本伝10章[Step93]減量ブログの減量効果?

 338日目 
▲66.4kg(半減+1.6kg)
ラスト▲1.6kg!

って話をまだ書いたことなかったよね。
 某家電メーカーの「携帯が健康を考え始めた」っちゅうコピーを見た瞬間,キレちゃったんです。
 ──携帯が考えたってどうにもならんやろ!
 『デブ』のレコーディング・ダイエットは効果的だと思う。思うんだけど,そのレコードってのは数字プラス思想の方がもっと効果的って感じるわけ。
 要は,ゼロベースで食生活を再考すること。わしの減量で,このブログってそういう結構大きな機能を果たしてんのかな…っちゅう気がしてるんです。

 『デブ』のカロリー+体重+体脂肪率の3数値のレコーディングは,KPI(KeyPaformanceIndicater)による数値管理としては単純明快。誰も疑う余地がない。
 だから効果も確信できる。おそらく──こんな単純な方法で実績が出る理由は,技術やアプローチが優れてることよりも,この「確信できる」ってとこにあるんだと思う。妙なダイエット食品がマイクロミネラルがうだらかだら言っててもどこかふに落ちないとこがある。インプットとアウトプットを制御する,これほど確信の持てる思考フレームはない。
 だけど,わしが途中から疑問に思いだしたのもこの単純さです。これじゃあ,インプットとアウトプットの間にあるカラダを機械扱いしてる。
 カロリーの考え方そのものがそうなんだ。燃えたらどれだけ熱を出すか?って尺度でっせ?カラダは焼却炉か何かか?
 カラダのニーズが好ましいインプットに合致するようにチューニングする。カロリー以外に客観的尺度はないから,ある程度その方法も併用しながら,カラダのニーズ改革に力点を置いた方が長期的効果は出る。何より,リバウンド防止の確度は上がるんじゃない?
 で…このカラダとの会話を積み重ねる場が,このプログだったよな気がするのね。

 他のダイエットプログを見ると,いつ何を食べた!ってゆー単なる「記録」の場合が多いみたい。
 ちょっとスタンス変えるだけでいいはず!
 食生活を根本的に考えたり,少なくとも味わったりする要素をプラスしたらどうでしょ?──誰かの言葉で,5年日記を続けた人は何かを成し遂げるであろう,10年続けた人は既に成し遂げた人であろうってのがあったけど。普通の内省でそうなんだから,通常考えない身近な食生活をKPIデータで読み解く作業でどれ程の知見──それもどんな減量本にも書かれてない,自身のカラダのオリジナルの知見が手に入るのは当然じゃん!
 わしの感想としては。今まで考えたこともない分野で,予想外の知的冒険ができた。
 3数値レコーディングの『デブ』では,減量過程半ばの岡田さんがコンビニの高カロリー棚の前で涙ぐむシーンの記述がある。──カラダ,特に舌の改造スピードが,減量スピードに追いついてないからこーゆー危機が訪れるわけ。リバウンド率平均90%って数字(ワシントン・ポストのデータ)もここから来る。
 それより何より,それじゃあただ痩せるだけ!減量過程ってゆー凄く貴重な体験を無駄遣いしてるのよ!
 もったいないじゃん!一生にそう何度も出来ない体験なんだから,そこから得られる知見はしゃぶりつくさな銭の花は咲きまへんえ(?)!
 実は楽しみにしてたんだけど──結局,コンビニで涙ぐむ場面はわしの減量過程にはまだない。それどころか!この旅行が楽しくて仕方ない!
 減量過程ほど,知的興奮に満ちた,しかも数値で実績を確認できるプログラムはないッ。たまりまへんで!

 最後にちょっと懺悔。
 お気づきとは思うけど。このプログは完全に書き捨てです。校正すらしてない。全文携帯で打ってるから,その段階で考えたことを,ある時はコーヒー飲み飲み,ある時は旅行の移動中に暇に任せて書き殴ってるだけ…
 だから。前に書いたことと重複も矛盾もあるでしょ?堂々と言うけど,そーゆーの見つけても特に訂正してまへん!減量過程でオンタイムな思考を残しておいた方が記録として意味があんだろ…ってゆーより単に面倒臭がりなだけだけどね…
 さて。こんなこと書いてんのは,もう経過を見守るだけの段階に入ったんで,大分書くことがなくなったから。丁度100節でこの記録も打ち止めにしやす。
 あと7節,テンポを落とした経過日誌的に書いてこと思ってま~す。