外伝03-FASE44@deflag.utina2803#
むっちゃる うとぅどぅ わーうとぅ やる

[前日日計]
支出1500/収入1650
負債 150/
[前日累計]
     /負債 361
§
3月20日(日)
0915Rose Garden
トーストブレックファースト(自家製ソーセージとベーコン)370
1020プラウマンズ ランチ ベーカリー
M’sPlate370
1120島人そば(沖縄市与儀)
あぐー骨汁550
1300ケーキ工房 麦と卵(南風原町与那覇)
麦卵チーズロール250
1320にーちぇ南店(古波蔵)
トラジャ
[前日日計]
支出1500/収入1540
負債 40/
[前日累計]
     /負債 321
§
3月21日(月)

 一泊目を過ごした宿の所在する「牧港」。この地名は正式には「まきみなと」らしいが,メジャーには「まちなと」と呼ばれてるようです。
 既に14世紀に沖縄最古の貿易港としての記録があるそうだ。沖縄漂着説の残る源為朝と妻思乙・息子尊敦が別れた地であるとされ、妻子が為朝の帰りを待ち続けた海岸が人々に待ち港(まちみなと、まちなと)と呼ばれるようになった事が地名の由来とされる。
 その物語の概略をみると──

[小レポ]牧港の地名の由来
 源為朝は保元の乱に破れて伊豆に幽閉されるが,脱出。逃げたはいいけど漂流しちゃってどんどん南へ流されて,沖縄島南部にたどり着く。そこで大里按司の妹を嫁にもらい子をもうけます。
 しかし、内地のことが忘れられず、浦添の港から妻子とともに内地へ向かおうとしますが、嵐が起き出航できません。
 船乗りが「女子がいるから神が嵐を起こしている」と言われ、仕方なく妻子を港に残し出航しました。
 残された妻子は為朝の「三年後に必ず迎えに来る」との言葉を信じ、
別れた港で待ち続けましたが、為朝は帰ってきませんでした。
 妻子が為朝の帰りを待ち続けた地はやがて人々に「待ち港、まちなと」と呼ばれるようになりましたとさ。めでたしめでたし。

 どうも救いようのないお話ですが,そこから「待ち港→まちなと→牧港」と時代の流れと共に現在の地名に至ったらしい。
 源為朝は別名鎮西八郎。生年 1139 ~-1170年。牧港はそのくらい古い街だということなんでしょうが,今の街並みにはそれを彷彿とさせるものはなく,58号線沿いの郊外タウンです。

▲沖縄中部の街並みを濃い闇より望む。ブラウマンズ前から。

 平和な朝です。
 小鳥のさえずりが夢の如くに空気に染み渡る中,今日は朝から強い日差しがシマに降り注いでます。
 那覇へ。

 サンキョウのおじいの呆けがさらに進行しとりました。
 しまった。日曜はおじいしかいないのを忘れてた!
「今日泊まるの?」「いえ,2日です」「あ,そう」とか言ってて少し話がそれたらまた「それで今日だけに変えるの?」「いや,だから2日です」この繰り返しが何回あったんだ?泊まらせたくないのか?
 幸い今回は電子キーの開閉のテストには一発合格できました。それも「じゃあ入ってみて」「はい入りました」「はい次は出て来て」「はいはい」と相変わらず厳重な試験でしたが…。
 後で通りかかると別の旅行者がおじいの再試験中。「今この人に教えてるの」客扱いじゃないな。キーを使えない者は客にあらず。これはサンキョウのもはや鉄の掟である。

 伊佐交差点から普天間までの辺り,左右に広がる風景はここが属国であるという事実を思い出させてくれる。
 左手海側にはゆったりと敷地を取ったアメリカ低層アパートが立ち並び,右手山側には傾斜地に身を寄せ合う民家群。
 新聞を買おうと思った。この土地の社会事象の感覚に少し触れておきたい気がしてきた。
 普天間洞窟を過ぎると道路が途端に広くなる。原チャは転がしやすくなるけど,素人目に見ても…土地利用が完全に軍用だ。中央分離帯があるからライカムまで行きすぎてからUターン。
 このライカム辺りはモールが出来てからますます人工都市っぽくなった。クアラルンプールっぽいというか。

[小レポ2]ライカムの由来
※イオンモール沖縄ライカム
 沖縄県中頭郡北中城村アワセ土地区画整理事業区域内4街区
(以下,あるプログより)
 沖縄では、何かと基地問題には敏感なのに「なんで“ライカム”って名称にしたのか?」
「“ライカム”って名前は使って欲しくない!」
 こういう意見を持っている人もいます。イオンモールの話なのに、どうして基地問題の話が出てくるのか?
 こう思う人もいると思うのですが、沖縄の歴史上、どうしてもこの手の話は出ます。
 確かに言われて見れば、“ライカム”って名称を嫌う人がいても、ぜんぜん不思議なことではないんですよ。
 昭和の後半生まれの人や、平成生まれの世代にとっては、“ライカム”っていわれても、正直ピンとこない人が、圧倒的に多いと思われます。
(ヒロヒロも正直ピンときませんが、、、)
「イオンモール沖縄ライカム」がある場所は、元々は、「泡瀬ゴルフ場」といって、在日米軍のゴルフ場だったんです。
(略)
 戦後いろいろな経緯で、ゴルフ場になったのですが、沖縄県側は、1988年ごろから返還を要求していたそうで、1996年に、日米で返還が決定したのです。
 それから、跡地をどうしていくのかが検討され、最終的には、イオンモールの開業という流れになったのです。
 それで、“ライカム”って名称は、いったいどこから来たのか?
 泡瀬ゴルフ場の近くには、「琉球米軍司令部(Ryukyu Command headquarters)」 という、施設もあったのですが,「Ryukyu Command headquarters」
RyCom=ライカム
 この略からきているんです。
 だいたい泡瀬ゴルフ場あたりのことを、ライカムって言ったり、近くにある交差点を、「ライカムの交差点」と言えば、あーあの辺ね!って話が通じるんです。

▲Rose Gardenのトーストブレックファースト

 9時過ぎ。Rose Gardenに入る。
トーストブレックファースト(自家製ソーセージとベーコン)370
ベーコン:クリスピー
玉子:スクランブル
ジャム:ラズベリー
ドリンク:ホットコーヒー
 1/3が基地の軍人とその家族,1/3が観光客,残り1/3がウチナンチュの常連というところか。
 店名は知らなかったけどこの建物は以前から知ってた。大体原チャでだけど,足を止める度に白人が出入りしてるのを見て「鹿鳴館」か「基地門前店」みたいなとこだろうと感じて気が引けてたんだけど…。
 半分は正にそうだった。けどもう半分は…この「支配階級」カルチャーで優雅に楽しむ沖縄人セレブと大和人観光客がいたことです。──ってわしもだけど。
 アメリカンブレックファーストとしては確かに上の部類に入ります。トーストは淡白にスカスカしてて軽快な味だし,コーヒーはアメリカンなスープに旨く仕上がってる。ただ問題は──この時期の沖縄でこういう場所を訪れて「アメリカンだぜい」と楽しんでるナイチャーの無神経さです。わしもだけど。
 何人か来てた中国人の観光客たちは,この店で何を感じたろう?この国がやはり衛星国であることを確認したのではないか?
 そして同じ確認をナイチャー観光客たちがしたのなら,まだ軽症なんだけど…彼らのキョトキョト顔を見る限り,そんな気配を感じられない。「やっぱり沖縄楽しいネー」的な浮わつきしか見せないかのチョッパリ面に無性に腹が立ったのですね。そしてこの違和感から離れないように自分を厳しく戒めようと努力しながらブレックファーストしたのでした。
 でもちゃんと旨いから困るのだけど。

▲プラウマンズ ランチ ベーカリーのM’sPlate

 10時20分。朝食をやり直すような気持ちでプラウマンズ ランチ ベーカリーへ。
M’sPlate370
 ラストの1つだったらしい。ここでの朝はこの時間が限界ってわけで,変わらず好調のようです。
 しかしまあ──パンが旨い!
 加えて──ここの雰囲気ってのは,やはり至高!!
 それでもって──サラダが完璧過ぎ!!!
 とどめに──コーヒー(エクアドル)のコクがじんわりと口内に震撼する!!!!
 極めつけが──スープのスパイシーさはほとんどインドカレー!!!!!辛いとかスパイスが強いというより,素材の使い方が深い。パンはナンのようにこのスープに付けて頂きました。これだけで十分なほどの逸品です。
 ここの客はあくまでウチナンチュが中心。

 中部の山塊を越えて東岸へ下る。
 11時20分。島人そば(沖縄市与儀)へ。
あぐー骨汁550
 はるばるやってきた甲斐あって,本当に旨かった…。
 何というか,肉の味の底部に軽快な固い沈澱物があっていつまでも甘やかにたゆたいつづける。そういう魅惑的な味わいが,骨汁ならではの部位によって微妙にブレた味覚の重奏を伴いながら襲いかかってくる。
 汁がまた凄まじい。豚肉の甘味ってこういうものだったんだ…と震撼させられる思いがした。脂というよりバター香のような軽やかな,しかし重量感ある出汁が鼻孔を刺激する。
 しかし?あぐー豚ってよく聞くけど何なんだ?…今回は小レポだらけになってますが,調べてみました。

[小レポ3]あぐーの味覚特徴
 脂身がたっぷりなのに、しつこくない(通常、あれだけの脂身を食べると、水上は胸焼けがして気持ち悪くなります。が、脂の感触がまったくない。)。
 旨みがものすごくあり、通常の豚肉しゃぶしゃぶは、濃い味の付け汁、たとえばポン酢とかお塩とかをしっかりつけないと美味しさがぼけるのですが、このお肉は、比較的薄味のめんつゆにネギをたっぷりといれたものが、とにかく合います。それだけ肉の旨みを感じることができるお肉です。
 胃の中におさまったあとも美味しさを感じることができるぐらい美味しい!中国茶には「戻り香」といって、お茶を飲んだあと、喉の奥から戻ってくる香りだけを楽しむ目的のお茶があります。あれに近い感覚を受けました。2度美味しいお肉です。

▲ 島人そば(沖縄市与儀)のあぐー骨汁

 はるばる来たよ与那原へ。さらに那覇方向へ少し走って南風原。
 13時。ケーキ工房 麦と卵(南風原町与那覇)。
麦卵チーズロール250
 雰囲気はまさに街のケーキ屋さん。このロールだけは3種類ありはするけど他はごく普通で,何らかの専門店というわけでもなさそう。いいのか?何かのガセではないのか?
 違った。
 この生地は…パイになりくさしたようなむちむちと粘着ある,それでいてなめらかで柔らかいこの食感は,ちょっと他に比すべきものを思いつかない。
 クリームもきわめて軽妙で上質な甘味です。アメリカンともユーロピアンとも違うこのスイーツ感覚は…何だこのロールは?
 旨い!しかしどういう部類のとも言い難い。
 甘い!しかし何に由来するとも何みたいとも例えがたい。
 凄い味を作り出すものだ。それがこんな交差点の脇にぽろっと何気なく店を構える。全く,沖縄というシマは。

 13時20分。にーちぇ南店(古波蔵)。
 トラジャを飲んでみる。旨い。旨いけどここは,高い豆を有り難げに飲むとことはちょっと違うかも?と居心地のいい空間でうたた寝しながら感じました。ここは何よりこのすっとぼけたような空間が,最高の御馳走なので。

 高良タオル店を運よく再訪できた。
 みーちゃんタオルを紙袋付きで4枚ゲット。
 でもここもなあ。レア物をゲットして喜ぶとゆーよりも,この得体の知れないディープさがいーんだよな。このハンカチだけ手に取っても,あのグロテスクなほどの場末感ってなかなか分かんないだろな。

※和訳:持った夫こそが私の夫