本伝05章[Step41]旅の真ん中に立って

 179日目 
▲42.2kg(半減+25.8kg)
▲1/3目前

今まさに後半戦へと舞台は移るのであります!
 あと10日で減量開始から半年が経過します。現時点の実績▲41.2kg。月に▲7kg落としてこれたことになる。4日に▲1kgペースはまだ健在です。
 後半戦で落とす体重は▲27kg。週に1kgペースよりちょっと速め位,前半の2/3ほどのスピードで丁度いい。あんまり速いと目標体重で止まれなくなりそうです。つまり着地の失敗。それは良い場合でもリバウンドを,悪い場合は痩せ過ぎを意味する。
 減量に成功して死ぬなんて一番愚かじゃないッスか!?

 実は先日家のパソコンがクラッシュした。
 アドウェアによるメモリの負担増が原因らしいけど,当初データ入力してたExcelは消えてしまったみたい。
 始めはガックンしたんだけど,逆に開き直った。──DBで数値の動きを徹底的に分析するなんて,減量の戦法を手探りしてる段階でだけ必要だったんじゃないの?今はもう手法は確立してる。カラダの管理も数字のトレンドを介してじゃなく,カラダが直接教えてくれるっしょ?
 ていうか,カラダとじかに会話することを覚えなきゃ着地後の状態を維持できないんじゃないの?
 さらに言えば,体重や体脂肪率の数字ってのはアップダウンに一喜一憂するためじゃなくて,カラダを冷静に客観視するためのKPI(keyPerformanceIndicator)として扱うためのもの。最終的にはそうならない限り,ダイエットを卒業できないんじゃない?
 てことで──しばらくパソコンは直さずに放置する気になってます。簡単に言えば──体重なんて本当はもうどうでもいいんッス。

 も一つ,この減量ツアーで感じたことがある。
 これは減量だけじゃないと思う──効果を最大化させたいならあんまり頑張っちゃいけないってこと。
 効果──特にいわゆる数字を出そうとする時には,淡々と気楽にやってる方が有効なんじゃないの?目的達成の最大の障害は疲労なんだから。
 頑張ってるお姿ってのは確かによろしいと思いますよ。人間修養上は忍耐力と自信に繋がるでしょね。
 けどよく考えてみて──それは他人から見て美しいし,自分にとっても自己満と陶酔はもたらしてくれる。短距離走なら効果も生む。
 ただ,その分無理が出る。つまり疲れる。そんな態勢では長距離になればなるほど結局効果を減ずる。ある時点から先はむしろマイナスに働くだろう。
 では,減量──いわゆるダイエットの場合は?一時期体重が減れば後は何ぼ太ってもええわ!という目論見で痩せる奴なんていない。全ての減量は長距離走なのです。
 なのにダイエット法のほとんどは頑張りを求める。それはつまり一時的な効果しかないってことで,カラダが恒常性という性質を持っている以上,当然その効果の後にはリバウンドが確実に来る。──こういう減量法をこの文章では「ダイエット」と呼んでる。
 だから頑張る,つまりカラダにちょっとでも負担のかかる方法は,確実に増量への道!以後一生その頑張りを継続しない限り,絶対的に太るのだ!
 これは日本人の特性でもある。目標があればつい努力してしまう。その結果,ワーカホリックだらけの社会になり,挙げ句に過労死と精神異常。
 何度も書くけどダイエットの成功率が0.5%,つまりほとんどゼロであるのも,実はそれと全く同じ構造。
 頑張りによって短期的な効用を追求し過ぎて,長期的には損失しちまってるのです。
 最近さすがに「痩せましたね~」とよく言われるけど,そういう人のほとんどが言う次のセリフは「頑張りましたね~」。
 その度にわしは即座に完全否定する。「全く頑張ってません!頑張っちゃ痩せませんよ!」

 ついでに書くと…日本食の欠点もこの日本的な「近視眼」に共通するよな気がする。
 米食は確かに世界の食文化中極めて完全性の高いもの。これは認める。
 けど,一方で米食の比重の高さと日本での糖尿病発生率の高さとの因果関係もかなり確かな事実。
 本当の意味での日本人の主食は雑穀食。江戸時代の農民の惨状を語るときに「ヒエやアワばかりで米は時々しか食べられなかった」と表記されるけど,それは伝統食だったから。わしは中国でヒエの粥を毎朝食って満足できてた。
 炭水化物は血糖値を急激に上げる。それが米を食った後のエネルギーが出る感覚の正体だけど,それは戦前の日本人の短命の原因でもある。
 米食も程度問題。そして日本の米食の比重はまだ高過ぎる。

おまけ那覇市の交差点表示「西(北)」…西町の北側交差点って意味らしい。