に根付きやすい何らかの料理があったのではないか?【A】
 しかしハンガリーは第一次大戦で弱小国に転落。簡単に言えば「流行り」でなくなったグヤーシュ系料理群は,次第に日本でもウケなくなってきた。
 かろうじて各地のソウルフードとして根を下ろしたものが,今の香港や日本各地に残ってる。【C】
 つまり,ヨーロッパで多元的に現地化したものが,東洋でさらに多元的に現地化して,香港佐敦と鹿児島騎射場でわしの口に入った。そんな作業仮説が描けるのですが──さて真偽のほどは?